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Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」後編——『教養としてのパンク・ロック』第5回 by 川崎大助

『教養としてのロック名盤100』『教養としてのロック名曲100』(いずれも光文社新書)でおなじみの川崎大助さんの新連載が始まります。タイトルは「教養としてのパンク・ロック」。いろんな意味で、物議を醸すことは間違いありません。ただ、本連載を最後まで読んでいただければ、ご納得いただけるはずです。

過去の連載はこちら。

第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ

〈1〉Q1「どんな音楽がパンク・ロックなのか? 実例を」:後編

  基礎の次は「発展型」の実例を見てみよう。精神性はまぎれもないパンク・ロックでありながら、しかし音楽的にはさらに発展していった、という3曲。つまりパンク・ロックに立脚しつつ、そこから徒歩でたどっていける「果てしない未来への可能性」をも指し示してしまった――そんなナンバーが、これらの3つだ。

Song1: The Clash '(White Man) in Hammersmith Palais' (June 78) CBS, UK

ザ・クラッシュ「(ホワイト・マン)イン・ハマースミス・パレス」(1978年6月/CBS/英)

 パンク・ロックなのだが、レゲエなのだ。いや、レゲエなのに、熱き血潮たぎるロックであり、そしてまぎれもなくパンク――という1曲がこれだ。クラッシュの専売特許である必殺技「パンクな精神にて楽曲に取り組めば、元来それがどんなジャンルであろうとも、パンク・ロックになり得る」が、目に見えて発揮され始めたのは、ここらへんからだった。

 歌詞が玄妙だ。オールナイトのレゲエ・コンサートをハマースミス・パレスに観に行った主人公が、思いついたことをつらつらつぶやく、という外枠なのだが、これが――大袈裟に言うと、まるでプルースト『失われた時を求めて』のマドレーヌ効果のごとく――寂れゆくイギリスの「現在」の、かなり広い範囲を次から次へとで素描していくことになる。この点で当曲は、クラッシュの代表曲のひとつとして、またパンク・ロック史に残る名曲として、多くの人に記憶されている(レゲエなのに)。

 主人公は、社会に幻滅はしているものの、とくになにもできない(やらない)「ダメな白人の僕」だ。ジャマイカから「レベル・ロッカー」がやってくると期待したのに、そうじゃなかったという手前勝手な幻滅が引き金となって、そこから思考が広がっていく。印象的なフレーズは、多々ある。「オーヴァーコートに合わせて、投票先を変える人々は/アドルフ・ヒトラーが今日やって来たら、リムジンでお出迎えするんじゃないか」とか。「白人の若者、黒人の若者/もっと別の解決法を探したほうがいい」とか。「「UKのパンク・ロッカーは、喧嘩に忙しくて」いろんなことに気づけないんだ、とか……。そして結局のところは、主人公の自虐と自嘲へと、語りは収斂していく。こうしたモノローグの乗り物として「ぶっといレゲエのビート」が最適だということを、彼らはここで実証した。

 すでにして当曲で、ジョー・ストラマーは「政治的なパンク・ムーヴメント」すらをも対象化している。しかしそこにあるものは、諦念ではない。「白か黒か」と性急に答えを求めるがゆえに失敗する愚から、遠く離れていくための歌なのだ。主人公の意識の流れに同期していくことで、結果的に「革命は一日にして成らず」「だから歩みを止めないこと『こそ』が重要なのだ」といったテーゼが立ち上ってくるように、綿密に設計されている。当曲はシングル曲として制作された。『名曲100』にもランクイン。のちにアメリカ盤デビュー・アルバムに収録された。

Song2: Buzzcocks 'Ever Fallen in Love (With Someone You Shouldn't've)' (Sep. 78) United Artists, UK

バズコックス「エヴァー・フォーレン・イン・ラヴ(ウィズ・サムワン・ユー・シュドゥンヴ)」(1978年9月/ユナイテッド・アーティスツ/英)

 のちの世の「ポップ・パンク」と呼ばれるジャンル――つまり、かなり大きなマーケットを形成することになる「人好きがする」パンクの典型例――の、出発点と呼ぶべき傑作ナンバーがこれだ。すさまじくキャッチーなイントロ。ざらついて、しかし哀切の、2コードのストロークとリフ。そしてなによりもこの曲は「恋の歌」だった。当曲以前にも恋愛について歌ったパンク・ロックはあったが、これほどまでに「聴き手の感情をゆさぶった」ものは、なかった。「深い情感を共有する」という機能が、バズコックスによってパンク・ロックに書き加えられることになった。そんな画期的な1曲がこれだ。

 恋は恋でも、当曲は「決して叶わぬ恋」について歌っている。タイトルは「恋したことあるかい?(すべきじゃない人に)」という意味だ。だから歌い出しは、ウェットきわまりない。「お前は俺の自然な感情を袖にする/お前は俺を汚物になった気分にさせる/それって、つらいんだ」……巷間、このストーリーについて、いくつもの「読み」がある。不倫だとか、友人の彼女への横恋慕なのだとか、あるいは、ゲイであることを隠している人が、異性愛者の親友に対しての秘めたる気持ちを歌ったのだ、とか……とまれ主人公が抱え続けている、誰にも言えない胸苦しさを「ここでだけは」、つまり歌のなかでだけは吐露しているようなニュアンスなのだ。だから聴き手は、主人公に、あるいはソングライターであり歌い手のピート・シェリーに、バンドに、とても親密な感情を持った。まるで友だちのひとりがそこにいて、打ち明け話を聞かされているかのような。一緒になって涙を流し、つらいよなあ、それってつらいよねえ、と慰めあっている――かのような。

 イングランド北部の都市、マンチェスターのバンド・キッズが、セックス・ピストルズに大きな衝撃を受けて結成したのがバズコックスだった。つまり「パンク第二世代」であり、地方の星となるべき運命を彼らは背負った(そして、見事それを果たした)。この曲だけでも、21世紀の今日に至るまで、幾度もカヴァーされ、映画やドラマに使用され続けている。シングル発売され、アルバム『ラヴ・バイツ』に収録されている。 

Song3: The Stranglers 'No More Heroes' (Sep. 77) United Artists, UK

ザ・ストラングラーズ「ノー・モア・ヒーローズ」(1977年9月/ユナイテッド・アーティスツ/英)

 異色の、と枕詞を付与すべきパンク・ロッカーが彼らだ。ヴォーカル・ギターのヒュー・コーンウェルらが、当時の基準としては「高年齢」(と言っても20代終盤だったのだが)であり、かつまた、大学卒のメンバーがいた(ヒューは生物学の学士号取得後、スウェーデンの大学で研究生活を送っていた)。最大の「異色」は、キーボードが前面に出ていたところ。とかくギター・サウンド主体だったシーンのなかで、この点が斬新だった。しかしシンセ・ポップ的なニューウェイヴというわけではなく、精神性はまぎれもなくパンク。しかもかなり、暴力的な。

 アンサンブルの要となっているのは、ベースだ。この時代、パンクとレゲエの混淆にあらわれているように、ベースの存在感が次第に大きくなっていた。リズム隊の一員としてビートを支えるのは当然として、同時にまた、「低音のメロディ」にて楽曲を先導していくリード楽器としての役割も、しばしば担っていた。その典型例が、このジャン=ジャック・バーネルの、ぶりぶりと鳴る、でっかい音のベースだった。彼も大卒であり、また同時に、極真空手の黒帯である点も日本で話題となった。彼のありようが、ストラングラーズの暴力性のほとんど大半を説明している。つまり知性的で、かちっとタイトに構築された「一撃必殺」のパンク・ロックだということだ。

「ヒーローなんて、もういらない」と繰り返される当曲の主題は、たしかにパンク・ロックっぽい(クラッシュのナンバー「1977」みたいだ)。しかしその「ヒーロー」が、こっちの場合、ひと味違う。ロックスターやスポーツ・ヒーローとかではなく(以下、出順に沿って)、まずはトロツキー、次にレーニン、それから贋作画家のエルミア・デ・ホーリー、そして小説『ドン・キホーテ』に登場してくる従者のサンチョ・パンサ(つまり架空の人物だ)を並べて、そして彼らに「なにが起こったか?」と問う。「ヒーローたちに、なにが起こったのか?」と……まさに教養としか言いようのない方向から「暴」を振るうこのナンバーに、聴き手は新鮮なる興奮を覚えた。シェイクスピアの全作品も、存在を問われている。「奴らは、自分たちのローマが燃えるのを見たはずだ」と。

 パンク・ロックという「発想と態度」の出現は、無数の在野の才人たちへの目覚まし時計、もしくはビッグ・バン的な役割を果たした。ストラングラーズ同様、たとえばエルヴィス・コステロなども「パンクに触発されて」シーンの第一線へと躍り出た。そこからニューウェイヴやポスト・パンクといった、未来への架け橋が生まれ出た。そんな混沌のど真ん中で、狂おしく鳴り響くロックが当曲だった。意外にヴォーカルが演歌ちっく(こぶしが効いている)なのも、ストラングラーズ味だ。同名アルバムに収録されている。

  と、ここで一息。さらなるパンク・ロックの発展型や亜種、あるいはルーツ解析などについては、のちほどあらためて記そう。ここからは一度すこし音楽から離れて、文化体系としてのパンクに目を向けてみたい。次回はパンクスの「外見」つまりは「スタイル」から、思想にまで視野を広げたときに湧き上がるだろう「なんで?」についてのFAQだ。(続く)

川崎大助(かわさきだいすけ)
1965年生まれ。作家。88年、音楽雑誌「ロッキング・オン」にてライター・デビュー。93年、インディー雑誌「米国音楽」を創刊。執筆のほか、編集やデザイン、DJ、レコード・プロデュースもおこなう。著書に長篇小説『東京フールズゴールド』(河出書房新社)、『日本のロック名盤ベスト100』(講談社現代新書)、『教養としてのロック名盤ベスト100』『教養としてのロック名盤ベスト100』(ともに光文社新書)、評伝『僕と魚のブルーズ ~評伝フィッシュマンズ』(イースト・プレス)、訳書に『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』(光文社)がある。
Twitterは@dsk_kawasaki

 

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