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自閉症の兆候:トーマスを家の玄関から保育園まで走らせる 「発達障害児を育てるということ」第3回

昨今の出版業界はちょっとした「発達障害バブル」。ASD(自閉スペクトラム症)やAD/HDについての発達心理学者や医師による新書や専門書、そして当事者によるコミックエッセイの類が、書店に山と積まれています。11月15日発売の光文社新書『発達障害児を育てるということ』がそれらの「発達障害本」と決定的に異なるのは、著者がその”どっちも”であることです。本書は発達心理学を専門とする大学教授(父)と、臨床心理士&公認心理師(母)の夫婦が、軽度自閉症の息子との日々について、専門家視点と保護者視点を行き来しながら書いた「学術的子育てエッセイ」なのです。

発達障害児の保護者のみなさま、また、”うちの子、発達グレーかも?”と悩まれている方々、さらにそうしたお子さんに関わる方々に広く読んでいただきたく、本書の一部を公開するnote連載、第3回は「自閉症の兆候『トーマスを家の玄関から保育園まで走らせる』」です。

本原稿は柴田哲・柴田コウ著『発達障害児を育てるということ』の一部を再構成したものです。

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食が細い


 これまで語ってきたように、我が家の三男ヨウは、自閉症である。そして、父と母はともに発達の専門家であるが、ヨウが2歳半になるまでは、そのことに気づかなかった。しかし、あとから考えれば、自閉症の兆候と思われる特徴はあった。本稿ではヨウの自閉症が判明するまでの経緯を振り返る。

 生まれたときの身長と体重は、ヨウが兄弟の中で一番大きかった。しかし、その後の成長はゆっくりで、1歳になる頃には、平均身長・体重をだいぶ下回るようになってきた。2歳頃からはギリギリ正常の範囲内という状態が続き、中学3年生(14歳半)の時点で、身長145㎝、体重35㎏強である。周囲には「小さくてかわいい」と思われているが、本人に言うと「かわいいって言うな(怒)」とお冠である。

 ヨウは赤ちゃんのときから、兄二人に比べて食が細かった。母は、少しでも食べるようにと、ヨウの好きなものをメニューに入れるようにしていた。今にして思えば、自閉症の子によくある、偏食の軽いものだったのかもしれない。

自閉症児の偏食


 偏食のある自閉症の子どもは多い。極端な場合だと、焼きそばしか食べないとか、白いご飯にふりかけをかけたものしか食べない、といったケースすらある。好き嫌いと混同されることがあるが、自閉症の偏食は単なるわがままとは異なる。かなり多くの自閉症の人が感覚過敏を抱えている。そのため、食べたものを他の人とは異なる味に感じたり、通常はサクサク感じられる揚げ物の衣の食感がチクチクした痛みとして感じたりといった例もある。
 普通は、ピーマンの嫌いな子も、親に怒られれば食べる。言われれば、嫌々ながらも食べるとか、お腹がすいていれば食べる、というのは好き嫌いである。一方、いくらお腹がすいていても、包装紙を食べようとは思わないし、押しピンは食べられない。障害による偏食は、食べないのではなく、食べられないのである。

 また、自閉症の子ども(大人も)にはこだわりがある。こだわりのために、それまでに食べたことのあるもの以外は食べられない、といったことが生じる。「こだわり」というと、「朝食はパンとコーヒーに決めている」とか「カレーライスには福神漬け」みたいなことを思い浮かべるかもしれない。こうした「普通」のこだわりは、それが破られたからといって、一切その行動ができなくなるわけではない。旅先のホテルではパンとコーヒー以外の朝食も食べるし、福神漬けがなくても(文句は言うかもしれないが)カレーは食べる。他方、自閉症の「こだわり」の場合、朝食にはパンとコーヒー以外は”絶対に”食べない。福神漬けがなければ、”絶対に”カレーを食べない。

 こだわりは自閉症の中心的な症状である。そのため、こだわりがあることが「多い」のではなく、必ず「ある」。そして、こだわりが強い場合、そのこだわり通りでなければ行動できないという「症状」が表れる。食べ物に対して自閉症のこだわりが生じると、特定のものは食べられない、極端な場合には、特定のものしか食べられない、という形で表れる。

 ヨウの場合、1、2歳のころには食の細さに気を取られて、母も父も偏食の可能性は考えなかった。ヨウは、初めて出されたものに手を出さないことは多かったものの、いくつかの食材やメニューしか食べない、ということはなかった。そのため、母も父も単なる食わず嫌いだと思っていた。

 また、父や母は、ヨウの好き嫌いの激しさを、末っ子で甘やかされているためだと考えていた。例えば、ヨウは2歳ごろにはチョコレートが大好きになり、その後もチョコ好きは加速していった。朝食はチョコの入ったパンしか食べなくなり、おやつはチョコレートというふうになっていたが、末っ子のわがままということで許されていた。ヨウの場合、自閉症の症状としての偏食やこだわりの部分と、単なる好き嫌いの部分が交ざっていたのだろう。

 中学生になった今でも、ヨウは初めてのメニューはなかなか食べない。このあたりは自閉症のこだわりだろう。野菜もサラダのような生のものやおひたしなどは残すことが多い。しかし、シチューや麺類、丼物に入っている野菜は全く問題なく食べる。また、学校の給食で出たときには全て食べている。ヨウの場合、こだわりがそれほど強くない(弱くなるように、親が取り組んできた)ということもあるが、野菜については単なる好き嫌いだろう。いずれにせよ、ヨウの食の細さは、自閉症の症状である偏食やこだわりによるものだったのかもしれない。けれども、1、2歳の時点では、それを見抜くことはできなかった。

イギリスへの引っ越し


 研究者は、10年に1度くらい、サバティカル(半年から1年程度、授業や会議などの大学の仕事を免除され、研究に専念できる期間)を与えられる。その際、多くの研究者は、在籍する大学以外の国内外の大学で研究を行う。この制度を使って、父がイギリスのランカスター大学へ1年間行くことになり、家族もいっしょにイギリスで暮らすことになった。日本を出発するとき、ヨウは2歳半であった。

 イギリスに着いてから2週間ほどで、住む家と長男セイの小学校を決めた。しばらくすると、次男オトが「お友達と遊びたい。保育園に行きたい」と言い出した。調べてみると、イギリスの保育園や幼稚園は、空きがあれば両親が共働きでなくても入れることがわかった。しかも、3歳以上の子どもは、1日4時間分は無償(国から補助金が出る)となっている。この制度は外国人にも適用され、オトも午前の分の保育料はタダになった。そして、家からそう遠くないところに、ウェストボーン・ハウス・デイ・ナーサリーという保育園があるのを見つけた。保育園や幼稚園は直接園を訪問して、見学してから、(空きがあれば)入園の手続きをすることになる。

 ウェストボーン・ハウス・デイ・ナーサリーは、2歳以上の幼児の保育をしている平屋の建物と、2歳未満の乳幼児の保育室と事務室のあるビクトリア様式の建物(19世紀の建物)で保育を行っていた。ビクトリア様式の建物は、廊下が狭かったり、階段が急だったりと、保育園として使うのに向いているようには思えない建物であったが、幼児の保育をしている建物は、平屋のすっきりした(イギリスでは)新しめの建物だった。クラスごとに異なる出入口から保育室に入るようになっており(ただし、建物の中ではつながっている)、園庭もクラスごとに別々にある。

 他に当てがあるわけでもなかったので、オトはこの保育園に入園することにした。そして、この保育園には2歳児クラスもあったので、ヨウも一緒に入園した。ヨウは2歳児クラス、オトは3歳児クラスだが、入り交じって保育されていることも多かった。

一心不乱のトーマス


 イギリスの保育園に通い始めてしばらくすると、ヨウに「これは自閉症だ」と気づく兆候が表れてきた。「登園時に、『きかんしゃトーマス』のおもちゃを家の玄関から保育園まで、地面に這いつくばって走らせる」というこだわり行動である。

 日本にいる頃から、ヨウはトミカ(ミニカー)を並べたり、手元で転がしたりといった遊びはしていた。イギリスに来てからは、きかんしゃトーマスのおもちゃを転がす遊びをし始めた。このおもちゃは、木製のプラレールみたいな感じで、木製のレールをつないだ上を手で転がして遊ぶ。電池で動くものもあるようだが、大半は人力である。もともと手で押して動かすようにできているし、全ての部品が、ネジや接着剤でくっつけられていて、木製なので壊れにくい。ヨウは、最初は、このトーマスを家の中で端から端まで押して遊んでいた。そのうち、トーマスを保育園に持って行きたがるようになった。日本の保育園だと、おもちゃを持ってくることを禁止していることが多いが、イギリスの保育園は、こういったことには寛容である。たぶん、「おもちゃを持ってきても構わない。でも、なくなっても知りません。各家庭の判断で」という個人主義的な自己責任論に基づいているのだろう。

 ヨウはトーマスを保育園に持って行くだけではなく、登園するときに、歩道でトーマスを走らせながら保育園に行こうとするようになった。地面に這いつくばって転がしていくので、なかなか進まない。抱っこして連れて行こうとすると、ヨウは叫び声をあげて嫌がった。その上、抱き上げられた場所からではなく、家の玄関まで戻ってやり直そうとする。「トーマスのおもちゃを家の玄関から走らせる」というこだわりである。結局、保育園までヨウを下ろさないように抱きかかえて連れて行くことになった。

 園に到着すると、ヨウはすっかり切り替わって、いつも通りに遊び始める。なので、母が来るときに大変だったことを伝えても、保育園の先生には上手く伝わらず、先生は「何も問題ないよ」という様子だった。母も、英語では大変さを上手く伝えることができなかった。

 こだわりは誰にでもある。くせや習慣といったものも含めると、私たちの生活の大半は同じようなことの繰り返しである。ある行為を同じように、それほど苦労なくできるようになることが、熟達であったり、(仕事なんかでの)成長であったりする。勉強や練習の大半は、そうした熟達に費やされる。

 ただ、自閉症のこだわりが、そうでない人のこだわりと異なるのは、自閉症の人の場合、「○○でなければならない」、という点だろう。誰にでもあるこだわりは、細部がちょっとくらい違っても、「仕方がない」「まあ、いいか」で済むことが多い。自閉症のこだわりには「まあ、いいか」が通じない。

「トーマスのおもちゃを家の玄関から走らせる」という行為は、自閉症ではない子どもでもありうるかもしれない。途中で親が焦れて抱きかかえると、叫び声をあげて続けようとすることもなくはない。が、大概はしばらくするとあきらめる。親の腕の中から逃れた場合も、地面に下りたその場から再開する。途中で邪魔が入ったことは、「仕方がない」で済む。しかし、自閉症の子には「仕方がない」「まあ、いいか」はない。「トーマスのおもちゃを家の玄関から走らせる」ことを決めた。それなのに、途中で抱き上げられたら、「トーマスのおもちゃを家の玄関から走らせる」ことができていない。だから、「最初」、つまり家の玄関からやり直さなければならない。
 もちろん打つ手がないわけではない。「トーマスのおもちゃを家の玄関から走らせる」ことにこだわっているから、玄関からやり直しになる。こだわりを分割できれば、少しマシになる。例えば、「トーマスのおもちゃを家の玄関から隣の家の前まで走らせる」「隣の家の前から、一つ目の曲がり角まで走らせる」「一つ目の曲がり角から、次の交差点まで走らせる」というふうに分ける。そうすれば、隣の家を通り過ぎた後に抱き上げられても、やり直すのは、自宅の玄関からではなく、隣の家の前からで済む。ことばがしっかり話せるようになると、こうした分割(分節化)がしやすくなる。

 しかし、2歳ころのヨウは、ポツポツことばが出ることはあったものの、ことばでものごとを切り分けられるほどには使えていなかった。なので、「トーマスのおもちゃを家の玄関から保育園まで走らせ」ないと保育園の玄関に入れない、という状態になった。

指さし


「トーマスのおもちゃを家の玄関から保育園まで走らせる」こだわりは、明らかに自閉症のそれである。そうしてヨウの行動を見てみると、他にも疑わしい点がある。ヨウは応答の指さしがはっきりしていない。

 自閉症の子どもは指さしに反応しない、もしくは、自分から指さしをしない、と言われることがある。ただし、まったく指さしをしないわけではない。指さしは、大きく三つに分類できる。一つは、自分の欲しいものを指さす要求の指さしである。もう一つは、自分の見つけたものを指さし、他者に伝えようとする叙述の指さしである。そして、三つ目に、指さしの完成形として、応答の指さしがある。応答の指さしとは、絵本を見ながら「ワンワンはどれ?」と問われると、指でさして答えたり、母親が側にいないときに「お母さんはどこ?」と聞かれて、いる方向を指さしたり、といったものである。自閉症の子は、要求の指さしはできても、叙述の指さしは出にくいとされている。また、叙述の指さしがあっても、応答の指さしへの反応が悪いとされている。

 ヨウの場合、要求の指さしは、はっきりと頻繁に出ていた。言葉数は少なく、よくしゃべるということはなかったが、ことば自体は出ていた。しゃべり始め自体はそれほど遅くはなかったので、叙述の指さしも標準的な発達からそれほど遅れることなく、1歳前後には出ていた。大人の膝に座って絵本を読んでもらうのは、1歳のころから好きで、絵本の中の絵を指さしていた(叙述の指さし)。しかし、2歳半を過ぎても、絵本を読んでもらいながら、父や母に「ブタさんどこ?」と尋ねられたときに、ヨウは絵本の中のブタの絵を指さす応答の指さしはあまり見せなかった。

 先ほど述べたように、自閉症の子は(叙述の)指さしが出にくいとは言われるのだが、ことばが出ている子の場合は指さしも出ていることが多い。標準的な発達では、叙述の指さしと最初のことば(初語)はほとんど同時期に出る。そのため、どちらが先か気づかないことも多い。しかし、発達の順序としては、叙述の指さしは、最初のことば(初語)が出る前に出現する。よって、叙述の指さしは、ことばの獲得準備が整ったことのサインの一つである。

 自閉症であっても、ことばが出ているということは、その前に当然、叙述の指さしを獲得している。獲得しているが、あまり行わないということはある。ヨウの場合には、ことばは出ていたので、叙述の指さしはあった。しかし、ことばでのやりとりはあまり上手にならなかった。次男オトも、ことばはそれほど早くはなかった。しかし、オトの応答の指さしは上手で、多く、激しかった。

 とは言え、2歳を過ぎる頃までは、ヨウが何か言おうとしても、兄たちが先にしゃべってしまうために、なかなか会話に入ってこれないのかな~、くらいに父と母は思っていた。しかし、応答の指さしの悪さと合わせて考えると、ヨウは単にことばが遅いだけではないようである。ことばを含めた他の人とのやりとり(コミュニケーション)の悪さの問題が浮かび上がってきた。

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著者紹介

柴田 哲(ヨウの父)
一九七〇年、兵庫県生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院教育学研究科博士課程を修了。博士(教育学)。東海地方の国立大学教育学部准教授を経て、現在、関西の私立大学文学部教授。専門は発達心理学。
 
柴田コウ(ヨウの母)
一九七三年、大阪府生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。臨床心理士・公認心理師。乳幼児健診の発達相談員等を経て、現在、児童相談所の児童心理司。

※本書は子どものプライバシー保護の目的で詳細な所属先を伏せ、ペンネームで執筆しています。

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