愛の不時着ヒットの肝は”お母さんみたいにケアする彼氏”
光文社新書の永林です。昨年は今までにない大変な年となってしまいましたが、皆様は無事にお正月を迎えられたでしょうか。
さて、光文社新書noteは、新年の今日から新しいマガジンを始めます。現在、ジャーナリストの治部れんげさんに「ジェンダーで見るヒットドラマ」(仮題・初夏発売予定)という本をご執筆いただいており、その原稿をここnoteで先行公開してしまうという、太っ腹な企画なのです!
6月16日に発売した新書で一気読みはこちらから ↓
こんにちは、ジャーナリストの治部れんげです。現在、色んな国のドラマを女性像男性像など“ジェンダーの視点”から見てみよう、という本を執筆中です。ここ数年、ネット配信のドラマを夜な夜な見る生活を送っています。ある時、気づいたのは、自分が面白いと思うドラマは、ジェンダーの観点から見て新しいことでした。連載が始まりますのでどうぞ宜しくお願いします。
昨年は、CMやら企業SNSやらがジェンダー関連で炎上するたび、治部さんのコメントをあちこちでお見掛けしました。取材や執筆の傍ら、新聞の論壇委員やイベントのモデレーターなどを淡々とこなされる治部さんですが、実は無類の海外ドラマ好き! 会社員時代には徹夜で「24」を見まくったせいで昼過ぎまで会社に行けなかったり、昨年は「愛の不時着沼」にどっぷりハマっていたりと、常に最新のドラマに愛を注いでいる人なのです。
治部れんげ/ジャーナリスト、昭和女子大学研究員、東大情報学環客員研究員 1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。取材分野は、働く女性、男性の育児参加、子育て支援政策、グローバル教育、メディアとダイバーシティなど。東京都男女平等参画審議会委員(第5期)。財団法人ジョイセフ理事。財団法人女性労働協会評議員。豊島区男女共同参画推進会議会長。
今回の本では、韓国、北米、ヨーロッパ、そして日本と、各国のドラマをジェンダー目線で見ていきます。エンタメの中でも最も世相を反映する「連ドラ」がテーマだけに、いち早く、そして幅広く、ドラマ好きのみなさんに読んで頂きたく、光文社新書noteマガジンにて先行公開することにしました。
連載ページはこちら!
第1回の今回は、「愛の不時着」をジェンダー視点で分析した原稿の前編です。主演のヒョンビン&ソン・イェジンが交際中であることがまさに今日(1月1日)発表されたこともあり、不時着ラバーがまたまた盛り上がっています! リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)の新たな"お母さんみたい”な魅力を知って、お正月休みに(もう一度?)一気見しましょう‼
※記事内にネタバレがあります。ドラマ未視聴の方はご注意ください。
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第4次韓流ブームを起こした大ヒット作の本質は
ケアワークするヒーロー像と自立したヒロイン像
私が本書を書くきっかけになったのは、2020年春に「愛の不時着」を見たことです。ドラマの存在は少し前から知っていましたが、べたべた甘そうなタイトルだけで、私の好みではないと思い込んでいました。視聴に至ったきっかけは、仕事やプライベートで「心の姉」と慕っている友人のお勧めでした。
予想に反して私は「不時着」にハマり込み、毎晩のように「●話、見た?」「あのシーンがいいよね!」と友人とチャットで語り合うようになりました。Facebookに感想を書き込むと、当初は反応が少なかったのが「ふだん恋愛ドラマを見なそうな治部さんがそんなに言うなら、と思って見たら、すっごい良かった!」という声が聞こえるようになり、不時着感想交換会の輪は徐々に広がっていったのです。
2020年夏には「不時着」を語り合うzoom飲み会を開き、ウェブメディアBusiness Insider主催のオンライントークイベントに出たりしました。私の本業である書く仕事では、3月末にFRaUウェブ版、4月初旬にVogueウェブ版、そして5月末には朝日新聞論壇委員として「あすを探る」というコーナーに「『愛の不時着』、侮るなかれ」というコラムを書いています。
そんな縁で、映画評論が専門の記者やライターさん、監督の方と一緒に、映像業界におけるジェンダーやダイバーシティを語るオンラインイベントでお話する機会もいただきました。Twitterで「不時着」ファンの投稿を読んで楽しんだり、会話をしたりするようになり、友達も増えたように思います。
4月からはNHKラジオで「まいにちハングル講座」を毎日聴いており、12月にはハングル検定5級を受けました。それまでハングルは一文字も読めなかったので、一番簡単なものでも受かると嬉しかったです。こんな具合に「不時着」をきっかけに、コロナ禍の中で、希望や楽しみを見つけ、世界が広がり、この本を書くことにもなって、良いことずくめです。
前置きが長くなりましたが、ここであらためてドラマ「愛の不時着」の何が良かったのか、韓国はもとより、日本でも長らくNetflixの人気トップを飾り、2020年の新語・流行語大賞に選ばれるほどの社会現象となったのはなぜか、本書のテーマであるジェンダーの視点から総括してみましょう。
◆強く楽しく自立したニューヒロイン
「愛の不時着」の基本構図は現代版「ロミオとジュリエット」。38度線をはさんで分断された北朝鮮と大韓民国に住む男女が恋に落ちる物語です。70年前に起きた朝鮮戦争の「休戦」は今も続いていて、両国は自由に行き来できない上、連絡も取り合えません。舞台を知るだけで悲劇のイメージが喚起されますし、主演のヒョンビンとソン・イェジンは美男美女のベテラン俳優で、泣かせる演技に長けています。
一方で「絵に描いたような王道ラブストーリー」は、ともすれば陳腐になりかねません。大ヒットした理由は、古典的なモチーフを飽きずに見せる、視聴者の喜怒哀楽を喚起する巧みな構成にあります。
ヒロインがパラグライダーの事故で北朝鮮に″不時着″して以降、正体を隠して過ごす冒険にハラハラし、悪役の少佐による主役カップルへの攻撃にドキドキし、2人の恋の行方にときめきを感じ、魅力的な脇役のコミカルな言動に笑うといった具合です。毎回90~120分近く、映画1本分程度の長さがありますが、中だるみがありません。スリリングなシーンの後には安心が、ラブシーンの後には笑いが織り込まれ、緩急がついているためです。
ところで、実際に見始めると、前情報のイメージと大きく違うことに気づきます。それは、ヒロインのユン・セリ(ソン・イェジン)がとても元気ではっきりした、面白い性格ということです。インタビュー記事で、ソン・イェジン自身が「セリは、ハツラツとした性格」とか「セリが面白い」と語り、役作りのために「笑い」について研究したとも話しています。
私は春にひとりで何度も見た後、秋には小学3年生の娘と一緒に、再び全話を通して視聴しました。娘は「セリが美人!」「この人、キレイ!」とひとしきり盛り上がった後で「セリ、面白い!」と喜んでいました。単に美しいだけでなく、はっきりものを言うところが魅力的なキャラクターなのです。
この設定を踏まえると、「愛の不時着」についての記事のほとんどがセリを「財閥令嬢」と紹介していることに違和感を覚えます。その言葉には、生まれつき超富裕層のお嬢様という意味がありますが、自分の手で人生を切り開いてきたセリの強さや意思が全く感じられないからです。
実は、セリは父親の愛人が産んだ子で、新生児の時にユン家に連れてこられました。正妻は、自身の2人の息子とともに、愛人の子であるセリを育てるという、とんでもない苦行を強いられるのです。そして兄たちは自分より優秀なセリを目の敵にしています。セリは、このような家庭環境で苦しみながら育ちます。20代で実家を出ると独力でファッション企業を立ち上げ、父親や実家の力を借りずに上場までこぎつけるのです。
つまり、セリは恵まれた「財閥令嬢」ではあるものの、大人になってから自力で「起業家女性」になった人物です。困難な環境にあって、自分の生きる道を自分で切り開き、選び取ってきたことは、彼女が創業した会社にSeri’s Choice(セリズ・チョイス:セリの選択)と名付けたことに表れています。
このように、ヒロインの成育歴や生き方を見てみると、セリを紹介する最初のひとことは「財閥令嬢」ではなく「上場企業経営者」とか「女性起業家」であるべき、と思います。そこで、5月末、朝日新聞にコラムを書いた際、私はセリを「上場企業創業社長」と書きました。たかだか数文字の呼称ではありますが、受け身なヒロインではなく、自力で成功した女性であることを知れば、当初、私がこのドラマに抱いた甘いだけのお話という思い込みを減らせると考えたからです。
◆家族をつなぐのは血縁よりも共に囲む食卓
私が考える「愛の不時着」高評価の理由は、固定的な性別役割分担の逆転と、有毒な男性性のないヒーロー像でした。それは、北朝鮮の特殊部隊大尉リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)が、不時着してきたセリを匿い、麺料理を作りコーヒーを豆から炒って淹れてあげ、洋服やシャンプー、リンスなどを闇市場から調達する、といった具合に無償ケア労働をするところに表れています。
ジョンヒョクのケアを受け入れるセリが、北朝鮮で様々なものを美味しそうに食べるシーンも印象的でした。韓国では、前述の家族関係から、他人を信じられず、食事は3口程度しか食べなかったセリが、北朝鮮では本当によく食べます。ジョンヒョクと2回目に会った際にセリが口にしたセリフは「ごはん、くれない?」でしたし、彼の家に上がり込んだ後は「私は1日2回、お肉を食べるの」と言って、北朝鮮では貴重な肉を焼かせるのです。
数ある食事シーンの中でも特に印象的なのは、ジョンヒョクの家の庭で、彼の部下である中隊員4人と共に、セリが「ハマグリのガソリン焼き」を食べる場面です。ござの上に並べたハマグリにガソリンをかけて火をつけ、中身に火を通した後、熱い殻でやけどしないよう、軍手をつけて貝を持ち、殻をあけて中身をすすって食べ、殻に焼酎を入れて飲んでいました。
当初、セリは「貝はブイヤベースでしか食べたことがない」「お酒はソーヴィニヨンブランしか飲まない」と、この素朴な料理に抵抗感を示します。ところが、実際に食べてみると思いのほか美味しく、喜んで食べながら、中隊員たちとのお喋りに夢中になるのです。その様子を少し離れたところから見て、嬉しそうにしているジョンヒョクの優しいまなざしが心に残ります。
一緒に食卓を囲むこと、楽しく話しながら食べることの重要性は、この後も繰り返し描かれており、本作の主要テーマの1つと言えます。
ハマグリの場面と対比されるのは、ソウルにあるユン家の食卓です。大理石とおぼしき白い石造りのダイニングルームで豪華な食卓を囲む、家長の父親、正妻、息子2人とその妻たちがいます。彼らは血縁や婚姻関係で結ばれ、法的にも社会的にも認められた正式な家族です。でも、豊かな暮らしをしているのに全く幸せそうには見えません。後に父親が、相続や事業の後継に関わる話題がなければ、子ども達が実家に食事にすら来ない、と嘆くシーンがあります。要するに彼らはお金だけでつながった関係なのです。
一方で、血縁がないどころか一緒にいることが違法になる、セリとジョンヒョク、そして北の中隊員たち。セリが彼らと素朴な食べ物を美味しく楽しそうに食べ、しりとりに興じているのは実に対照的です。別のシーンでセリは、ご飯のおこげに砂糖をつけて食べるという超庶民的なおやつをつまみながら「(韓国では)〝少食姫〟っていうあだ名までついた私が、おこげにハマるなんて」とぼやきますが、その様子はとても幸せそうです。
家族は「愛」の共同体とされます。それでは「愛」とは一体何なのか。このドラマは、愛は血縁とは無関係である、と説きます。また、愛とは法律婚によって生み出されるものでもない、ということを描きます。正式な婚姻関係にあるセリの両親が確執を抱えながら離婚はできず、食事の際も離れたところに座り、心が通わない状態にあるのに対し、ドラマの最後まで結婚はしないセリとジョンヒョクは、強い絆で結ばれています。セリを守るため、命をかける北の中隊員たちも、家族同然の愛情で結ばれています。
また、ドラマに何度か登場するのは、自分が死ぬことより相手が死ぬことの方が耐え難い、という価値観です。北朝鮮でセリが誘拐された時、ジョンヒョクは「彼女を守れなかったら、僕の人生は地獄になります」と話します。そして、セリを守るためにソウルに来たことで、北へ帰った後、軍事裁判にかけられ死刑になる可能性があっても「全く後悔していない」と言うのです。
このように相手の安全と健康、命を自分より優先するのは、男性だけではありません。ヒロインのセリもまた、ジョンヒョクが銃撃された際、自分の血液を彼に輸血するため病院に残り、やっとの思いで確保した出国の飛行機を逃します。また、ジョンヒョクが物陰から撃たれそうになると、自分も襲われる危険があるのに彼を守ろうとしたり、自らが盾となって銃弾を受けて彼を守ったりするのです。
自己犠牲こそが愛の本質である、というテーマは、古今東西、様々な文学や映画が描き続けてきました。このドラマでは、ともすれば自己陶酔に見えてしまう「相手を自分より優先する」思考と行動を自然に見せています。説得力の理由は、丁寧な日常描写の積み上げにあると言えるでしょう。
他人同士なのに、自分より相手を大事に思えるのはなぜか。人と人が知り合い、親しくなり、愛情を育むには時間がかかります。共に過ごす日常生活の中で、徐々にお互いの人となりを知り、心を寄せていく過程において「食事」が非常に重要な役割を果たしています。ジェンダー規範に加えて、家族観も伝統的な血縁主義を脱してアップデートしているところが新しいと言えます。
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記事後編はこちらの書籍でお読みください!
◆『愛の不時着』(2019年、韓国)
Netflixで配信中。ヒョンビン、ソン・イェジン主演。韓国では第56回百想芸術大賞助演女優賞(キム・ソニョン)、同TikTok人気賞(ヒョンビン、ソン・イェジン)。日本では20年ユーキャン新語・流行語大賞。