【連載 農家はもっと減っていい 番外編】②働きながらしか書けない
㈱久松農園代表 久松達央
私が1冊目の『キレイゴトぬきの農業論』を書いた直接のきっかけは、親しい友人の勧めです。本を書くということが何を意味するかも分からなければ、世に名を馳せて何事かを成し遂げようという「男子の本懐」も持ち合わせていない私に、友人は執筆を奨励し、編集者を紹介するまでしてくれました。そんな後押しを受けて、ようやく出版にこぎつけた怠惰な人間です。
私は、自分のものの見方を知ってくれる人が増え、議論をしたり、批判されたりすることでまた自分の考えが深まっていく、という作業が楽しくて文章を書いています。一方、本をつくる人達と関わるようになって学んだのは、世の多くの人が中身以前に「本を出す」ということ自体に強い野心を持っていることです。
「お店のオーナー」とか「馬主」という響きに憧れを抱く人がいるのと同様に、「著者」という肩書そのものが夢という人は少なくないのです。編集者の下には多くの企画が持ち込まれ、その大半が不採用になるようですが、本を出すこと自体が目的の人が多いのでは、無理からぬことでしょう。
私は子供の頃から本好きなので、書籍というものに敬慕の念を抱いています。本を出してハクを付けようという考えは、分からなくもありませんが、本好きの気持ちを利用されているようで、やや興ざめです。余談ですが、新著を編んでくれた光文社新書の三宅貴久編集長は小学校の同級生で、ブリュッセル日本人学校補習校の図書室を3年間共有した仲です。あの貧弱な本棚から、数多くの本を生み出す編集者が生まれたと思うと感慨深いものがあります。
私はあくまでも本業がある上で、文章を書く人間です。農業という仕事に向き合う中で世の中や人を見る目が鍛えられ、それを他者に伝える手段として言葉を紡いでいます。それとは違い、書くことを生業にする人たちの実情をリアルに考えると、書くことへの姿勢が自分とは全然異なるだろう、とつくづく思います。
若い頃は鋭い論評を書いていた学者やジャーナリストが、いつの間にか偏った意見に陥っていく姿を目にします。以前は、何でこうなってしまうのだろうと不思議に思っていました。しかし、考えを売ることが本業になると、特定の出版社や団体の代弁者に陥る、のが賢い生き方なのかもしれません。もしかしたら、最初はショーバイで意識的につけた仮面が、ポジショントークを続けるうちに顔から外れなくなってしまったのかもしれません。
私は書くこととは別に仕事があり、しかもインディーな生き方をしているので、50歳を過ぎてもしがらみが何もありません。フルタイムで農業をしながら長い文章を書くのはそれなりに大変な作業ですが、これを本業にすることの不自由さを想像すると、自分にはとてもその覚悟は持てそうにありません。農家で良かった!(続く)