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【第64回】なぜ哲学ディベートが必要なのか?

■膨大な情報に流されて自己を見失っていませんか?
■デマやフェイクニュースに騙されていませんか?
■自分の頭で論理的・科学的に考えていますか?
★現代の日本社会では、多彩な分野の専門家がコンパクトに仕上げた「新書」こそが、最も厳選されたコンテンツといえます。この連載では、高橋昌一郎が「教養」を磨くために必読の新刊「新書」を選び抜いて紹介します!

「人生の選択」の哲学的背景

再び拙著を紹介するのはおこがましいのだが、ぜひ読者に楽しんでいただきたいのが『実践・哲学ディベート』である。本書が焦点を当てているのは、実際に誰もが遭遇する可能性のある多彩な「人生の選択」である。舞台は大学の研究室、教授と5人の学生がセミナーで話している光景……。読者は、発言者のどの論点に賛成あるいは反対するだろうか? どの論点に最も価値を見出すのか? その議論の先はどうなるか? これまで思いもしなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視野を広げて、一緒に考えてほしい!
 
さて、一般に「ディベート(debate)」とは相手を「打ち負かす(beat)」から派生した単語で、古くは「戦争」や「競争」を指示した言葉である。それが転じて「討論」や「議論」を意味するようになったわけだが、今でもディベートといえば、勝ち負けを競う弁論の「競技ディベート」を指すことが多い。
 
正式な競技ディベートでは、たとえば「死刑制度を存置すべきか否か」や「売買春を合法化してよいのか否か」のように、中間の選択肢が存在せず、明確に「肯定側」と「否定側」に分かれる「論題」が選ばれる。さらに、競技の参加者は「くじ引き」で肯定側になるか否定側になるかが決められる。競技ディベートでは、肯定か否定かの結論そのものが重要なのではなく、いかに怜悧れいりに推論を組み立てて審判を説得できるかが問われるからである。
 
古代ギリシャ時代の哲学者アリストテレスは、「いかなる状況においても説得の方法を見つけ出す能力」こそが「弁論術」だと定義した。競技ディベートが、その種の「説得の方法」を磨くための非常によい訓練になることは、明らかである。ただし、残念なことに、多くの現実的問題の背景には、さまざまな非常に興味深い哲学的問題が潜んでいるにもかかわらず、競技ディベートでは、そこまで深く踏み込んで議論することが少ない。
 
たとえば「尊厳死を容認すべきか否か」のような論題を競技ディベートで扱う場合、あくまで現代の医学的あるいは法的な立論から審判を説得しようとする立論が多く、その背景にある生命倫理観や死生観といった人生哲学を考察するケースは、ほとんどない。というのは、一般に哲学的見解は、「理想論」あるいは「抽象論」すぎると相手から批判される難点があるからである。議論の展開によっては、「非現実的・机上の空論」だと一言で反論されてしまう可能性もあるため、競技ディベートでは敬遠せざるをえないことが多くなる。
 
そこで、私が創始し、以前から推奨しているのが、議論に勝つことや、相手を論破し説得することが目的ではなく、純粋に多種多様な哲学的見解を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める「哲学ディベート」という議論の方法である。たとえば、「出生前診断を受けるべきか否か?」という問題は、実際に妊娠したカップルが判断を迫られる「人生の選択」の一つである。ところが、その現実の問題を追究していくと、実は、その背景に「人は、最終的には必ず不幸になるので生まれてこないほうがよい」という「反出生主義」と呼ばれる哲学的見解が潜んでいることがわかるだろう。
 
本書は、第1章「出生前診断と反出生主義」、第2章「英語教育と英語公用語論」、第3章「美容整形とルッキズム」、第4章「自動運転とAI倫理」、第5章「異種移植とロボット化」について、各章を現実的問題と哲学的問題の2つのセクションに分けた「実践・哲学ディベート」によって構成されている。章末には「一緒に考えてみよう」という課題もある。ぜひ参加してほしい!

本書のハイライト

哲学ディベートの目的は、現実問題の背後にある哲学的見解を見出し、お互いの意見や立場の相違を明らかにしていく過程で、かつて考えたこともなかった発想や、これまで気付かなかったものの見方を発見すること、さらにそこからまったく新しいアイディアを生み出すことにある(p. 6)。

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著者プロフィール

高橋昌一郎/たかはししょういちろう 國學院大學教授。専門は論理学・科学哲学。著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『愛の論理学』『東大生の論理』『小林秀雄の哲学』『哲学ディベート』『ノイマン・ゲーデル・チューリング』『科学哲学のすすめ』など、多数。


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