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自炊よりも遥かに安い、タイの外食事情(第19回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回のテーマは、タイ料理! これが好きでタイへ旅行する人も多いのではないでしょうか。といっても今回は料理の中身ではなく、タイの「外食文化」をフィーチャーします。タイでは日常生活でも自炊より遥かに外食が浸透しており、美味しく安上がり。その背景には気候やライフスタイルなど様々な理由があると同時に、自由な国民性だったり、さらにはきな臭いビジネスの香りもして……?

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食好き、屋台好きなタイの国民性

タイは全土的に自炊ではなく外食文化だ。バンコクの中流層以下のタイ人が暮らすようなアパートにはそもそもキッチンなどがない。簡易的な電気式の調理器具を使って調理するか、外の屋台などで食べる、もしくはテイクアウトしてくる。

中韓を含め、日本以外のアジア圏はだいたい屋台が充実しているイメージがある。海外からの観光客の中にはこれを目的にする人もいる。ベトナムもカンボジアも、タイの隣国でほぼ同じような文化を持つラオスもそうだ。しかし、実際にこれらインドシナ3国に足を運んでみると確かに屋台は多いものの、タイと比較するとそこまででもない。逆に、タイの屋台文化の発展具合を感じずにいられないほどだ。どの国も人通りがあるところに屋台があるのだが、タイは極端にいえば、人がいなくても屋台があるくらい、どこでも食べものを買うことができる。

屋台に対する感覚で今の日本とタイが大きく違うのは、一般の人々の考え方だろう。日本の場合、衛生的な観点やら近所の人の感情などもあって、なかなか屋台を出せるような土地柄ではない。もちろん、タイは一年中温暖な気候である部分も大きい。

しかし、一番大きいのは、タイ人は屋台を「必要なもの」であると認識している点ではないか。むしろ、当たり前すぎて議論にならないほど定着している。後述するが、タイでも政府による屋台の締め付けや運用に際する法令の厳しさは存在する。しかし、タイ人は日本人ほど法律やルールを遵守しないので、屋台が許されている面があると思う。タイの国民性として自分の身は自分で守るのが当たり前で、政府が守ってくれると捉える日本人とは大きく違う。日本の場合は、もし食中毒になった場合に誰がどう責任を取るのかが最初に問題になるが、タイはそもそも食中毒になっても社会問題にすらならないし、店のせいにする人も少ない。法的には責任の所在は明確だけれども、無責任に口にした自分が悪いと思う人が多いようだ。

このように屋台が認められやすい土壌はある種、タイ人のおおらかさのひとつでもある。簡単な現金収入になるので、やりたい人はやればいいし、食べたいものがあれば買うという、単純でのんきなおおらかさだ。

BTSトンロー駅前の在住日本人に最も有名だった屋台街。今から10年ほど前に消滅してそれっきり復活していない。

そして、タイ人も食べることが好きな点が日本人と似ていて、それが屋台を容認する人が多い理由だと感じる。タイ語の挨拶「サワッディー」には「こんにちは」といった意味合いがあるが、これは近代になって作られた造語とされる。それ以前、というか田舎の方だと今も「ご飯食べた?」といった言葉が挨拶だとされてきた。これはタイに限らず、東南アジア各国でも見られる。それくらい、食べることへの執着は強い。ただ、タイ人がいろいろな国の料理を楽しむようになったのはここ最近のこと。これに関しては次回、タイ料理に関する文化を紹介する際に紐解きたい。

ボクが知る限りでも、バンコクでは何度も屋台エリア消滅の話が起こっては消えている。たとえばゴーゴーバーのパッポンや日本人向けカラオケが立ち並ぶタニヤがあるシーロム通りは夜間の屋台が観光客に人気だったが、それが規制で一斉に消えた。しかし、数ヶ月もすると屋台は元通りに戻っている。ほかの地域も大通りは一気に追い払われ、ビルや商業施設の敷地に設置される青空フードコートなどに移されることもしばしばだが、結局、そういうところもちょっとすればまた屋台街に戻っている。

タイ人にとって、同時にすべての人々のタイ生活において屋台は必要不可欠なものであり、これもひとつの文化であるため、結果、なくなることはないのである。

商業施設内の屋台も恒久的なものとイベントだけのものがある。

外食文化の背景にある「家電」「気候」「食事量」

タイの屋台文化が発展した背景には、まず家電の多くが外国企業の製品で、たとえタイで生産しているにしてもやや価格が高かった点があるのではないか。

タイ人は個人主義で自分の信条を貫いて自由に生きる人々である。他人を気にしないので、同時に外国人を受け入れやすく、外国籍であっても観光や生活がしやすい。ただ、懐の広さがある反面、保守的な人も非常に多い。これは敬虔な仏教徒が多いことも要因だろう。あるいは、高貴な立場の人は昔は英国に留学することも多かったし、タイの中には英国の影響が残る事柄が少なくないのも一因だろう。

結婚式などは日本ほどドレスコードが厳しくなくて、黒色さえ着ていなければOKとされるし、町中のタイ人もヨレヨレのTシャツを着ているから、外国人はタイでは自由なスタイルでいいと勘違いしがちだが、実際のところタイ人はTPOをかなり気にする。タイにはそれくらい保守的な面があるので、日本以上に昔の生活を貫く、あるいは昔ながらの生活習慣を変えない人も多かった。そのため、家電の普及はずっと遅かったのではないか。単純に収入が少なかったのも要因だろうが。

タイではビールに氷を入れる光景が今でもたまに見られるが、冷蔵庫がなかったので常温でしか用意できず、ビール会社もそれを見越してアルコール度数を高くしていたと言われる。そもそも屋台の場合は冷蔵庫を置くための電源がない。今も屋台はガスを使っているところと、いまだ炭火で調理しているところが半々くらいといったほど。氷があるなら冷蔵庫くらいあるだろうと思うかもしれないが、氷は今も基本的に氷業者が納入している。

前項のように、特に昔ながらのアパート、中流層向けのアパートはそもそもキッチンがないため、外食が基本でもある。そういった部屋の場合、冷蔵庫もワンドアのものを使用するのがせいぜいだ。冷凍庫は上部あるいは下部に、申し訳程度についているだけだ。しかしホテルで見るような小さいタイプではなく、高さも1メートル超はある。これだと数千バーツで購入できる。日本の家電量販店では見かけないようなシンプルなサイズの冷蔵庫でも意外と日系のブランドもあったりで、タイだけでなく東南アジアではいまだ現地だけに向けたモデルの選択肢は多い。とはいえ、昔は冷蔵庫は贅沢品だったろうし、ワンドアでは保存しておける食材も多くない。

ビジネス街のシーロム近辺の屋台街。

なにより、タイ人は1食の量が非常に少ない。ベトナムやカンボジアは1食の量が日本人とそれほど大差はなく(ボクの印象だが)、とにかく米をよく食べる。ベトナムの米粉麺フォーも丼1杯は日本のラーメンより少し少ないくらい。しかしタイの米粉麺クイッティアオは、日本の一般的な定食につくみそ汁より少し多いくらいでしかない。その代わり、タイ人は間食が多く、これは医学的には効率的な栄養摂取方法ではあるものの、冷蔵庫を使うほどではないということになってしまう。

そもそも、ワンドアであろうがなかろうが、常夏の国なので外気温との差が大きいため、食材を保存していてもドアを開けるたびに中の冷気が逃げて温度がリセットされてしまう。したがって、多めに食材を保存しておけばおくほど使い切らないうちに腐ってしまう確率が高くなる。扉を開けなければいいのだけれども、暑いがゆえに冷たい飲みものを欲してしまう。そして、特にワンドアだと冷蔵庫のすべての冷気を逃すことになって、あっという間に食材がダメになってしまう。野菜室などがあればまた別だけれども、屋台利用中心になる中流層のアパートでは、2ドア以上は大きすぎて不釣り合いだ。そもそも、その層には2ドアは値段も合わない。

ボクの個人的な計算では、食べ盛りの子どもを含めて大人が4~6人以上はいないと、屋台で毎食食べるよりも月々の食費が安くならない。近年は屋台も物価高のあおりを受けていて、2022年時点ではそれこそ1食(たとえば屋台の1皿料理をひとつ)で50~60バーツは当たり前で、飲みものを注文したら100バーツ近くになってしまう。2000年初頭頃は屋台といえばせいぜい1皿が25バーツ、安いところで20バーツだったので、この20年で2~3倍も上がっている。ただ、これは食材諸々の値段が上がっているわけなので、自炊も変わらない。やはりある程度世帯人数が揃わないと、自炊は屋台よりも高くつく。これが、タイの屋台文化が強い理由だ。

ちなみに、農村などは自炊しているのかというと、ここも意外と外食が多い。ガスが通っていない、水道もないようなところばかり。市場も大きな村ならその辺にあるが、そうでなければいくつもの村の先の市場に行く必要がある。そうなると自炊そのものが大変なので、近所の食堂で買ったものをテイクアウトするのだ。

外食で栄養バランスはどう取っているのか?

屋台文化すなわち外食文化だと、日本人的にはどうしても栄養バランスを気にしてしまう。

ボク自身は2002年の移住時に60キロだった体重がわずか8年ほどで100キロに到達してしまった。これは、タイ人は食べものを残すことに抵抗がない文化であることが大きな要因で、妻やその親戚らと食事に行くと「もったいない」と感じて、彼女らの分も食べてしまったためだ。ただそれだけでなく、日本で育ったために体質的にタイ料理が重かったのもまた事実だと思っている。タイ料理は基本的に味が濃く、脂っこいものも多い。だから、タイ人も毎日同じようにタイ料理を食べていれば太る気がする。

工事現場横にあった屋台路地。大通りに面していないので、かなりグレーなエリア。

他方、かつてはタイ料理の栄養バランスの悪さもあってか、栄養失調も社会問題になっていたと記憶する。最近こそ聞かなくなったが、2000年代初頭までは生野菜を食べると畑や水の汚染で赤痢になることもよくあったものだ。ところが、タイ料理で野菜というと生が多く、火を通すものは限られていたりする。ボク個人としてはやっぱり和食とタイ料理では、和食の方、もしくは日本における日本人の食生活の方がバランスが優れていると感じる。

そうなると、外食生活ではより一層栄養摂取の効率やバランスは悪くなるのではないかと思ってしまう。ところが、案外、そうでもない。そもそも前述したように、タイ人は1食の量が少ない。これは大きい。また、青パパイヤのサラダであるソムタムや、英語ではサラダと訳される和え物のヤムをタイ人は昼食時に好んで摂るし、タイ料理にはタイ伝統医学で使用される薬草と共通の香草もふんだんに使用される。

タイ東北部料理の屋台では主に生野菜が出てくる。しかも、基本的に無料だ。

なにより、タイ料理はそもそもタイという気候に合わせて発展した料理であり、タイで生まれたタイ人(ここでは広義の意味でタイ国籍を持つ人々)はこれで育ってきているので、タイ料理を食べているだけで自然とバランスが取れているのかもしれない。

まあ、実際にはそこまで深く考えていないとボクは思う。というのは、たとえばコンビニエンスストアの食品は、日本だとカロリーが必ず記載されているが、タイの加工食品でカロリーが載っているものはまだまだ少数。子どもの成長にはいろいろな栄養が必要なわけだが、最近までその「子どもの成長」とは背が伸びることであって、栄養が脳の発達に必要だといった考え方は皆無だった。少なくともボクの長女が生まれた2006年前後はそういった話は専門的な内容であって、一般的に語られるものではなかった。真偽は知らないが、ボクが中学生くらいのときに流行していた脳に効果があるという成分のDHAも、ここ数年でやっとタイの子ども向けミルクなどのパッケージに表記が見られるようになったくらいだ。

外国人向け商品のためカロリーなど英語表記もあるが、タイ語の場合、文字が小さすぎて読めないこともしばしば。

タイ人がそこまで考えていない証として、ボクがタイに来てから一二を争う衝撃を受けたあることが挙げられる。それは、野菜を一切食べない20代30代の存在だ。それもひとりふたりではなく、数人だ。もう結構前の話なので、すでに彼らは40代になっているとは思う、生きていれば。タイに限らずどこにだって大人でも野菜嫌いはいるが、タイで出会った彼らの共通項は幼少期から一切野菜を食さずに来ていることだ。肉や卵などは食べるが、とにかく野菜やキノコは絶対に口にしない。食事に行っても、抜いてもらうか、出てきたものから野菜を取り除いて食べていた。ボクには日本にシイタケ嫌いの先輩がおり、その人が十六茶を飲んだ瞬間にシイタケ茶が入っていることを見抜いていたが、それとは違って野菜のエキス的なものは平気なようだった。

なにより驚いたのは、親などがそれを容認してきたことと、周囲のタイ人たちもみんな「全然食べないんだよ」と慣れたように笑っていることだった。知人の旦那がオーストラリア人で、タイ式ステーキを食べに行った際に米を食べず肉だけを食べていたが、それでも鉄板に載った野菜も多少食べていた。しかし、この逆ベジタリアンなタイ人たちは具材から染み出たエキスはともかく、小さい欠片もひとつひとつ除いていた上に、それを誰も変だと思っていない。これには衝撃を受けた。さすがのボクでも気になってしまうくらい野菜を食べない。体臭や血液などいろいろなことに不都合がある気がするが、まあ肉食動物が野菜を食べなくとも生きているように、案外大丈夫なのかもしれない。

同時に、タイ人のらしさも出ているとも思う。親とはいえ、そこまで強要せず、食べないならほかの食べられるものを食べればいいという考え方は、どんなに小さくてわがままな子であろうが人と認める究極の個人主義というか。周囲も、それは変ではないか、とか、身体によくないのではないかという意見もしない。それは自分のことではないから干渉しない。

いろいろと考えさせられる事案だなと思うが、補足しておきたい。こんなに野菜を食べない人というのは確かに日本よりは多く見るのだが、タイでも十分にマイノリティーである。親も普通はバランスよく食べるように躾けるし、ほとんどの子どもが好き嫌いなくいろいろなものを食べる。

意外と食品衛生法は厳しい

話は変わるが、日本だとスイカは結構高価な果物ではないだろうか。今は違うのかもしれないが、特にボクのように40代以上だと小さいころは夏にしか見かけない上に、その夏の間も片手にあまるくらいしか口にする機会はなかった。もっといえば、三日月形に大きく切られているスイカをひとりひとつ与えられることは数年に一度の出来事であり、志村けんが『8時だョ!全員集合』で早食いをするシーンは笑いと共に羨望のまなざしで見ていたものだ。

味のある飲みものも麦茶くらいしかなかった。いつしかそれがウーロン茶に変わったが、それでも冷蔵庫にある味のついた飲みものはこげ茶色が基本であった。コーラは歯が溶けるといわれ飲ませてもらえず、オレンジジュースは年末年始の挨拶で祖父母の家に行ったときくらいにしか飲めなかったものである。

日本も今はその点は大きく変わっているが、タイはさらに屋台で安く買えるのだからすごいと、初めて来たときは感動したものだ。スイカなんかは日本のものと違って実はスカスカな気がするが。それでもかつては10バーツから買えたというのはいい世界だと思った。コーラなども袋に入れて飲むのはなかなかの驚きだった。甲子園名物のかち割り氷のようなイメージだが、タイの場合は小売店が商品を入れる小サイズのビニル袋へダイレクトに氷とコーラなどを入れる。衛生面なんかこれっぽっちも気にしていない。

しかし、実はタイのいわゆる食品衛生法関連は意外と厳しい。場合によっては日本よりも厳しいのではないかというくらい。タイ人の飲食店に対してはとりあえず同じ文化を背景にしていることもありそこまで厳しくないと聞くが、日本人経営の場合、保健所などが開業前に店に来て各種設備の点検に加えて、従業員らの手洗いの方法などをレクチャーしていくという。

屋台の運用に関しても実はかなり細かくて、たとえば皿を洗うタライは浸け置きや洗浄、すすぎ用など複数用意していなくてはいけないなど、意外と簡単ではない。日本人と比較したタイ人の遵法精神や、タイ文化の衛生観念がそもそも違うので、その法令をしっかりと守って運用しているかどうかはまた別の話になるものの、食品や医療などの保健衛生関連法令自体はかなり厳しいものになっている。加工食品だって決まった形式があって、その記載項目がどれも欠けてはいけない。ただ、欠けてはいけないだけで記載していれば問題ないため、とてつもなく小さい字で書かれていることもしばしばだが。

法令に則って洗いダライを複数用意している。

屋台ビジネスの裏側

冒頭の項でタイ政府の屋台締め付けが厳しいとしたが、実際に屋台が追い払われるエリアもここ10年だけでいくつもあった。衛生面や治安、交通の問題などもさまざまあって、頻繁に警察が取り締まりをしている。

ただ、よく見かける取り締まりは基本的に、手押し車などの簡易的な屋台に対するものが多い。わりと規模の大きい、すぐに移動できない食堂に近いレベルの屋台はあまり取り締まりに遭わない。というのは、一応屋台も許可制になっていて、ちゃんと認可されている場合には問題がない。

カット果物屋台。こういったガラスの手押し車で売り歩いているが、基本違法だ。

警察の取り締まりもあるが、屋台を管理しているのはバンコクの場合は各区役所であることが多い。そこにテーサキットと呼ばれる警察官のような役人が不法屋台を取り締まる。手押し車は移動が容易であるので勝手にやってきて、勝手にものを売っている。これらはさまざまなトラブルの元になることが多いので、テーサキットが取り締まっていくわけだ。また、取り締まりされるのはだいたい屋台禁止エリアであることも多い。

区によっては屋台開放エリアを設けていて、24時間OKだったり、決まった時間帯のみ出店が可能だったり。屋台をやりたい人はそのエリアの区役所に行って申請すればいい。あくまでもこれは公道の話であって、商業施設やビルの敷地内であればその運営会社に申請をする。

バーンラック区の屋台開放エリアを示す看板。

では、手押し車の連中も区役所で許可を取ればいいじゃないかという話になる。ところが、そう単純ではない。この屋台ビジネスも結局は利権が絡んでくる。当然ながら、区役所が徴収する土地代なんてたかが知れている。せいぜい数百バーツもかからないだろう。しかし、区の偉い人や警察関係と絡んでいる昔からの既得権益者がすでにその権利を持っていて、また貸しすることになる。屋台の数よりも名義人数は実質的には圧倒的に少ないのだ。しかも、賃料は数千バーツになので、そのエリアを手中に収めればただそれだけで毎月数万バーツの利益になる。

これくらいの大きさだと押して逃げられないので、ちゃんと許可を取って営業する人がほとんど。

政府が屋台を追い払おうとしてもすぐに屋台が戻ってくる裏には、元々権利を持っていた人と区役所の役人や管轄警察の高官らのズブズブの関係もあるわけだ。そのため、最終的にはまた元通りになることが多い。正確には元通りにしてあげるとするべきか。あるいは、役所や警察のトップが変わったことで旧担当者の仲間である既得権益者を追い出し、新たに自分のテリトリーの人間に権利を与えているということもあり得るかもしれない。

屋台ビジネスもうまくやればかなりの利益になる。日本の飲食店と同様に初期投資がかなり安く済むから、得られる利益は大きい。資金の少ない若者でも起業できる魅力がある。仮に屋台の土地代がまた貸しで高くとも、それでもペイできる勝算はあるのだ。とはいえ、雨の日も風の日も店を出さないといけないし、時間帯や人の流れ、天候によって日々の売り上げは大きく変わるし、店主も肉体労働になる。結局、そんな屋台ビジネスで労せず利益を得るのは人間関係をしっかり押さえている、それなりの地位の人だ。タイではやっぱり、こういう人物がいつだって一番おいしい思いをするのである。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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