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『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵 編著|馬場紀衣の読書の森 vol.3

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そもそも人はどのようにして他人の服装に興味を持つようになったのだろう。その起こりは15世紀から17世紀にかけての「服飾版画集」まで遡ることができる。今のように誰もが自由に旅することが叶わなかった時代のお話だ。

大航海時代、ヨーロッパの探検家たちが持ち帰った土産話によって、見知らぬ世界に生きる人びとの文化に関する見聞が知られるようになった。服飾も、そのひとつだ。さまざまな民族、階級、職業の服のスタイルや装飾を線描で再現した「服飾版画集」の出版がどれほど待ち望まれたかは想像に難くない。

やがて「服飾版画集」は彩色が施され、服装の解説が付いた。版を重ねて図版を増補したものもあったというから、かなりの人気だったのだろう。とはいえ、言葉とイメージで服飾を伝えるこの版画集を実際に手にできたのは、一部の限られた裕福な人のみ。それでも「服飾版画集は情報としての服を知るための画期的なメディア」だったと著者は記している。

服飾の心を育くみ、刺激したという意味では、服飾版画集はファッション雑誌のはじまりだったといえるかもしれない。フランスで服飾産業が発展したのはルイ14世の王政以降。17世紀に宮廷生活の社交や流行情報を伝える「メルキュール・ガラン」、19世紀に「ジュルナル・デ・ダム・エ・デ・モード」「ラ・モード・イリュストレ」といったファッションを専門にした雑誌が刊行されていく過程で、流行の中心地としてのパリの存在は確立していった。

この時代のファッション雑誌が現代のそれと大きく異なるのは「型紙」の有無だろう。衣服を仕立てるための布をどのように裁断するかについて記した、この型紙を頼りに、女性たちは流行の衣服を手作りした。型紙をドレスメーカーへ持ちこみ、新しいスタイルを注文した人もいたそう。都会の洗練されたファッションを伝える雑誌は、どんなに人びとの憧れと欲望をかきたてただろう。想像しただけで胸が高鳴る。

残念なのは、型紙の多くが紛失してしまっていること。服が完成してしまえば、道具としての型紙の役割も終わる。当時、雑誌を購入していたのは比較的お金に余裕のある人たちだったが、親しい仲間同士で雑誌を回覧することもあったというから、おそらく、付録の型紙も何人もの女性の手を渡ったと考えられる。そうして使い古された型紙が役割を終えた後、処分されたのは仕方のないことかもしれない。型紙は「流行の伝達においてきわめて重要な役割を果たすにもかかわらず、人びとに受容されたのちに消えてしまうメディア」なのだ。

意気揚々とファッション雑誌をめくる女性たち。片手に型紙、もう一方の手に鋏をもって布を断ち、縫い、あるいは店に駆けこみ、そうして仕上がった流行りの服を自慢するために着飾って出かけていく。そんな女性たちが街に溢れていた時代、きっと通りの風景はいまとずいぶん違っていたはずだ。あるいは、流行を追い求める女性たちの表情はいつの時代も変わらず輝いていたかもしれない。型紙は失われてしまったけれど、その姿は、ぜひ見てみたいものである。

蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵編著『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』、フィルムアート社、2022年。




紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。


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