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すごくてヘンな曲『ボヘミアン・ラプソディ』の裏にあるクイーンのビジュアル戦略と"コンプレックス・ソング"

映画の大ヒットも記憶に新しいクイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』。「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」はどこか「ヘン」な曲でもあります。そこに込められていると噂される、ある「謎」のことを知っていますか?
映画研究者かつクイーンの音楽を愛する菅原裕子さんが、「謎」を追いかけた先に見たものとは―― 
今回のトップ画は、フレディ自身による美術学校時代のデッサン画。当初は服飾デザインを学んでいた。ジミ・ヘンドリックスは憧れの存在。ポール・マッカートニーにも大きな影響を受けた。
前回の記事(第1章)はこちらから。
連載全体の見取り図はこちらからご確認できます。
ぜひクイーンの音楽を聴きながら、ゆっくり楽しんでください。
(記事は頂いた原稿を端折らずにすべて公開しております!)

「普通にいい音楽だと思います」

 今回は、楽曲『ボヘミアン・ラプソディ』がどのように「すごく」て、かつ、どのように「ヘン」なのかを探っていく。彼らの初めての大ヒットであり、なんといっても映画のタイトルにもなった、バンドにとっても特別な曲である。

 留意してほしいのは、ただすごいだけではなくて「ヘン」であること。すごいけどヘンテコ、ヘンテコだけどすごい。あるいはヘンテコだからすごいのかもしれない。その理由を大きく三つ(①ビジュアル ②音楽性 ③歌詞) に分けて、説明する。今回はビジュアルと音楽性にフォーカスし、次回は歌詞を扱う。

 大学の授業では、ある意味この曲を「布教」するようなつもりで扱った。映画公開前は、グループやこの曲に関して予備知識のない人が大半を占めた。特に音楽性について当初なるべく情報を与えないようにしてプロモーションビデオを見せ、率直な感想、意見を聞いてみた。圧倒され、言葉で表現しにくいようで、正直よくわからない、困惑しているといった反応が一番多かった。音楽性だけでなく服装や髪型などのファッションも、2000年生まれの彼らにはまったく別世界のものと映ったようだ。

 ただ、中には後に解説するような音楽性についてかなり詳しく述べる学生もごくわずかだがいて、驚かされたこともあった。妙に印象に残っているのは、ある学生の「普通にいい音楽だと思います」という言葉。特にヘンではなく「普通に」受け入れ可能ということらしい。そして彼らにとって「普通に」というのはかなりのほめ言葉なのである。

①元祖ビジュアル系の戦略

 本楽曲を語る際に決して外せないのが、今や伝説となったプロモーションビデオである。当時は宣伝のための音楽ビデオ自体がめずらしく、前例もほぼなかった。「ビジュアル系」の先駆けと言ってよいだろう。

 当時テレビの音楽番組は生放送が原則だったため、ツアーに出ている間テレビ出演できないデメリットを補うためという、ごく現実的な理由により制作されたのだが、デビュー当時から彼らは自分たちをいかに魅力的に「見せる」か、視覚的な要素がバンドを売ることにどれほど重要かということに意識的だった。

 ステージでのパフォーマンスや衣装にもかなりこだわりがあり、たとえば白のひらひらとした袖が特徴的な通称「白鷺ルック」は日本のファンにもつとに有名である(世界的デザイナー、ザンドラ・ローズは、フレディとブライアンが連れ立って彼女のアトリエにやってきた当時のことを述懐している)。

 ステージに出てきたフレディがパッと手を上げると、ちょうど白鷺が羽を広げたようになり客席が沸くわけである。スタイリングは主にフレディの提案が多かったようだが、前座の頃からこのような工夫が凝らされており、オーディエンスを楽しませるステージを常に心がけたのは彼らのキャリアに一貫して見られる。ビジュアル重視という流れで、オリジナルビデオ制作のアイデアが出てきたのもごく自然だっただろう。

曲は40秒過ぎから始まるのでしばしお待ちを。「白鷺感」とユニークなステージング、初期クイーンの魅力全開!

 衣装やステージングだけでなく、バンドのロゴもその「ビジュアル戦略」の一環であると指摘するのは、ポピュラー音楽を専門とするチェスター大学准教授ルース・ドックレー氏である。一目見れば忘れがたい印象を残すロゴ だが、作成したのはフレディである。大学でグラフィックデザインを学んでいた彼にとって、このような作品制作はお手のものだったのだろう。ジミ・ヘンドリックスやポール・マッカートニー等ミュージシャンのデッサンや洋服のデザイン画など学生時代の作品も残っており、インターネットで閲覧することもできる。音楽だけに飽き足らず、なんと多才な人なのかと感嘆せずにいられない。


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 ドックレー氏によると、結成間もない頃、彼らも多くの学生バンドと共にあちこちでライブ演奏をしていた。たとえアマチュアの小さい舞台であっても、演奏する際に(音楽だけでなく)名前も売らなければならないが、多くはバスドラムにただバンド名を書くのが常であったという。

 しかし彼らは名前の代わりにロゴを使い、見事に自分たちのイメージをビジュアル化してみせた。それはいうまでもなく「紋章」であり「家紋」である。王家を連想させるデザインはバンド全体のイメージと合致し、バンド名とダイレクトにつながって記憶に残る。同時に、王家の「紋章」による自分たちのブランド化もできるのだ。ちょっとハイクラス、あるいは癖のあるイメージを鮮烈に植えつけることができる有用なツールというわけだ。 

 とにかく「頭のいい」人たちである。デビュー後も不遇の時期が続き、実際に世に出るまで時間がかかったが、必ず売れると信じ、そのための戦略を練っていたというのもうなずける。

頭脳派集団

 実際、メンバーたちがいずれも高学歴なこともよく知られている。当時イギリスの大学進学率は10%以下。大学(ほぼすべてが公立)に進学するのは、今とは比較にならないくらい、限られたエリートのみである。

 フレディはイーリング・アート・カレッジ卒業。アートを専門に勉強する、大学に準じる美術学校である。面識はなかったようだが、ミュージシャンでは5歳ほど年上のザ・フーのピート・タウンゼントも同校に学んでいる。ちなみに、イギリスの教育制度は私たちにとってあまりなじみのあるものではないが、中等教育機関であるグラマー・スクール(公立の進学校のようなもの) を卒業した後、アート系進学希望の者は主に1)工芸系と2)高等教育美術学校の選択肢があり、フレディの学んだ課程は後者である。

 残りのメンバーはいずれも理系で、大学に進んでいる。ブライアン・メイはインペリアル・カレッジ・ロンドン天体物理学を専攻していた。エンジニアだった父親は、優秀な息子が大学そっちのけで音楽に力を入れ、大学院へ進学せず音楽ビジネスに入ることに抵抗があったという。その後2007年、60歳で博士号を取得したことも大いに話題になった。2016年フレディの70歳の誕生日には、彼の名を冠した新しい小惑星の発見が発表されたが、祝賀イベントでブライアンがスピーチをしたことは言うまでもない。

 ロジャーは当初歯科医になるつもりだったが途中で進路を変更し、生物学専攻(ノース・ロンドン工芸大学)に移る。ジョンはロンドン大学チェルシー・カレッジ電子工学を修めた。三人共グラマー・スクールでは複数の科目で最高のAレベルを修めた優秀な学生であった。ワーキングクラス出身のミュージシャンが大半の中、このような「インテリ」個性派ぞろいは珍しい。変わり種四人組だ。

 しかも後々明らかになるのが、全員が楽器や作曲に関して優れた才能の持ち主であったことだ。バンド活動が長くなればメンバーの脱退や入れ替えが往々にして起こるものだが、(数回の危機はあったにせよ)全員がオリジナルのまま活動を継続できたのも、それぞれが実力を備え、お互いを尊重し合えたからだろう。

 たとえば、ベース担当のジョンは、ブライアンやロジャーのようにボーカルを担当することもなく、性格的にも物静かなため影が薄い印象を与えがちだったが、彼が作曲した**『地獄へ道づれ』(Another One Bites the Dust) **(1980年)はグループ最大のヒット曲となり、全世界で破格のセールスを打ち立てた。それぞれの個性が音楽に異なる持ち味をもたらし、楽曲のバリエーションを豊かにしたことは明らかだ。フレディがフロントマンでグループの主役というわけではなかった。

 音楽番組『トップ・オブ・ザ・トップス』で『ボヘミアン・ラプソディ』の プロモーションビデオが放送された翌日、人々は「あのフィルム観た?」と騒然となった。

 とりわけオープニングの特殊効果が大きな話題を呼んだ。メンバーの顔が何重にも重なる場面は合成ではなく、特別なレンズを使用して撮影された。録音風景は映画版でも詳細に描かれ、映画のハイライトの一つでもあるが、特にオペラパートのメンバーの合唱は何度も何度もマスターテープに音を重ね、多大なる労力を要した。音を重ねすぎてマスターテープが劣化したほどだ。

 ドキュメンタリー『Inside the Rhapsody』では、実際に曲を聴きながらブライアンが解説し、興味深い撮影秘話も聞くことができる。この曲がいかに緻密に作られたか、ブライアンがフレディの歌唱力、発想力にどれほど感嘆したかが語られている。そして発表後、たちまち本国のヒットチャートを駆け上がり、9週連続ナンバーワンという前代未聞の成功を収めたのである。

②オキテ破りの音楽性

 リスナーを熱狂させたこの楽曲は、あらゆる意味で「破格」であった。さきほど触れたように、何層にもわたりテープに音を重ねるという録音自体が尋常ではなかったのだが、まず人々を驚かせたのは、とにかく曲が長いことだった(5分57秒)。6分近くある曲は今ではめずらしくないが、当時このような前例はまずなかった。1975年のヒットチャートを見ると、スタイリスティクスの『愛がすべて』、ロッド・スチュワートの『セイリング』、日本でも人気の高かったベイ・シティ・ローラーズの『サタデー・ナイト』などが名を連ねており、いずれも3分から4分程度が主流である。長すぎてラジオでもかけられないと、レコード会社の上層部はシングルカットを断固拒否し、フレディが反対を押し切って友人のDJケニー・エヴェレットに音源を持ち込み、売り込んだエピソードは有名である。エヴェレットは自分の番組でこの曲を繰り返しかけた。その結果、レコード発売前から店先に並ぶファンが現れ始め、テレビ放映後の爆発的ヒットを後押しした。

 そして、この曲の長さはその特別な音楽構成にもよるものである。一曲の中に変調がいくつもある。いきなりアカペラのコーラスに始まり(パートA)、フレディのしっとりしたバラード(パートB)へと続き、しかし独特の喧騒に満ちたオペラ風(パートC)へとがらりと変わり、次にハードロック調ギターソロ(パートD)が続き、再びフレディのボーカル(パートB)へと戻り、終わる。つまり、この曲にはAアカペラ→B バラード→C オペラ→D ハードロック→B バラード という、異なるジャンルが共存しているのである。

 普通は、イントロの次にAメロが入り、Bメロ、サビ、またAメロに戻り、Bメロ、間奏….などと続くものだ。もちろんアレンジは無数にあるが、標準的には、聞いていて予定調和の安定感や安心感を覚えるよう構成されることが多い。しかし『ボヘミアン・ラプソディ』は初めて聴くものに「次」を予想させない。従来の商業的ルールにまったく従わないルール破りの曲なのである。

コンプレックス・ソング

 このような特徴的な音楽性について、前述のドックレー氏はクイーンの他の一連の楽曲と共に「コンプレックス・ソング」 であると分類する。彼女は修士論文“Complex Songs and Anthems”(コンプレックス・ソングとアンセム)でクイーンの楽曲を分析し、2002年のNHK『ボヘミアン・ラプソディ殺人事件』でも一部紹介された。幸運にもこの修士論文は、翻訳者岡田奈知氏の尽力によって『国歌になったクイーン』(牧歌舎)というタイトルで出版されている。入手が難しい本だが公共図書館に一部所蔵されているので確認されたい。クイーンを愛するドックレー氏と、同じく彼らを愛し、クイーンの通訳を目指して当時ロンドンに留学中だった岡田氏の熱いコラボ――良書である。

 「コンプレックス・ソング」とは「複雑に入り組んだ曲」を意味し、日本語の「コンプレックス」(劣等感)とは無関係である。「アンセム」――スポーツの場の応援歌のようにオーディエンスの参加を目的とした曲(たとえば『伝説のチャンピオン』(We are the Champions)『ウィー・ウィル・ロック・ユー』(We will Rock You)など)とは異なり、込み入った仕掛けが曲を魅力的にしているタイプの楽曲を指す。

 一曲の中に異なるスタイルが盛り込まれ、それらが一つの物語を構成している。そして実際、フレディは『ボヘミアン・ラプソディ』が、元々は三曲別々に作ったものを合体させたものだと発言している。『ザ・カウボーイ・ソング』と題された歌詞を、ブライアンや他の友人が見たという証言があり、どうやらその一部はクイーン結成以前のもののようだ。つまり、正真正銘のコンプレックス・ソングなのである。

 また、実は『ボヘミアン・ラプソディ』以前からクイーンの音楽を聴いていたファンの多くは、この曲の出現にそれほど驚かなかったという話をちらほら聞く。私はリアルタイムで触れていなかったせいもあり、それ以前の楽曲は今回遡って初めて聴いてみたのだが、なるほど、非常に合点がいった。

 音楽に限らず映画や絵画、小説などもそうだろうが、ある程度長期的なスパンで一人のアーティストの作品を追っていくと、作品にその数年の痕跡が残されるものである。当時の精神状態や方向性、影響を受けたものがどこかに反映されていたり、試行錯誤を繰り返しては徐々に洗練されていく様が爪あとのように刻まれることがままある。途中で方向性が変わったり、あるいは回帰していくこともあるだろう。本楽曲については、それ以前につながりが見られる楽曲が複数あり、また、その後の作品にも延長線にあるような、いわば発展形のような曲が存在する。

 たとえば、1974年の『マーチ・オブ・ブラック・クイーン』は『ボヘミアン・ラプソディ』を彷彿とさせる。「本楽曲を予言するような作品」(ドックレー氏)という指摘どおり、ブロックごとに複雑に展開していく点に類似が見られ、6分33秒と非常に長尺であることも共通している。アカペラやコーラスのバリエーションも豊富で、ただしそれらは『ボヘミアン・ラプソディ』のものとは少し異なっているように思える。未曽有の大ヒットとなった曲を仮に「完成形」とするならば、そこに到達する前の「試行錯誤」もチャレンジに満ちて豊かである。プログレッシブロックの要素もあり、クラシック音楽との関連性が指摘されることもある。

 また、それ以前の『マイ・フェアリー・キング』(1973年)も、『マーチ・オブ・ブラック・クイーン』『ボヘミアン・ラプソディ』に先駆ける楽曲として注目に値する。ブライアンも「この比較的知られていない曲」が後の二曲につながったと発言しており、このことから、ファーストアルバム『戦慄の王女』の時点でバンドとして重要な音楽性の萌芽が明らかに見られ、その後短い時間で確実に熟していったと言えよう。

 そしてこれら(特に『マーチ・オブ・ブラック・クイーン』と『ボヘミアン・ラプソディ』の二曲)の叙事詩的な流れは、晩年の『イニュエンドゥ』(1991年)にもつながっていく。フレディ存命中最後のアルバムの表題曲となったこの大作は同様に6分を越え、美しいハーモニーパートを含み、よりドラマチックで重厚さを増している。

 むろん、1970年代に作られた曲群とまったく同じ印象を与えるわけではないが、フラメンコギターが異国情緒を醸し出し、より洗練された一つの成熟の形を表しているように思える。当時フレディが闘病末期にあったことを思うと胸がつまるが、結果として彼の最後を刻み込む作品が、このような初期の流れからの一つの結実の形であることは感慨深い。(つづく)

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書き手:すがはら・ゆうこ/学術博士(名古屋大学)
専門は映画研究。元々の洋画好き&洋楽好きが高じて、現在は非常勤にて名古屋市内複数の大学で英語講座を担当。
『ボヘミアン・ラプソディ』は大学1年生対象の授業で曲を扱ったのがきっかけで、その後カルチャーセンターから愛知サマーセミナーの講座へと発展。ファンの方々の熱い思いに直に触れ、リサーチをまとめたものを書き下ろしました。『ボヘミアン・ラプソディ』の謎解きの、さらに向こうにお連れします。現在、出版するべく奮闘中。応援よろしくお願いします!

最後まで読んでいただきありがとうございました。みなさまの「スキ」が出版に繋がります。ぜひお願いします!

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