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医療レベルが高い一方で救急救命がおろそかなタイ(第22回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
前回は、タイの医療レベルの高さ(特に歯科治療や美容)、バンコク一極集中の構図を取り上げました。今回はタイが抱える深刻な問題である「救急救命」の脆弱さについてお話しします。法の未整備や交通渋滞、政府の怠慢などもあってタイの救急救命はかなり遅れているそう。派手なテーマではないかもしれないですが、こういうところにこそお国柄が表れている……かも。

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「人任せで知らんぷり」なタイの救急救命

 タイ、特にバンコクの医療水準は東南アジア内でもかなり高い方であることは間違いない。ところが、医療の一角を占める救急救命に関しては驚くほど後進的だ。いくら医療技術が高いとはいえ、突発的な事故や急病においては、そもそも病院にたどり着くまでが困難である。地方では中心地でさえ優れた病院が少ないので、バンコクや他県に出向かなければならない。しかし、バンコク都内も安心できない。この地は何十年も前から渋滞が社会問題化しているので、病院に急いで行くことができないのだ。

 タイにも当然ながら救急車は存在する。日本と違うのは政府や自治体が運営する公共の救急車だけでなく、民営や慈善団体のものがあることだ。民営の、特に私立病院が運営する救急車は有料であることが多いが、それ以外は基本的には無料で利用できる。ちなみにアメリカなどは有料救急車が基本なので、そうした国と比べると気軽に救急車を呼べるメリットがある。

 しかし、先のようにバンコクでは渋滞がひどいので、いずれのタイプの救急車を呼んだところで、いつ来るかわからないという問題が発生する。私立病院の救急車はほぼ予約制と見なしていいくらいだ。夜中などの渋滞してない時間帯以外は「今来て」と頼んでも、時間の約束はできない。

日中の都心は渋滞で事故は少ないが、夜間や地方はこういった重大事故が多い。

 なぜ、タイは救急救命がおろそかになっているのか。
これは結局のところ、タイが外国人にはそう簡単に理解できない階級社会であるからにほかならないとボクは見ている。タイで地位の高い一族はそれこそ警察などとも繋がっているので、緊急時は自家用車で警察の力を使いながら一般市民を避けさせて病院に向かうことも可能だ。政治家だってなんだっていわゆるVIPは警察の車列が警護につき、車を蹴散らしながら進める。政治家や偉い人たちは渋滞を気にせず過ごせるので、それを社会問題とは思いもしない。だから、何十年もバンコクの渋滞問題は解消されないのだ。

バンコク都心の渋滞は救急救命活動には致命的な社会問題。

 もうひとつ、大きな事情がある。タイの救急救命は政府が動き出す以前から慈善団体がその役割を担ってきたので、タイ政府がそこに予算を割かないまま近年に至っている。実際にはタイ公共保健省が主体となって運営する政府の救急車が全土に配備されてはいるのだが、これが後手に回っていて、十分機能しているとは言い難い。

 タイ政府は救急救命に関するすべてを怠ってきたわけで、法令もまた整備されてこなかった。慈善団体というなんの権限も持たない救急車が来たところで、道を譲る一般ドライバーはいない。さらに、渋滞時は救急車の緊急走行自体が妨げられる事態が、現在でさえ起こっている。政府だけでなく、タイ人自身の間で救急救命の重要性が理解されていないのだ。医療は発達している一方で、救急救命に関しては欧米や日本から見て何十年も遅れた段階にある。

警察署に保護ざれたけが人を手当てするボランティア隊員。

救急救命は華僑が始めた文化

 タイの救急救命を最初に始めたとされる慈善団体は「華僑報徳善堂」(以下報徳堂)だ。
 タイは前王朝もそうだし、現王朝に入ってからも1960年代くらいまでは移民を受け入れていた。主に中国人だ。東南アジア各国も同様だったが、タイが他国と違ったのは、国籍を付与する代わりに子どもたちにはタイの教育を受けさせることだった。いわゆる同化政策を採っていたのだ。現王朝の1800年代後半にバンコクの中華街ヤワラーが形成され始め、移民数がピークに達しようという期間には特にタイの学校に通いだす華僑たちが増え、のちにその一部の子孫たちが今のタイの政財界を牛耳るタイ華人となっていくのである。

 これによって、早ければ移民1世の子息がタイで教育を受け始め、2世3世ともなるともうマインドはタイ人化していく。従って、シンガポールやマレーシアなどの華人と違い、タイの移民世帯では中国の文化・習慣などがどんどんなくなっていった。それこそが同化政策の効果だったわけで、結局頭のいいタイ人はここでも他国とは違う方法で華人を取り込むことに成功しているのだ。

 しかし、移民の中には祖国の文化を失うことを恐れた人たちもいたようだ。その一部が集まって作ったのが報徳堂である。タイ語では報徳堂の中国語読みがそのまま使われ「ポーテクトゥング」と呼ばれる。この団体は有志たちによる、タイ華僑や華人の中国アイデンティティを残すための団体とされる。のちに中国語学科や中国伝統医学の学部を持つ大学も設立しているほどだ。

 彼らは同時に華僑・華人がしっかりとタイになじむよう、慈善事業も始める。当時の移民たちは本国において生活がままならなかった人が多かったわけで、タイに来たとて仕事のスキルや学歴があるわけでもなく、貧しい生活を強いられてきた人ばかり。仕事といえば港湾荷役や建設現場など、現在におけるラオス、カンボジア、ミャンマーの人たちと同じような扱いと立場だった。そこから抜け出すために報徳堂が始めたのが、行き倒れの死体回収だった。

徳を積むために自宅近隣の救急救命活動をする報徳堂のボランティア隊員たち。

 今でこそタイ人はすべて(ただし、出生届を出している国籍保有者のみ)国民番号が付与される。日本でいうマイナンバーだ。現在はオンラインネットワークで管理されているので、指紋さえあれば全土の警察署や役所の端末で身元が判明する。しかし、1800年代には当然そんなシステムは存在せず、また本当に貧しい人はホームレスになっていたので、そのまま道で亡くなることも多々あった。その死体を回収したのが活動の始まりだ。

 その後、回収作業が発展し、似たような運営モデルの慈善団体がほかにも出てきて、徐々に救急救命活動にも力が入り始めた。こうして、タイ全土を慈善団体の救急救命活動がカバーし始める。

報徳堂の次に誕生したとされる団体「泰国義徳善堂」が交通事故現場を取り仕切る。

 ちょうどタイ人の大半が仏教徒であり、彼らは次にいい身分に生まれ変わるために徳を積むことを日常的に行なう。報徳堂はこういったタイ人気質を利用し、慈善団体の正職員は数百人程度に抑え、全土をカバーする実働的な人員はボランティア隊員で賄っている。数千人のタイ人が徳を積むことを目的に報徳堂などの活動に参加し、救急車や道具などすべてを自腹で揃え、自宅近隣の緊急事態に備えているのだ。
 ちなみに、高所得者層は金銭的な寄付で徳を積む。持つものは現金で、持たないものは身体で徳を積むのである。

 つまり、タイ政府は、近代化していく中で救急救命部隊の設置が必須となる中でも一切の費用を使わず、完全に民間に丸投げしてきたのである。

ボランティアはこういった道具もすべて自腹で用意している。

改善しつつある緊急搬送「ナレントーン」

 運用方法や暗黙のルールこそ地域ごとに違えども、現在も報徳堂などの慈善団体がタイの救急救命活動の根幹を担っている。とはいえ、タイ政府もこれではさすがにまずいということで、「ナレントーン」という救急車部門を設立して、タイ全土に救急車を配備している。

 タイ政府が動き出した背景は、救急救命を民間に任せすぎた結果、いわば素人が救急搬送をしているという指摘があったからだ。搬送時に乱暴に扱われたために脊椎などに損傷が起こり、後遺症が残るようなケースが少なくなかったとされる。そこで1993年、東北地方の大都市コンケーンの国立病院に交通事故センターを設立し、日本のプレ・ホスピタルケア(病院前救護)の技術を導入して普及するようにした。報徳堂の原型が誕生して実に100年近くが過ぎ、かつバンコクではない場所で始める点に、やはりタイ政府が救急救命をあまり重要視していないことが伺える。

 その後、それらの技術を導入した公共救急車がバンコクに誕生するも、ひとつの病院にしか置かれず、結局は守備範囲が狭くて発展しなかった。そうして1995年、改善版のように「ナレントーン」が誕生したのだが、やはりバンコクの一部しかカバーできない。そうしているうちに2004年にプーケットで津波が発生し、世界中の救急救命関係者から「タイは政府主導の救急救命の指揮系統が存在しない」と言われ、弱点が露呈。そこから力を入れ始め、現在はなんとかタイ全土に救急車が配備された。

ナレントーンが最初に配備された国立病院。

 しかし、配備されたのは大きな国立病院内なので、日本のように地域全体をくまなくカバーすることは今もできていない。結局のところ、現在も慈善団体頼みの部分が少なくないのである。

 こんな後手後手のタイ政府なので、法整備も進んでこなかったのは前述の通りだ。タイの道路交通法ではせいぜい、緊急車両が緊急走行中には駐車禁止区域に駐車したり、信号を無視してもいいことにはなっている程度だ。ただ、緊急車両の定義が曖昧でもある。今は警察や慈善団体に登録していない車両は救急車などと認められないが、10年ちょっと前まではそんなルールもなかったので、自前で赤色灯をつけてサイレンを鳴らしたら緊急車両になるのかならないのか、という問題もあった。そのため、地域によっては報徳堂の車両が緊急搬送中だったにも関わらず、監視カメラによる取り締まりで信号無視の罰金刑になったこともあった。

 一般市民も同様で、緊急車両を優先させるべきとは法令に記載があったものの罰金などはなかったので、2016年の法改正まではまず緊急車両に道を譲る一般ドライバーは皆無だった。ひどい場合にはサイレンを鳴らしている救急車の前に割り込んだり、真後ろに救急車がいても端に避けることもなく右左折のために堂々真ん中に止まる車もあったほど。また、警察官によってはUターン禁止路や赤信号を行かせてくれることも多々あった一方で、それを許さない警官もいた。

「ナレントーン」の運営が本格化したことにより、緊急車両を優先するよう法改正されたし、救急車そのものも改善された。それ以前はたとえば、報徳堂のボランティア隊員は多くが中流から低所得者層で占められている関係から、仕事や生活で使うピックアップトラックを救急車にしていたのだ。ピックアップは荷台が基本的にはオープンなわけだが、万が一の事故の場合二次被害などが大きくなることへの懸念から、いつしかこれが禁止になり、必ず屋根があることが条件となった。そのため、現在はボランティアとはいえワンボックスタイプの救急車が増えている。

いつからかピックアップの改造救急車は荷台に屋根をつけることが義務付けられた。
地方にある名前も知らない小さな慈善団体の救急車。
近年はこういったワンボックスが主流になっている。

 それから、ナレントーンなのかタイ公共保健省が出したTVコマーシャルも効果的だった。

 ちょっと動けばいいものを、運転手は「本当に緊急かわからないじゃないか」と動かない。すると、重病人は車内で亡くなり、それが実は母だったという内容。このコマーシャルはどちらかというと優先車両の話ではなく、「1669」という救急搬送要請の電話番号を広めるためのものだ。タイは警察も消防も「191」で統一されていたが、近年は各団体の専用短縮ダイヤルがあって、正直わかりづらくなっている。とはいえ、タイ人には番号よりも内容が刺さったようで、このコマーシャル以降は救急車優先車両が格段に増えた。

日本や欧米と同様にネット社会の悪い面が出始めている……?

 ネットやテレビで情報が氾濫するようになったおかげで、日本や欧米では緊急車両は優先されることをタイ人も知るようになった。また、先のコマーシャルを通じても優先する意味が理解されるようになった。

 しかし残念ながら、今でも道を譲らない人も少なくない。警察車両こそ公務執行妨害などで逮捕することができるので昔から避ける人がほとんどだが、緊急車両は優先しなければ罰金といっても警察が見ていなければ請求されないことも知っていて、避けない人もいまだにいるのだ。

 また、ここ10年少々はタイ国内も和食ブームで、そこにはタイにおけるスマートフォンやSNSの広まりが大きく関わっているとも書いてきた。これまではたとえば飲食店は大通りや駅前の見えるところに出店することが鉄則だったが、最近は通りの奥地でも宣伝ができるので客が入るようになったというメリットはある。経済発展や消費行動の拡大には大きく寄与した。

 一方で、そのきらびやかな生活を見せつけられ、嫉妬心の塊になったりなど、ネットの犠牲者も出てきている気がする。それが「がんばろう」とかエネルギーの源になればいいが、日本と同様に歪んだ方向へ苛立ちが向くケースも増えてきている。そして、誰もが動画を上げられる時代なので、その行動も誰かがすぐにネットにアップしてしまう。

 気のせいか、このところSNSなどを見ると日本でいう危険運転などがタイでも急増している気がする。実際つい先日、ボク自身も煽られたことがあった。殺人事件も残虐性が増していたり、危険運転では暴力沙汰や殺人事件にも発展する。タイはこれまでも、日本と比べて事件・事故は非常に多かった。人口比での数は日本の何倍にもなるほどで、そういう意味では「そんなもの」なのかもしれない。しかし、可視化されることでより増えているように感じるし、それらの映像を見た人の中には同じ方法で誰かを傷つける可能性もある。

 実際、ボク自身もSNSや動画を公開している中で、これまではタイ人はいいコメントしかくれない印象だったが、ここ数年はひどい言葉を残していく人も出てきていると感じる。ネットなどの拡散を通じてせっかく緊急走行車両を優先する優しい人が増えたのに、他方ではネットによって優しさを失ってしまった人もいる。世の中プラスマイナスがうまくできているのか、果たしてうまくできていないのか。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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