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『目に見える世界は幻想か?』|馬場紀衣の読書の森 vol.25

私たちの身のまわりでは、刻々とさまざまな現象が引き起こされている。しかし、それらは目に見える形では現れない。とはいえ、目に見えないからといって存在していないわけではないし、それどころか、かなり重要な働きをしている。この世界はとても巧妙に作られているのだ。

物理学の目的は壮大だ。端的に言えば、この世界がどういうものなのか、どういう原理原則で動いているのか、その本質は何なのかを明らかにしようとする。この世界は実にいろいろなものから成り立っていて、そのすべての本質を見極めようとしているのだ。

たとえば、もっとも身近な存在から物理について考えてみる。もっとも身近な、自分の身体について。人間が出す力について。手を使って動かすときは手や腕の筋肉が、足を動かすときには足の筋肉が、収縮したり弛緩したりすることで力が出されるのはご存知のとおり。ちなみに筋肉のなかにはアクチンとミオシンという2種類のたんぱく質があって、それが互いに引っ張りあうと、筋肉は収縮する。このたんぱく質というのが複雑な形をした分子で、それらの間には電磁気力が働いている。


松原隆彦『目に見える世界は幻想か? 物理学の思考法 』、光文社新書、2017年。


本書によれば、身のまわりで観察できる力はすべて、根本的には電磁気力で説明できるらしい。そして電磁気力は、電気と磁気を帯びた物体にしか存在しない。床に置いた物を引きずって移動させるときに働くのも、原子同士のあいだに働く電磁気力。じゃあ原子とは、どうして原子が存在できるのか、という単純な(に思える)問いの意味を理解するには、じつは大学で本格的に物理を学ぶ必要がある。なにしろ原子は「常識的な振る舞いを大きく逸脱した『量子力学』という原理にしたがっている」うえに、「原子の世界はあまりにも微小な世界なので、原子が数え切れないほど集まってできている私たちの世界とは、まったく異なった世界になっている」から。

常識的な世界とはかけ離れた世界。なんだか魅力的な響きである。ほとんど物理学に縁のない人生を送ってきたのに、なんで、どうして、と次々に質問がわいてくるのは、この本が「言葉だけ」でわけのわからない(と私が勝手に思いこんでいる)物理学の世界をひも解いてくれているからだろう。これって、物理学が苦手な人(というよりほとんど嫌悪している人)にとっては、かなりありがたい、のである。

不必要な嫌悪感がとり払われると、それまで靄がかかっていた視界が澄んでいくのがわかる。すると、自然と疑問がわいてくる。なにせ物理学が苦手なまま生きてきたので、本当に浅はかな質問になってしまうのだけど、そんな問いにも「待っていました!」とばかりに著者が答えてくれるのが嬉しい。まるで新学期がはじまったばかりの学生になった気分。良い先生に巡りあえると勉強はぐっと楽しくなるもので、良書にであうと、学びかたにも変化があらわれる。「これまでほとんど物理学には縁がなかったという人びとへ向けて書かれた物理学の入門書」というだけあって、信頼もあつい。



紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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