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なぜ「原爆初動調査」の真実が隠されたのか?|高橋昌一郎【第12回】

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「放射性残留物」の隠蔽

1942年9月、46歳のレズリー・グローヴス准将が原子爆弾プロジェクトの責任者に任命された。彼は、ニューヨーク州ウェストポイントの陸軍士官学校を卒業後、アメリカ陸軍司令部・参謀本部大学校および陸軍大学校を経て、陸軍マンハッタン工兵管区司令官となった。原爆開発が「マンハッタン計画」と呼ばれるようになったのは、総司令部がマンハッタンに設置されたためである。

グローヴスをよく知る部下は、彼のことを「非常に知的で勇気があると同時に、利己的で他者に批判的でもあり、古くからの慣習を無視して突き進む男」と評価している。グローヴスは、38歳のカリフォルニア工科大学教授ロバート・オッペンハイマーをロスアラモス研究所の所長にばってきした。その理由は、オッペンハイマーが非常に優秀な原子核物理学者であると同時に、原子爆弾の立案から製造まで、気難しい科学者たちをまとめられる人物と見込んだからだった。結果的に「マンハッタン計画」は、約3年間に総計22億ドルを超える経費で、ピーク時には12万人の科学者・技術者・労働者をつぎ込んで、原爆を完成させた。この計画に何らかの形で関わったノーベル賞受賞者だけで21人にも及ぶ。

1945年7月16日、ニューメキシコ州ソコロの南東48キロ地点の砂漠で、人類史上最初の核実験が行われた。結果はTNT2万トン近くの破壊力が確認され、「人口30万~40万人の都市を焼け野原にできる威力」と表現された。ロスアラモス研究所は沸きかえった。後にノーベル物理学賞を受賞するリチャード・ファインマンは、「僕らは、自分達が正しい目的のために原爆開発を始め、力を合わせて無我夢中で働き、ついに完成したという喜びに満ち溢れていた。そしてその瞬間、考えることを忘れてしまっていた」と述べている(原爆開発と科学者責任の議論は拙著『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)参照)。

1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下された。9月8日にはグローヴスを統括責任者とする「マンハッタン管区調査団」が「原爆初動調査」を開始した。10月12日には「合衆国陸軍・海軍合同調査団」、14日には「戦略爆撃調査団」が加わり、結果的にアメリカは4カ月にわたって広島と長崎の被害状況を克明に記録し、住民の血液を採取した。その結果、原爆投下から4カ月を経ても高い放射線量の地域があり、住民の血液に白血球の異常が認められたことから「放射性残留物」の存在が確認された。しかし、グローヴスはその事実を「トップ・シークレット」にして完全に隠蔽するよう部下の科学者に命じた。

本書で最も驚かされたのは、「放射性残留物」が存在しないという根拠がオッペンハイマーの理論にあった点である。オッペンハイマーは、原爆が地上600メートル地点で爆発したため、3000度を超える高熱と爆風が地上に甚大な被害をもたらしたことは認める一方、放射性物質は成層圏にまで上昇分散して広がり、人体に影響を与えるほどの放射性物質が落下するはずはないと理論づけていた。

本書の著者・NHKスペシャル取材班は、100人以上の関係者を取材し、数千点に及ぶ資料を2年間かけて分析し「原爆初動調査」の実態を調査した。その結果、原爆投下後に、広島と長崎の多くの住民が残留放射線によって白血病や癌に侵され苦しんで死亡したことが明らかにされている。しかし、グローヴスはその事実を隠蔽して「残留放射線による死亡例はない」と世界に宣言した。戦後の核開発でアメリカが優位に立つべきだと考えた彼は、一瞬で人間を蒸発させる原爆が「極めて快適な死」をもたらす兵器であり、「原爆は非人道的兵器ではない」と原子力委員会で宣誓し証言した。「原爆初動調査」で「原爆の非人道性」が否定された原罪によって、地球上に核兵器が満ち溢れてしまったのである!


本書のハイライト

アメリカは、広島・長崎で秘密裏に残留放射線を測定。極めて高い値を確認し、人体に影響を与える可能性に気づきながら、科学者に圧力をかけ、その事実を隠蔽していった。一方で、ソ連もまた原爆の被害を矮小化する報告を行っていた。戦後、残留放射線の存在から目をそむけ続け、アメリカとソ連は核兵器の開発を推し進めていく。しかし、調査の理由や結果が、最大の当事者である広島・長崎の被爆者に知らされることはなかった。それは、いかに罪深きことなのか。

(pp. 4-5)


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著者プロフィール

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授。情報文化研究所所長・Japan Skeptics副会長。専門は論理学・科学哲学。幅広い学問分野を知的探求!
著書は『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。

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