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第15回 80年代に林真理子が描いた「女ともだち」の揺れる関係|三宅香帆

林真理子は、読まれているけど、読まれてない

本連載では、林真理子のことを評した本を第3回で扱った。

『文壇アイドル論』は、林真理子と対比させて上野千鶴子を置いている。が、上野千鶴子の80年代の著作が岩波現代文庫から最近復刊されたのとは対照的に、林真理子の80年代の著作といえばやはりエッセイ『ルンルンを買っておうちに帰ろう』なんじゃないか? という評価がなされている。

しかしなぜそんな評価がなされているかといえば、斎藤美奈子は「林真理子という作家はウーマンリブの落とし子だったから」と言う。つまり80年代の林真理子は、男性社会からの評価が得られづらい作家だった。それはほかならないウーマンリブの気分の継承者だったからだ。

(第3回 今こそ斎藤美奈子の80年代「バブル論」を)

そう、林真理子こそ、読まれているけれど読まれていない作家のひとりなのだ。

たしかに、林真理子の小説はベストセラーがいくつもあるし、エッセイも広く読まれてきた。『週刊文春』と『anan』の二誌にずっと連載を持っている作家なんて、おそらく後にも先にも林真理子以外に現れないだろう。

だが一方で、彼女の小説のなかにも、絶版になっている本は存在する。そのなかには「むしろ今読んだ方が面白く読めるのかも」と思ってしまう作品も多数ある。

たとえば、今から紹介する『胡桃くるみの家』がそうだ。

1989年に刊行されたこの短編集から、今回は「女ともだち」と題された作品について書いてみたいと思う。

本作の主人公は、東京で結婚して子供もいる、三十歳のじゆん。彼女は大学時代の友人から結婚式の招待を受けた。そしてその招待を受けた時、大学時代の女友達のことを思い出す――いつもはできる限り、見ないように考えないようにしている友人、あきの存在を。

暁子はいま、東京を離れ、どうやら仙台で主婦をやっているらしい。東京で主婦をやっている自分とは、違って。その事実を知った淳子は、どこか清々しいような、癒されたような気分になる。

そうして淳子は、大学時代のことを回想し始めるのだ。

このようなあらすじだけ説明すると、いかにもバブリーな、女性同士の対立を描いた物語が思い浮かぶかもしれない。つまり淳子は暁子にライバル意識を持っていて、だからこそ東京に現在住んでいる自分を、仙台に移住した暁子と比較し、少なからず優越感を覚えている、というような話ではないか、と。

だが「女ともだち」という作品の面白さは、そのような一筋縄ではいかない二人の関係性にある。

淳子と暁子の、微妙な関係の揺れを描いているところに、この話の魅力が存在するのだ。

苛立ちと心地よさの同居する「女ともだち」

大学時代の淳子は、出会ったばかりの暁子に対して、最初はされた感覚を持つ。都会のお嬢さんであり、男性にも好かれそうな暁子に対し、淳子は劣等感を抱いていたのだ。杉並出身で、なまりなく東京の言葉を喋り、しかし服装は平凡で全く気取らず、むしろ内気らしい暁子。それは上京したばかりの淳子にとって、なんだか腹の立つ存在だった。

しかし同じサークルで活動するにつれ、淳子は暁子と親しくなっていく。

向こう側から人が歩いてくると、暁子はひょいと淳子の腕をひく。実に巧みに除けさせてくれるのだった。
 いつのまにか、淳子は、暁子と触れ合う部分に力を込めていた。守られ、頼ることの心地よさは久しぶりだった。まだコンパの場所にも着いていないのに、体が酔ったようにふわふわとしている。
「この人、好きだあ……」
 シェイクをちゅっと吸うたびにそう思う。どうして最初からこうしなかったのだろうか。つまらない意地を張って、かなうことのない相手に向かっていこうとした。そのことがやっとわかったのだ。

(「女ともだち」、『胡桃の家』所収)

そう、淳子は暁子に対して、「心地よさ」を感じていくのだった。そしてその「心地よさ」は、暁子への愛着に繋がってゆく。

たとえば暁子に好意を寄せる異性に対し、「軽い憎しみ」を淳子は覚えるようになる。

祝福の言葉をささやきながら、淳子は田代に軽い憎しみを感じる。どうして田代程度の男が、臆面もなく暁子に近づいていこうとするのだろうか。その時彼は確かに、自分でも信じられないほどの幸福に、一歩足を踏み出そうとしていたのだ。

(「女ともだち」)

あるいは暁子の謙遜に対して、妙な苛立ちを抱くようになる。

両手で頬をおさえる暁子が不思議だった。
どうしてこんなに謙遜するんだろう。
自分が暁子だったら、もっと着飾り、もっと自慢気にふるまうはずである。それなのに彼女ときたらいつも地味ななりで、男に対しても控えめにしている。暁子の価値をいちばん認めていないのは、実は暁子自身のようで淳子は時々いらつくのだ。

(「女ともだち」)

淳子の、暁子に対する、愛着と、苛立ちと、そして「他の人のものになってほしくない」という執着。そのような感情が、この作品には、とても繊細に揺れ動くような形で描かれているのである。

林真理子といえば、トレンディドラマのような男女の恋愛小説、あるいは男女の恋愛大河ロマンや、社会の情勢を鋭く切り取った小説のイメージが強いかもしれない。しかし「女ともだち」を読むと、女性同士の繊細で、しかし綺麗なだけではない、揺れ動く関係性と、それにともなう感情をこんなに丁寧に描く作家なのか、と驚かされる。

こうした丁寧な手つきに支えられ、林真理子の描く女性同士の関係性は、想像以上に繊細なものになってゆく。作中、淳子と暁子のつきあいが長くなってきたある時、淳子は暁子の思いがけない一面を見ることになる。この時の「ふたりでいた時には分からなかった一面が、第三者が入ることで見えてくる」という構図もまた、なんだか現実にもありそうな話で唸ってしまう。

暁子の本当の姿は、読者にも淳子にも、分からないままだ。しかし現実もそんなものだろう。友達との関係性も、固定されずに揺れ動く。そしてその関係が、ただ一対一のものなのか、あるいは集団のなかでのものなのか、あるいはもう一人はいって三人になるのかで、かなり相手の印象は変わってゆく。

それはまさに「女ともだち」の在り方そのものではないだろうか。

しかしそんなふうに揺れ動く同性の印象を描いた作品は、案外多くない、と私は感じる。その書き手のひとりに80年代の林真理子がいることに、驚きつつ感動してしまうのだ。

今なら、どんな結末になるのだろう?

物語の終着点は、三十歳を超えた淳子の現在地に辿り着く。つまり、大学での思い出を経て、現在の淳子の物語――結局、淳子は暁子に対する自分と比較する感情に陥ってしまうのだ。

結婚した淳子は、暁子のことを、最終的に「自分には結局勝てない女」として位置づけるところで終わる。

しかしこれは現代の読者としては、ややもったいないような気もしてしまう。大学時代にだけあり得た、同性の友達への、微妙な感情。それは三十歳になって、お互い家庭にはいった先では、結局消えてしまうのだろうか。――案外子供が独立してみたら、また違った感想を持つような気もするのだが。そう、結末にはややもったいなさを感じてしまう読者としては、「この『女ともだち』を更新するような小説が読みたい」と感じてしまうのだ。

ぜひ本作を読んで淳子と暁子の続きの物語を妄想してみてほしい。この作品が刊行されたのが令和だったら、このふたりの結末に、どのような終着点を与えるのだろうか、と私は思わず考え込んでしまった。

一緒にいると自分の劣等感が刺激され、しかし相手はそれに気づいておらず、ふたりでいるとなんだかどんどん心地よさを感じ、好きになってしまう同性。しかし我に返ると、やっぱり自分の劣等感を刺激してきて、ずっと一緒にはいられない、女ともだち。

揺れ動くふたりの関係性の描写は、私は案外、普遍的なものだと思うのだ。

今回の絶版本

前回はこちら

著者プロフィール

三宅香帆(みやけ・かほ)/1994年、高知県生まれ。書評家。京都大学文学部卒業、同大学院人間・環境学研究科修士課程修了。2017年、『人生を狂わす名著50』でデビュー。おもな著書に、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『妄想とツッコミでよむ万葉集』(だいわ文庫)、『女の子の謎を解く』(笠間書院)、『それを読むたび思い出す』(青土社)ほか多数。最新刊は、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。


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