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日本の裸体芸術|馬場紀衣の読書の森 vol.49

羞恥心の歴史を分析したハンス・ペーター・デュルによれば、日本の社会において裸体は見えているのに見てはいけないもの、らしい。日常的に見る機会は多いのに、じっと見てはいけない。たとえ見たとしても、心に留めてはいけない。それって、すごく難しい。じっと見ることは不作法にちがいないけれど、あるものを、ないように振る舞うなんてちぐはぐだ。でも、このちぐはぐが日本ならではの裸体芸術を育んだともいえる。

本書によれば、そもそも日本には裸体美という概念はなかったのだという。裸体へと向けられる羞恥心は、西洋人という「他者」の登場により初めて認識されたもので、身体を性的な関心と結びつける性的身体は、羞恥心によって作られたと。近代以前の日本人は、生活風景の中に裸体が溢れていても性器以外の男女の身体的差異には鈍感だった。これは心と身体を鋭く分離する古来西洋の感覚からすれば衝撃的だったはずで、実際、日本の裸体の習俗は幕末から明治期にかけて来日した西洋人たちを驚かせた。「心身一如」という言葉が表すように、東洋にはかねてから心も体もいっしょになった「身」しかなかったのだ。

(日本には)西洋のように、肉体を自我や精神と切り離した物質のように見なす思想がなく、肉体と精神が不可分の関係にあったからこそ、肉体に刻んだ表徴がその人物そのものに転嫁することができたのだろう。刺青こそ、こうした日本の身体観に即した芸術、「身」そのものを芸術に昇華させたものであったといえないだろうか。

ごく個人的にいって、私は刺青が好きだ。ただ西洋のそれと日本のそれがべつのものだということは認めなくてはならないし、縄文人にまで遡ることのできる呪術的な装身術である刺青が反社会性の象徴のように扱われてしまうのは、肌肉に色彩を注入するという暴力性ばかりが強調されすぎている、ともいわなくてはならない。

近代日本における裸体とその芸術の問題について書かれた本書が刺青を取りあげてくれたことは、私にとって思いがけない喜びだった。刺青を入れた肌の美しさは実際に見て、触ってみなくては分からない、と思う。著者のいうように刺青とは「単なる裸体を一転して美的観賞の対象に変貌させる見事な仕掛け」であり「刺青を施した人間の動作や人間性、生そのものと結びついてはじめて力と美を発揮するイメージ」にほかならない。人間そのものを作品に仕立ててしまう刺青は、じっと静かに鑑賞する美術作品ではない。裸体を見せる(魅せる)技術であり、江戸と明治の時代に禁止された、生きた芸術。刺青を生きた芸術と呼ぶのは、刺青がほんとうの意味で生きた人間の肌の上で呼吸をするからだ。

私はずっと刺青が風俗史や文化人類学ではなく美術史の分野で論じられることを期待していたので、そうした意味でもきわめて刺激的で説得力のある一冊だった。刺青を裸体芸術に加えるかどうかは意見が分かれそうだけれど、裸体そのものが鑑賞の対象となる刺青は、私に言わせればまごうことなき裸体芸術なのである。

宮下規久朗日本の裸体芸術ちくま学芸文庫、2024年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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