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“共感”というクセモノを侮ってはならない――エンタメ小説家の失敗学36 by平山瑞穂

過去の連載はこちら。

平山さんの最新刊です。

第7章 “共感”というクセモノを侮ってはならない Ⅰ

僕が読み手として小説に求めていること

 読者としての僕が、小説に求めているもの、小説を読む際に重きを置いているものは何か。その問いに、ひとことで答えるのはむずかしい。

 心にズシリと響いてくるものがあるかどうか。物語として、僕にとって美しいと思えるたたずまいを備えているかどうか。テーマとその描き方に、説得力があるかどうか。一読しただけで、忘れがたい印象を残す場面なり叙述なりがあるかどうか。登場人物が、体温の感じられるリアルな造形によって描かれているかどうか。世界のよい面と悪い面の両方に、公平に目配りしたものになっているかどうか――。

 読む作品のタイプにもよりけりなので、一概には言えない。もちろん、「その気持ち、わかる、わかる!」と共感できる部分があるかどうかを問う場合もある。しかし「共感できるかどうか」は、実のところ、僕にとってそれほど重要なファクターではない。たとえ登場人物の誰にも共感できなかったとしても、その他の面で十分な説得力なり美点なりのある物語であれば、「読み応えがあっておもしろかった」と満足するケースも往々にしてある。

 そして、小説に対する僕のこうした嗜好は、そっくりそのまま、小説家としての自分の姿勢につながってくる。僕は何よりも、自分が読みたい小説、自分が読んで満足できる小説を書きたいという思いのもとに、自分の作品を執筆してきたのだ。能力がそこに及ばなかったり、その他の外因的事情(多くは、版元からの要望など)によって思いを果たせていなかったりすることも多々あるが、僕が自分の小説を書く際に、先に列挙したような条件を可能なかぎり多く満たすものを書こうと常に心がけていることはまちがいない。

 逆に言えば、読者として「共感」を重要視していない僕は、小説の書き手としても、そこにあまり比重を置いていない。そもそも、読者から共感を得ようなどとはこれっぽっちも思っていない場合さえある。そのとき僕が目指しているのは、なにかそれとはまったく別のことなのだ。

 ところが、どうやら一般読者の大半は、最初から「わかる、わかる!」という共感を求めて小説を手に取っているようなのだ。そして、作中に共感できるポイントを見出せなかった場合、その作品は「共感できなかった」のひとことで切り捨ててしまう。彼らにとって「共感できない」とは、「つまらない」と同義なのだ。

 驚くべきことかもしれないが、プロの小説家になってからもなおしばらくは、僕はそのことに気づいていなかった。たぶん、それまでに僕が書いた小説には、(僕自身が執筆時にそれを意識していたかどうかは別にして)たまたま一般読者の共感を呼びうるなんらかのフックが備わっていたため、ネットでレビューなどを見ていても、「共感できなかった」という声にそれほど多く触れずに済んでいたのだろう。

「共感できない」という悪評の嵐

 読者からの共感を得られるかどうかがいかに厄介な問題であるか、それを僕が本格的に思い知らされるきっかけとなったのは、デビューから八年後、二〇一二年九月に新潮社から刊行された一六作目の小説、『僕の心の埋まらない空洞』だった。ひとことで言えば、この作品は、「共感できない」という悪評の嵐に晒されてしまったのである。

 このわずか三ヶ月前には、前章で取り上げた『大人になりきれない』が刊行され、予想だにしていなかった読者の反応にショックを受けたところだった。その衝撃も、僕自身の思惑とはまったく異なる方向で作品が受け取られてしまったことによって、読者からの共感を得るどころか、むしろ反感を買ったり、読者を脅かしたりしてしまったという点にあり、ある意味では同じ問題に属する事例だったと言っていい。

 なお、『僕の心の埋まらない空洞』は、『大人になりきれない』(当時の仮のタイトルは、『ネオテニーたちの夜明け』)に求められた改稿をめぐって、原稿を新潮社から引き上げるなりゆきとなってしまったという不手際(第5章参照)を償うべく、担当Nさんのもとであらためて一から構想した作品でもある。いろいろな意味で、この頃の僕は呪われていたのではないかと思えてならない。

(『大人になりきれない』から改題)

 いずれにしても、まずはこの作品が成立した経緯について、軽く説明しておこう。

作品の構想

 Nさんもまた、僕の書き手としての本質はデビュー作『ラス・マンチャス通信』にあると考えており、この作品は、「『ラス・マンチャス通信』の主人公のような、偏執的で閉塞的な雰囲気の語り手を登場させてほしい」という彼女からのオーダーに応えて着想したものだった。たとえば、「猟奇的な連続殺人犯の視点でその日常を語る」といったものが、当初、例として挙げられていたと思う。

 新潮社では、とりわけ前任の担当編集者であるGさんがついていた時代には、『ラス・マンチャス通信』的な作風は事実上、封印されていたのだが、Nさんは、それもアレンジ次第では可能だと考えていたようだ。「犯罪者の視点で語られるサスペンス」といった体裁を整えれば、その中に『ラス・マンチャス通信』的な不穏さを公然と忍ばせることもできる。

 作品の大枠が決まった瞬間のことは、鮮明に記憶している。一七年間勤務した職場を辞して作家専業となってからほどない二〇一一年三月下旬、東日本大震災の直後だった。

 Nさんとは、もともとその日に目白の老舗のビストロで打ち合わせの約束をしていたのだが(この頃はまだギリギリ、僕程度の作家に対しても、打ち合わせのためにそういう店を選べるだけの太っ腹さが版元にもあった)、それを待っている間に状況は激変し、都内も自粛ムードに包まれてしまっていたため、ビストロでワイングラス片手に打ち合わせどころではないだろうと考えたのか、Nさんは日程の延期を申し出てきた。

 しかし僕は、やみくもに自粛をよしとする世間の同調圧力に対する反感も感じており(そこからして、僕が世間一般の人々となにかを分かち合うことがいかに困難であるかがあけすけに示されているのだが)、営業している店があって、そこが僕たちの来店を拒んでいないのなら、予定どおり決行すべきだと主張した。東京の経済を回していくためにも、それが必要だと考えていたのだ。そんなわけでNさんと僕は、街が喪に服するように静まりかえっている中、震災などなかったかのようにフレンチに舌鼓を打ちながら、新作の構想をともに練ることになったのだった。(続く)


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