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メッシはどこだ? Where is Messi?――サッカーW杯決勝戦リポート by小川光生

『サッカーとイタリア人』(光文社新書)の著者で、10月に訳書『セリエA発アウシュヴィッツ行き』(光文社)を上梓された小川光生さんによる、W杯リポート。最終回は、語り継がれる名勝負の末、36年ぶりの優勝を果たしたアルゼンチン代表のメッシ選手にスポットを当てます。

こちらから過去のリポートに飛べます。

セリエA初代チャンピオン・インテルを率いた名将の悲運の物語 

メッシはどこだ? Where is Messi?

メッシはどこだ? Where is Messi?――大会中のドーハでこの奇妙なパワーワードを流布させたのは、サウジアラビアのサポーターたちだった。

11月22日、ルサイル・スタジアムでのアルゼンチンvs.サウジアラビア。アルゼンチンは、前半にリオネル・メッシによるPKで先制しながらも、後半の序盤にたてつづけに失点し1-2の敗戦。「こうなるとは予想しなかった」という試合後の彼のコメントが示すように後半、“メッシの”アルゼンチンは迷走した。メッシ自身も本来の姿を見失い、チームも、手痛いアップセットを食らってしまった。

周囲は、メッシの“異変”を見逃さなかった。試合中から、サウジのファンたちは、抜け殻のようなプレーに終始する敵の絶対エースを見て、次のような言葉で揶揄した。「メッシはどこだ?」。しかも英語……。Where is Messi?

それからグループステージ終了くらいまで、ネーションカラーの緑を身に纏った彼らは、ファンビレッジはもちろん、各国のサポーターが集まるショッピングモール、地下鉄の駅や車内、観光地の古市場スーク・ワキフなどで、そのパワーワードを連呼した。(世界中のサッカーフリークが知る)あのメッシはどこにいった? そんな緑の軍団のパレードを、白と空色をチームカラーとするアルゼンチンファンが、苦虫を噛み潰したような顔で眺める(筆者は、スーク・ワキフで両チームのファンの小競り合いを何度かみた)。大会の序盤、そんな光景が、街のここかしこで見られた。

神の幻影

メッシは、今回を「自身最後のワールドカップ」と位置づけ大会に臨んでいた。2021年、“彼の”アルゼンチンはコパ・アメリカを制し、28年間の無冠時代に終止符を打った。残る課題は、36年ぶりのワールドカップ制覇。2005年のA代表デビュー以来、メッシの双肩には、その“宿題”が“ある神”の幻影とともにのしかかり続けていた。ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。それが神の名前だった。

2020年11月、マラドーナ氏が他界すると、重圧(=国民の期待)はさらに大きなものとなった。神の子メッシは、いつ本当の神になれるのか? それが今大会前、世界のサッカーファンの多くが抱いていた疑問だった。

ところが、そのメッシがワールドカップ初戦のサウジアラビア戦の途中に「消えた」。メッシはどこにいる? 歓喜の中、サウジのサポーターがそう叫ぶ。Where is Messi? 大会に入り、彼をめぐる新たな疑問文が、ひとりあるきし始めた。

元気なイスラム勢

中東で開催される初のワールドカップ。サウジアラビアのいきなりのジャイアントキリングにイスラム諸国のファンたちは、勢いを得た。ファンサイドから見てもイスラム勢が元気な大会だった。

アルゼンチン戦後、サウジのファンは、ドーハを我が物顔に闊歩していた。次に勢いを得たのは、イランのファンだった。初戦、ハリーファ国際でイングランドに2-6の大敗を喫した彼らだったが、11月25日のウェールズ戦では、粘りに粘りインジュアリータイムに2点を奪い勝利。「Where is Bale?(ベイルはどこだ?)」はパワーワードにはならなかったが、太鼓と声援を組み合わせた「ドン!ドン!ドン!イラン!」という独特の応援とともに存在感を示していた。

その頃、地下鉄駅にむかうバスの中で、イラン人の新婚カップルと席が隣になった。新婦は新婚旅行先に日本を希望していたが、コロナの影響でとりやめになったことをしきりに嘆いていた。一方、新郎とは、過去のアジア予選の話に花が咲いた。93年、ドーハの悲劇は、アリ・ダエイのゴールなどで敗れたイラン戦からはじまった。97年、ジョホールバルでのプレーオフは、日本がイランを破りフランスでの本大会に進出などなど。そう考えると、イランと日本のサッカーの因縁も深い。

グループステージ、イランの最後の相手はアメリカ。私が2人にむかって、「アジア勢としてがんばって! ところでアメリカ戦には手ぶらで行くの? それともみんな機関銃と手榴弾を持参で?」と軽口をたたくと一瞬の沈黙が……。「まずかったかな」と訝った瞬間、バスは大爆笑に包まれた。うしろにも多くのイランファンが座っていたのだ。すぐに「ドン!ドン!ドン!イラン!」の大合唱。時折、「ジャパン!」という声援も混じる。そんななか、どさくさに紛れるように、またあの声が……。「Where is Messi?」。緑の軍団もまだグループ突破を諦めていない。バスの中を再び笑いの渦が支配する。

サウジ戦で一時「行方不明」となったメッシだが、崖っぷちの第2戦、メキシコ戦で決勝ゴール(地をはうミドルシュート)。続くポーランド戦では、敵GKシュチェスニーのスーパーセーブでPKをとめられるも、チームは2-0で勝利し首位で5大会連続(通算13回目)のグループステージ通過を決める。

まだ本調子ではない感じだが、我々の目にその姿が鮮明にうつってきた。一方、サウジはその後の2戦でポイントを得られず、グループステージ敗退。“旋風”の終焉とともに、例の疑問文も街から聞かれなくなった。

Where is Qatar? カタールはどこだ?

Where is Qatar? カタールはどこだ?――この頃になると、今度はそんな疑問が人々の口にのぼり始めた。開催国として史上初の開幕敗戦。3連敗でのグループステージ敗退。すべてが負の意味での初物づくしだった。

カタールのサッカーへの関心が高まるのは、1981年。代表チームがオーストラリアで開催されたワールドユースで準優勝してからだという。人々は、その時の歓喜が忘れられず、その後もサッカーへの情熱を育み続けた。ワールドカップ招致が決まった後、豊富な資金力を武器にA代表を強化。2019年、決勝で日本を破り制したアジアカップでの秀逸なパフォーマンスは、我々日本のファンの記憶にも新しい。ただ、今回の結果は前述のとおり。それまで本大会への出場経験が1度もないまま開催国としての初出場……。予選免除というアドバンテージも本選では、重いディスアドバンテージへと転化した。

正直、生粋のカタール人の声は最後まで聞けなかった。人口の9割近くが移民というカタール。パブリックビューイングなどで会う人々も、移民の方々が多く、心からカタール代表を応援しているのか疑問が残る人もいた。カタール戦のチケットもネット上で試合開始直前まで購入できる状態……。短い滞在で、開催国の“本音”は最後まで聞けなかったし、感じられなかった。

一方、モロッコの躍進はイスラムのサポーターを熱狂させた。11月27日のモロッコvs.ベルギーはファンビレッジのパブリックビューイングで観戦。前回3位の強豪をスピードだけでなく技術面・戦術面でも圧倒したモロッコの強さが目立った。近くのモロッコ人サポーターと話すと、代表をワールドカップに導いたのは、あのハリルホジッチ監督だったという。ただ、その後、一部の選手や連盟と揉めて退任。そんななか、チームは躍進。まさに、「歴史は繰り返す」の典型……。

複雑な気分

翌日、あるイスラム諸国のファンから声をかけられる。「サウジ、イラン、モロッコも頑張っているが、日本もすごい!ドイツ戦は見事な勝利だった!おめでとう!」。「ありがとう」と微笑み返すと、グループ内のひとりが近づいてきてこう耳打ちした。「ドイツ代表は、最初、変な腕章を巻いて試合に臨むと言っていた。あいつらはゲイだ。サムライがゲイ退治、よくやってくれた(笑)」と。

笑えなかった。複雑な気分だった。ドイツが、欧州諸国のなかでも特にサッカー界における性的マイノリティの問題に敏感なのを知っていたからだ。まだ私が欧州で取材活動をしていた2014年。元ドイツ代表のMFだったトーマス・ヒツルベルガー氏が、母国のマスコミに自身がゲイであることを公表。それ以来、サッカー界における性的マイノリティ差別が注目されることになった。現在、VfBシュトゥットガルトの取締役を務めるヒツルスペルガ―氏は、現役時代にカミングアウトしなかった理由を「代表から外されるかもしれないという恐怖があった」と述べている。

性的マイノリティの問題は、スポーツ界のみならず現代社会全体が考慮する問題だ。個人的に、氏のカミングアウトは実に勇気ある行為で、ゲイ(レズ)差別が蔓延しがちなサッカー界に一石を投じた重要な事件だったと思っている。

ただ、イスラム教圏ではコーランによって、特に男性の同性愛は「ハラム(禁忌)」として厳しく規制されているという(現実には、どういう状況なのか、無知な筆者には分からないが……)。私に耳打ちした彼も、そういう環境で育った普通の若者だとしたら、ある意味、あの言葉が“本音”か。

私自身は、性的マイノリティへの配慮は絶対に必要と考えている。ただ、それが“ハラム”の国で、その価値観を押し付けることができるのか。「時代錯誤だ」「差別だ」というのは簡単だ。ただ、何が正しく何が誤りなのか、私にそれを断定する能力はない。ワールドカップとは、筆者にとって、毎回、様々なことを考えさせてくれる大会でもある。

ファンビレッジではパレスチナ人サポーターたちとも交流した。彼らのひとりは、アラブでの開催で自分たちが“パレスチナ人”として受けいれられているのが嬉しいと語った。国連加盟国の50カ国以上(日本を含む)は、パレスチナを自治領として国家とは認めていない。一方、アラブ諸国は彼らの領土を正式な国家としているため、安心してカタールを訪れ、サッカー観戦を楽しめるのだという。

偶然だったかもしれないが、そのグループは全員ドイツのユニフォームに身を包んでいた。なぜ、ドイツなのか? たずねようとも思ったが、彼らとイスラエルとの複雑な関係が頭をよぎり、私はギリギリのところでその疑問をのみこんだのだった。

再びWhere is Messi?

メッシの“居場所”に戻ろう。

サウジ戦で“消えた”メッシだが、決勝トーナメントに入るころには、その存在にははっきりとした輪郭がよみがえり、色がつき、本来のリオネル・メッシの姿を我々は目の当たりにするようになる。

オーストラリア戦の先制ゴール(その前のベヒッチとの競り合いも凄かった)、オランダ戦、先制点につながったモリーナへのスルーパス(PKも)、クロアチア戦での“マスクマン”・グヴァルディオールを30メートル背負いながらのドリブルからのダメ押しアシストなどなど……。あのパワーワードを口にするものなどもはや誰もいなかった。

ただ、口にするものはいないが、世界のサッカーファンの多くは、その言葉を胸に浮かべ、アルゼンチンのゲームを追い続けるはめになったはずだ。アルゼンチンがボールを奪い攻撃に転じるたびに、我々は“彼”の姿を探した。彼の位置を確認し、そこにボールが出ることを祈って……。Where is Messi?

決勝戦については、もはや私が書くことはない。ものすごいゲームだった(メッシに焦点を当てて書いているが、エンバぺのとんでもないパフォーマンス、デシャン監督の大胆な選手交代、どれも震えるほどすごかった)。

試合後、画面の中で笑っているのは、メッシだった。会場には、応援歌『Muchachos ムチャ―チョス(若者たちよ)』がこだましている。メッシもファンと一緒に歌っている。

「俺はディエゴ(マラドーナ)とリオネル(メッシ)の地、アルゼンチンで生まれた……(中略)……3度目の世界チャンピオンになりたいんだ……(中略)……天国で彼の父と母と一緒に見守るディエゴの姿が見える。彼もリオネル、がんばれと励ましているぜ!」

思えば、ドーハで何度も聴いた歌。何人ものアルゼンチンサポーターが、マラドーナとメッシの両方の顔、名前がかかれたグッズを持ちながら、この歌を歌い、意味を説明してくれた。彼らはもはや“彼”を探す必要はない。今、彼らの新しい神が目の前にいるから。

一方、私はまだ、画面の中に“彼”を探していた。Where is Messi? アルゼンチンファンもなんならサウジファンも含め、世界中のサッカーフリークが、神になる“彼”を探し、求め続けた1か月がようやく終わりを迎えた。(了)


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