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男子という闇|馬場紀衣の読書の森 vol.42

ひとのない夜道をひとりで歩いているとき。古臭い因習に遭遇したとき。思うことがある。男の子だったらよかったのに、と。「女の子だった私には、男の子の方が何かと楽なように思えたから」。これは、私の言葉ではない。この本の作者であり、女の子と男の子を一人ずつ育てる母親で、ワシントンポスト紙の報道記者でもある著者の言葉だ。そして、世の女の子たちの内なる声でもある。

アメリカでは男性の約4人に1人が生涯のうちに何らかの性暴力をうけたことがある、という衝撃的な事実がある。2015年の調査によれば400万人近くの男性が性暴力の被害にあい、そのうち200万人以上もの男性が望まない性的接触をうけ、80万人以上が他者に「挿入させられた」と答えている。LGBTQの男性にいたっては、異性愛者の男性よりも被害にあうリスクは高くなる。性的不正行為に関する話は、その異常性が霞んでしまうほどにありふれているが、語り手のおおくは女性だ。男性や少年の話は公の場ではあまり語られず、知られることなく、ほとんどはひっそり隠されている。

同性間の性暴力は、少年に関する誤った常識をいまだに信じ続けている大人たちの側にも問題がある。男らしさを語るマスコミの報道や真の男は丈夫で助けを求めず、強く振る舞うべきというステレオタイプや思い込みは、少年たちに男になるための正しい方法は一つしかないと信じ込ませてしまうからだ。少年はやがて男性になる。本書は、少年たちが成長していく過程で直面する「有害な男らしさ」のプレッシャーと、それによって引き起こされる悲劇を警告する。

望まない接触が性的暴行という深刻な問題に当たるのは、男子ではなく女子の場合のみであると少年たちに示す際、我々は同時に、女子の体しか守る価値がないというメッセージを送っている。このようなメッセージは、息子たちを虐待の対象にし、彼らに厄介な問題を突きつけることになる。それは、自らの体が尊厳と敬意を持って扱われることがないのに、なぜ他人の体を尊厳と敬意を持って扱わないといけないのかというものだ

同性間の性暴力の実態がひとつ、またひとつと明らかになっていく度に読者はこう思うはずだ。女の子たちは、男の子についていったい何を知っているのだろう。かつての著者とおなじ言葉がこみあげてくるかもしれない。「見当もつかなかった」と。しかし現実は、見当もつかなかった、では済まされない深刻な状況にある。男の子をより理解するために、女性(母親)としての自分はどう変わればよいのだろう。著者は自らに何度も問いかける。

母親としての私の役割は、自らの言動に隠れているこのような思い込みについて考え、正すことである。そのためには、意識的に息子と感情について話したり、彼が助けを必要としていないかを確認したり、男女両方の子どもと遊びの約束を取り付けたりすることが必要となるかもしれない。しかし、それだけではなく、私は子どもたちとこれらの隠れた思い込みについて話し合う必要がある

とはいえ、世界の期待に合わせた、男らしい生き方を選んだ男性らしい男性は、そうでない男性と比べると総合的に人生に満足する傾向にあるとの報告もある。ジェンダーステレオタイプを受けいれたほうが都合の良い場面もあるからだ。それはすなわち、「男らしさ」は女の子らしいとされる領域に踏み入れないように強く意識することによって守られているということでもある。

この本は教育本ではないと著者はいうけれど、これほど丁寧に性教育の重要性を説いた本を私は他にちょっと知らない。著者が「息子たち」と呼びかけるとき、そこには幼い自分の息子を含めた、出会ったことのないすべての少年たちがいる。法律や学校教育の枠をこえて、一人の母親が子どもの目線の高さで、真摯に語りかけてくる。慈しみに満ちた真剣な目からは、誰も視線を外すことはできない。なぜなら「彼らの成功と健康は我々にかかっている」のだから。


エマ・ブラウン『男子という闇 少年をいかに性暴力から守るか』山岡希美=訳、明石書店、2021年。


紀衣いおり(文筆家・ライター)

東京生まれ。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。オタゴ大学を経て筑波大学へ。専門は哲学と宗教学。帰国後、雑誌などに寄稿を始める。エッセイ、書評、歴史、アートなどに関する記事を執筆。身体表現を伴うすべてを愛するライターでもある。

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