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【都知事選】小池百合子都知事に挑戦する山本太郎が目指す社会とは?

前編はこちら 画像提供/AFLO

障がい者を「ドラマティック」に起用

れいわ新選組の参院選での戦い方でもっとも画期的であったのは、やはり重度障がい者を「特定枠」で擁立したことに尽きると思います。

先に述べた「感動ポピュリズム」を推進するうえで、これほどセンセーショナルな起爆剤はないからです。しかも、これはソーシャルメディアをはじめとするネットへの波及効果を考えれば、「破格」の「話題性」を持ち込む最終兵器でもありました。なぜか。日本の政治史上、このような試みは前代未聞だからです。 

「比例特定枠」の二人は、難病のALS患者で介護サービス事業「株式会社アース」の副社長を務め、「全身まひギタリスト」としても活動する舩後靖彦、脳性まひを伴う重度身体障がい者で全都在宅障害者の保障を考える会代表などを務める木村英子。順に一位、二位という位置付けで、山本は三位の立場でした。

山本はこのアイデアをかなり前から温めていたことを、様々なメディアの取材に答える形で明らかにしています。「何より、ドラマティックで面白い、と考えた」と語っているのがとても印象的でした(★1)。以前からこの二人とは出馬に向けた交渉をしており、本人から確約も取ってはいたが、タイミングが来るまではかん口令を敷いていたのです。まさに策士です。

一見効果的な話題作りだけを念頭に置いたように思えるこのアイデアは、れいわ新選組が掲げる決意(綱領)を世の中に問う上うえで最高の布陣でもありました。

日本を守る、とは
あなたを守ることから始まる。
あなたを守るとは、 あなたが明日の生活を心配せず、
人間の尊厳を失わず、
胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治の上に成り立つ。
あなたに降りかかる不条理に対して、
全力でその最前に立つ。
何度でもやり直せる社会を構築するために。
20年のデフレで困窮する人々、
ロスジェネを含む人々の生活を根底から底上げ。
中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、
将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る。
私たちがお仕えするのは、
この国に生きる全ての人々。
それが、
私たち「れいわ新選組」の使命である。★2

つまり、ここに記された決意(綱領)を、国政選挙を通じて人々に対し、投票というリアクションを期待する「社会実験」でもあったわけです。

れいわ新選組に一票を投じるか否かは、「難病患者を国会議員として送り込むことに賛成か反対か」というイシューについて、自らの態度を決めることと同義になったのです。そのため、有権者に明確な参加意識が生じやすくなりました。これは選挙の形式を借りたいわば「既存の社会に対する挑戦状」であり、有権者たちもそのエキサイティングな「社会実験」に乗ったのです。

このような「あなたを守る」「人間の尊厳」といった自尊感情(self-esteem:セルフ・エスティーム)を確保することに重点をおく姿勢は、ある意味で小泉純一郎が郵政選挙で用いたような「シングル・イシュー・ポリティックス」に近いものといえるでしょう。

シングル・イシュー・ポリティックスとは、一つの争点のみについて賛否を問う政治運動のことを指します。例えば反戦や人種差別撤廃などです。あるいはN国党の例が分かりやすいでしょう。(NHKに受信料を支払った人だけが番組を視聴できる)「NHKのスクランブル化」の賛否だけを訴えたからです。

れいわ新選組の場合は、「消費税ゼロ」がシングル・イシューに当たるといえばそういう面もありますが、サプライズとして「特定枠」に障がい者の二人を指定したことによって、「中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会」に対する賛否を、実質的に「一つの争点」として機能させることに成功したということが推測できます。それは山本の「自分は生きてていいのかって? 生きててくれよ!」という叫びが候補者として具現化されたと言って良いでしょう。前出の牧内が述べているように、「政治家に『生きててくれよ!』と語りかけてもらう必要があるほど、生きづらい人びとがたくさんいるという現実」(★3)があるからであり、自尊感情を高めるための肯定的なメッセージと、それを「政治的主張」として世に問う姿勢が混然一体となったシングル・イシューだったのです。

ここで筆者の頭にすぐに思い浮かんだのは、アメリカのABCが制作している「WWYD? (What Would You Do?) =「あなたならどうする?」という社会派番組です。

一般人を対象にしたドッキリ番組のようなものですが、人種差別や障がい者差別などのシリアスなテーマを取り扱っています。役者などが不適切とされる言動をした際の街中にいる人々のリアクションを観察し、リポーターが「なぜ何もしなかったのか」「なぜ注意したのか」などを尋ねるという挑戦的な内容になっています。

例えばダウン症の店員(ダウン症の当事者が演じている)が、レジで袋詰めをする係として働いているシチュエーションで、その作業の遅さに悪態を吐く人物へのリアクションを見る回があります。袋詰めを待っている青年(役者)が「この知恵遅れ、何もできねぇな」と罵ると、後ろで待っていた中年女性が「言葉に気を付けなさい」と言い、ダウン症の店員にジェスチャーで同情の気持ちを表すのです。それを見た青年は、「あんた本気かい? こんなのが働いていいと思ってんの?」と突っかかります。中年女性は「彼にも権利があるわ」「あなたも人から生まれたでしょう。人は皆同じ権利を持つのよ」などと諭します。そこへ店の後方から中年男性がやってきて「おい、いい加減にしろ。とっとと出ていけ。でないとおれがおまえをつまみ出すぞ」と物凄い剣幕で青年を批判します。そして、レジの場所に向かい、ダウン症の店員に「災難だったね。君の仕事ぶりは最高だぜ」と激励したのでした。彼にはダウン症を患った妹がいました(★4)。

このような社会実験を実際に国政選挙の舞台で行なうようなものだと感じたからです。ALS患者が国会議員に立候補。あなたならどうする?ーーということなのです。

選挙戦の最中から「障害者の政治利用だ」「寝たきりの障害者に国会議員が務まるのか」等々の非難を浴びていましたが(このようなリアクションこそがいかにもWWYD?的な展開でありました)、その真価は、舩後靖彦、木村英子の両名が参議院議員に当選した後にこそ明らかになったのです。国会初登院を前に、この二人の通勤や議員活動中の介助費用の負担先が問題になったからです。どちらも障害者総合支援法に基づく「重度訪問介護」を受けている身です。重度の身体障がいまたは知的障がい・精神障がいを持つ人で常に介護や見守りが必要な人が、食事や排泄、入浴、移動時の付き添いなど、二四時間体制で介助者(ヘルパー)のサービスが受けられる仕組みで、本人の費用負担は一割(九割は公費)となっています。しかし、通勤や就労など「経済活動に係る外出」は対象外のため、当面参院が費用を負担することになったのです。

その決定をめぐって批判の声が殺到しました。

「税金の無駄遣い」やら「特別扱い」やら、ほとんどが障がい者に押し付けられた不条理な制度を理解せず、これまでにない出費や制度改正にばかり目を奪われた末の噴き上がりでした。ニュースサイトのコメント欄では、そのような底の浅い低俗な議論に共感が集まり、「自己負担すべき」との〝特権叩き〟的な論調が主流となっていきました。

日本維新の会代表で大阪市長の松井一郎は、問題となっている介助費用について「どなたにも適用できるよう制度全体を変えるならいいが、国会議員だからといって特別扱いするのは違う」と発言。自己負担で賄うべきだとの考えを示しました。「国会議員は高額所得でスタッフも付く。政治家は個人事業主だから、事業主の責任で(費用支出に)対応すべきだ」とまで主張しました(★5)。まさに、こういった障がい者の就労状況への無理解を助長する原因にもなっている政治家たちの言動が白日の下にさらされたわけです。WWYD?が番組制作の狙いとしているものと同じく、山本が当初から想定していたシナリオ通りに、障がい者をオミットし続けてきた社会の化けの皮が剥がれたと言っても過言ではありません。まったく新しいタイプの政治運動の萌芽が出現したのです。

しかも、このセンセーショナルな起爆剤にはポピュリズムの暴走を抑止する安全装置としての重要な働きがあるのです。2006年に国連で採択された「障害者の権利に関する条約」(日本は2014年に批准)というものを尊重している以上、原理的に現行の民主的な社会や民主主義、自由と平等の原理との整合性を考えないわけにはいかないからです。また、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判は、現行の政策に対する建設的な批判に止まらず、単なるエリート批判に陥ることが危惧されていますが、どちらかといえば、他者との協調性や連携なくして社会が回らないことを経験的に知っているのは障がい者の方でしょう。

山本は重度障がい者を国会に送り込んだことについて、持ち前のユニークさで誰よりも的確に言語化しています。

「ある意味、国会の中にミサイル打ち込んだのと一緒ですよ、これ。はっきり言ってね」(★6)

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「無縁者」の集まり

山本は、BS‐TBSの報道番組『報道1930』に出演した際、キャスターの松原耕二からかつての日本新党との比較で「意識することはあるか」と聞かれ、「そもそも(日本新党の存在を)知らなかった」と応じました。そして、「何かの話に落とし込みたい。それで皆安心したい部分はあると思うが、これ(れいわ新選組)はまったく新しい形だと思う」と批評してみせました(★7)。

日本新党は、一九九二年五月に元参議院議員で元熊本県知事の細川護煕が結成した政党で、五五年体制(自由民主党が与党第一党、日本社会党が野党第一党とする体制)を崩壊させる「新党ブーム」の火付け役にもなりました。発足からわずか2か月後の92年7月の参院選では比例区で7%以上も獲得し、公認候補者17人中細川と小池百合子など4人が当選。93年7月の衆院選で35人が当選。93年8月には、細川連立政権が誕生し、細川は首相に就任しました。結党から1年3か月という急進ぶりでした。しかし、これは当時のテレビをはじめとするマスメディアが取り上げることで、一気に知名度を高めることができた最後の例といえる面があることに注意が必要です。現在といえば、原則として政党要件を満たしていない政党に対する選挙前の報道機会はほぼ皆無です。山本が自らを「放送禁止物体」と自嘲してみたのはその不文律が念頭にあったからです。しかも、これらの新党ブームは定義1のポピュリズムであり、定義2のポピュリズムの要素が非常に薄いのです。

そもそもれいわ新選組の躍進は、ネットの「草の根」なしには語れません。
れいわ支持者同士のコミュニケーションだけでなく、各人がそれぞれの場所で支持層を拡げる活動を行なっています。それは「浮動票」という一時的な態度表明のようなものではなく、一人ひとりがアクティビスト(社会活動家)になって動くものです。家族や友人にれいわ新選組の良さを説いて、支持者を増やしていく伝道活動に近いかもしれません。しかも、それは繰り返しになりますが、「民主主義」を自分たちのコントロール下に取り戻し、実効性の高いシステムを担保するために参加するといった、ムフのいう民意からずれてしまった政治体制を軌道修正する「民主主義の回復」を、最終的な理想とするものであることがうかがえます。「日本新党」に代表されるかつての新党ブームとはまったく内実が異なっているのです。

山本はすでにれいわ新選組の公式サイトで「自分の思想のエッセンス」を明快に記述しています。

「れいわ新選組」は、大きな組織や企業に頼らず、
ボランティアの皆さまと政権交代を目指します。(★8)

山本が街頭演説で何度も何度もしつこく語っていることの一つが「世の中を変えるためにはあなたの力が必要だ」ということです。

政治とは選挙のことであると考え、選挙が終われば政治のことは忘れてしまう。あるいは、政治とは政治家と官僚の仕事と考え、自分たちは外野を決め込んで文句だけを言う。つまり、すべてを政党や政治家などに丸投げする態度。これを彼は荒療治によって改めさせようとしているのです。政党が「大きな組織や企業」に頼れば、当然その声を政策に反映せざるを得なくなります。だからこそ、ほぼ半数を占める「選挙を棄権する人々」にアプローチし、無党派層の掘り起こしに集中することで政治の流れを変えようとしているのです。けれども、山本個人の力では当然限界があります。そこでボランティアの出番となるわけです。ただしボランティア登録は、有志を募ること以上の意味合いはなく、いわゆる「党員」の立場になることでもありません。中央集権的な体制を敷いている党にありがちな下部組織や地方組織に所属し、指揮命令を受けて動き回ることを期待しているわけではないのです。そもそもメンバーシップ制のような性質のものではありません。そうではなく、個人による主体的な関わりこそ望んでいるのです。

経済学者で、東京大学東洋文化研究所教授の安富歩(やすとみあゆみ)は、山本の求めに応じてれいわ新選組の公認候補者となった経緯などを踏まえて、「れいわ旋風」の深層にあるのは、「フーテンの寅さん」や「釣りバカ日誌」に象徴される「無縁者」の引力だと看破しました。

山本太郎氏は、その演説でいつも「生きづらさ」に触れ、「誰でも生きていればそれでいいんだ」と言い続けてきた。この現代の閉塞感を打ち破るには、無縁の原理が必要なのだ。そして、「れいわ新選組」は、この無縁の原理を体現しており、山本太郎氏や私を含めた候補者は、無縁者の集まりであった。私は、これが、れいわ新選組の躍進の基本的な原動力であった、と考えている。
れいわ新選組は、左派ポピュリスト政党、などではない。それはそもそも「政党」ではなく、「左派」でもなく、「ポピュリスト」でもない。れいわ新選組は、無縁者の集まりであり、その無縁のエネルギーが、ガチガチに固まって人間を閉塞させている有縁の世界に、風穴を開けつつある。人々の支持を集めているのは、その風穴から、空気が吹き込んでおり、息ができるようになったからだ、と私は考えている。(★9)

安富は「私は、人間が自由である、ということは、『縁結び』と『縁切り』を自分の感覚に従ってできる。ということではないかと考えている。良縁が生じたと感じたときには躊躇なく縁を結び、縁が呪縛に転じたと感じたときには躊躇なく縁切りをすることができるなら、その人は自由である」(★10)と述べています。つまり、政治参加によって生きづらさを解消する「政治縁」ともいえる「無縁者の集まり」だからこそ時代を転換する台風の目となっているのです。

わたしたちはすでに「消費者」としてどっぷり染まっており、自分のことを商品やサービスを享受する存在として意識することが多いのではないでしょうか。それ以外では、逆に商品やサービスを生産・提供する「労働者」として意識するだけであり、主な社会との接点は「仕事」「職場」のみとなってしまっています。「消費者」にしても「労働者」にしても、ビジネスにおける関係性のバリエーションでしかありません。しかも、それは自分に「お金」や「能力」といった取引材料になる価値が「ある」ことが大前提なのです。一人の人間として、社会の担い手として、誰かに承認され、評価される機会はほとんどなくなっています。近年強まりつつあるこのような傾向について、ノンフィクション作家のレベッカ・ソルニットは、「社会の民営化」と呼びました(★11)。つまり、前出のすべてを政党や政治家などに丸投げする態度の理由は、「市民マインド」ではなく「消費者マインド」で政治に向き合っているからです。「一回の投票によってそれ相応のリターンが得られなければならない」という安直な思考は、「アマゾンで注文したら明日には商品が届く」というサービスに慣れてしまった消費者としてのライフスタイルに促されたものです。それがわたしたちの貧弱な「自尊感情」をもたらす決定的な要因にもなっています。「消費者」も「労働者」も「生産性という尺度」に縛られた存在であり、論理的な帰結として「生産性がゼロ」になれば不要になってしまいます。だからこそ、その反動として「無縁のエネルギー」が澎湃(ほうはい)と湧き起っているのでしょう。

山本が全国キャラバンで街頭演説とともに行なっている「おしゃべり会」は、良い見方をすれば「無縁者の集まり」に「市民マインド」を吹き込む場とみなすことができます。

山本とその地域の人々がざっくばらんに意見を交わし、当事者性に気付くことによって主体性を取り戻す場というわけです。今までソーシャルメディア上、YouTubeなどでしか接触がなかった山本と直接コミュニケーションが取れるだけでなく、同じ地域に住む支持者とも初めて顔を合わせる場にもなっています。高齢者から高校生までが自分の人生の窮状(きゅうじょう)や、現在の日本の社会や政治システムに対する不満や憤りを告白する中で、それまで互いに「無名」でしかなかった人々が名前のある人物として具体的に認識されるのです。そういう意味でまさに「良縁」としての「無縁者の集まり」、バラバラでまとまりを欠いていた「社会」の手触りを回復する場が各地で立ち上がりつつあるわけです。これはソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が失われていく現代において興味深い現象と言わねばなりません。

ある街頭演説で「じゃあ、あなた、何してくれるんすか」と他人任せで投げやりなことを言う酔客に、「あなたが変わらなくて、世の中どうやって変わんだよ!」と直球で返す山本の呼び掛けには、あなたたちはいつまで「消費者マインド」で生きる気か、いつ「市民マインド」になるのかという挑発が含意されているとみて間違いないでしょう。あえて理想化して言えば、「無縁のエネルギー」を、消費者的で早急な体制破壊を要求する、野蛮で無責任な選挙民の集合体ではなく、政治を「自分事」として積極的に考えて行動でき、創造的な役回りを引き受けられる人々による「新しい社会運動」の萌芽にしようとする試みなのです。

もちろん、れいわ新選組はまだ産声を上げたばかりであり、そのポテンシャルは未知数で組織的にも政策的にも多くの課題があります。山本という指導者への過剰な依存に対する危惧もあります。しかし、このような政治勢力が与党を始めとした既存政党に、適度な脅威と刺激を与え続けることができるのであれば、全体的な政治状況に好影響をもたらすイノベーターとして頭角を現すかもしれません。

つまり、これはポピュリズムという運動を踏み台にしつつ、その運動によって鍛えられた最良の部分を残そうともがき続ける、「ポピュリズムによるポピュリズムの乗り越え」という不可能への挑戦なのです。


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著者プロフィール

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真鍋厚/まなべあつし●1979年、奈良県天理市生まれ。大阪芸術大学大学院芸術制作研究科修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。専門分野はテロリズム・戦争、宗教問題とコミュニティの関係など。著書に『テロリスト・ワールド』『不寛容という不安』がある。


参考一覧

★1 山本太郎『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』集英社
★2 決意 | れいわ新選組、https://reiwa-shinsengumi.com/determination/
★3 『「れいわ現象」の正体』
★4 翻訳は以下を参照した。WWYD?:障がい者(ダウン症)/日本語字幕
https://www.youtube.com/watch?v=JNifCgJvzjo
★5 維新代表、介助費「自己負担で」 初当選のれいわ議員に、二〇一九年七月三〇日、共同通信、https://this.kiji.is/528880942749008993
★6 山本太郎(れいわ新選組代表)街頭記者会見 大分市 2019年10月28日、れいわ新選組、https://www.youtube.com/watch?v=nXbNd6-CYvs
★7 報道1930まとめ19/8/5放送、BS-TBS公式チャンネル
チャンネル、https://www.youtube.com/watch?v=1u7z4GqPo0Q
★8 ボランティア募集 | れいわ新選組https://reiwa-shinsengumi.com/volunteer/
★9 内側から見た「れいわ新選組」、やすとみ歩 – Ayumi Yasutomi、二〇一九年七月二四日、https://anmintei.net/a/688
★10 安富歩『経済学の船出 創発の海へ』NTT出版
★11 レベッカ・ソルニット『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』高月園子訳、亜紀書房

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