なぜ「宇宙検閲官仮説」が必要なのか?|高橋昌一郎【第5回】
ペンローズとホーキング
2020年度のノーベル物理学賞は、「ブラックホール形成が一般相対性理論のごく自然な帰結となることの発見」に対して、オックスフォード大学名誉教授の宇宙物理学者ロジャー・ペンローズに授与された。
ペンローズは、1965年に「特異点定理」を導いた。この定理は、一般相対性理論の帰結として、重力崩壊する星が「特異点」(あらゆる物理法則が破綻をきたす点)を生じさせることを数学的に厳密に示している。その後、彼はケンブリッジ大学の宇宙物理学者スティーブン・ホーキングと共同研究を開始し、1969年に宇宙の初期状態も「特異点」であることを導いた。つまり、ビッグバンは「特異点」から始まったわけである。
ホーキングは、21歳のときに飛び級でケンブリッジ大学大学院に進学した直後、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を発症した。当初は余命4~5年と告知されたが、ホーキングの症状は奇跡的に進行が遅くなったため、彼は、それから55年間にわたって、最先端宇宙論に大きな影響を与える論文を発表し続けた。もし彼が2018年に逝去しなければ、ペンローズとノーベル賞を共同受賞したに違いない。
さて、本書の著者・真貝寿明氏によれば、この「特異点の存在は厄介」である。なぜなら、この点から先は現在の物理法則では空間的にも時間的にも計算不可能になるからだ。つまり、物理法則の一種の「限界」を示しているのである。
一般に強く重力崩壊する星はブラックホールになるので、「特異点」もブラックホール内部に発生し、外部宇宙には影響を及ぼさない。ところがブラックホール外部にも、ブラックホールという「服」をまとわない「裸の特異点」が存在する可能性がある。これは数学的に導かれた解の一つにすぎないが、現実に「裸の特異点」が存在するのは不気味である。
そこでペンローズが考案したのが「宇宙検閲官仮説(Cosmic Censorship Hypothesis)」である。要するに、宇宙は特異点をブラックホール内部に隠すように検閲するので「裸の特異点」は存在しないという仮説である。この仮説が正しければ物理法則の限界に関わる必要もない。本書は、一般相対性理論から特異点定理と宇宙検閲官仮説に至る経緯を、丁寧にわかりやすく解説している。
さて、茶目っ気のあるホーキングは、1974年12月、カリフォルニア工科大学の宇宙物理学者キップ・ソーンと、はくちょう座X-1がブラックホールであるか否かについて、ヌード雑誌1年分を賭けることにした。実は、それまでの観測結果から、2人ともX-1がブラックホールであることを確信していたが、ホーキングは自分の信念の反対に賭けた。「ブラックホールが存在しないほうに賭けておけば、少なくとも賭けに勝ったという慰めを得ることができるからね」というのが、その理由である。この賭けに勝ったソーンは『ペントハウス』誌1年分を入手したが、それを見つけた彼の妻から大目玉をくらったという。
1991年9月、再びホーキングはソーンと「裸の特異点」が現れるかどうかの賭けをした。その後、ブラックホールの臨界状況を示す理論により、非常に特殊な状況下では「裸の特異点」が発生することがわかった。再び賭けに負けたホーキングは、今度はヌード女性を大きく描いたTシャツをソーンに送った。
本書で最も驚かされたのは、1997年、ホーキングが三度目の賭けで「一般的な条件下で『裸の特異点』は発生しない」を選んだことである。この答えは今も謎のままだが、ホーキングの賭けに負ける習性によれば「『裸の特異点』は発生する」!