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自閉症に気づかなかった理由 「発達障害児を育てるということ」第4回

昨今の出版業界はちょっとした「発達障害バブル」。ASD(自閉スペクトラム症)やAD/HDについての発達心理学者や医師による新書や専門書、そして当事者によるコミックエッセイの類が、書店に山と積まれています。11月15日発売の光文社新書『発達障害児を育てるということ』がそれらの「発達障害本」と決定的に異なるのは、著者がその”どっちも”であることです。本書は発達心理学を専門とする大学教授(父)と、臨床心理士&公認心理師(母)の夫婦が、軽度自閉症の息子との日々について、専門家視点と保護者視点を行き来しながら書いた「学術的子育てエッセイ」なのです。

発達障害児の保護者のみなさま、また、”うちの子、発達グレーかも?”と悩まれている方々、さらにそうしたお子さんに関わる方々に広く読んでいただきたく、本書の一部を公開するnote連載、最終回となる第4回は「自閉症に気づかなった理由」です。

本原稿は柴田哲・柴田コウ著『発達障害児を育てるということ』の一部を再構成したものです。

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自閉症に気づかなかった理由


 ヨウの場合、体の成長が遅い、ことばが増えてこない、ことばでのやりとりがあまり続かない、といった発達の遅れがあった。そして、その兆候は、振り返ってみれば、1歳半頃には見られていた。一方で、1歳前後のヨウには、典型的な自閉症の陽性症状(普通の子どもが行わないが、自閉症の場合は行う行動)は見られなかった。1歳前後の自閉症の陽性症状は、視線を避けるとか、抱っこや触られることを嫌がる、また、欲しいものを指さすのではなく、親の手首を持って親の手を欲しいものに近づけるクレーン現象などである。

 こうした典型的な自閉症の陽性症状がヨウに見られていれば、もう少し早く気づいたかもしれない。しかし、ヨウは抱っこされると大概は大人しく抱かれていた。抱っこされること自体も好きで、親としても、小さくて軽いので抱きやすかった。視線が合いにくいということもなかった。ことばが出始めたのも遅くはなかった。はっきりとしたクレーン現象も見られなかった。また、ほとんどの場合、ヨウは兄たち、特に1歳上のオトにくっついて遊んでいた。そのため、ヨウ自身の特徴に、父も母もなかなか気づくことができなかった。

 もし、日本の保育園に通っていたら、他の子どもたちに比べて、先生のことばへの反応の悪さや、やりとりのできなさが次第に目立ってきたかもしれない。しかし、父と母は、イギリスの保育園でしゃべらないのは、英語がわからないためだと思った。イギリスの保育園の先生たちもそう思っていただろう。

自閉症のスクリーニング


 自閉症を早期に発見するための方法(スクリーニング)がいくつかある。1歳半くらいから実施可能なものもある。例えば、M―CHATと呼ばれるチェックリストでは、保護者が23項目の簡単な質問に答えるだけで、子どもに自閉症のリスクがあるかどうかの簡易判定ができる。ただ、M―CHATは、割と簡単に自閉症のリスクがあると判定される半面、誤判定(擬陽性)も多い。1歳半頃にM―CHATで自閉症のリスクがあると判定されても、その後の精密検査(もっと詳しい自閉症用の検査)や経過観察の中で、半数以上は特に問題なしとされるようである。

 ヨウの場合、M―CHATだと、おそらく2歳半くらいまではひっかからなかったと思う。ひっかかったとしても「もう少し大きくならないと、自閉症かどうかははっきりしない」という状態だっただろう。そのため、「トーマスのおもちゃを家の玄関から保育園まで走らせる」といった、はっきりしたこだわりが出てきて、ようやく父と母は「自閉症」に気づいた。ちなみに最近の研究では、幼少期に自閉症として診断されるのは、平均的には生後38ヶ月頃といわれている※1。父と母が、ヨウが自閉症であることを確信したのは、2歳半を過ぎた頃(生後31~33ヶ月)なので、早いとは言えないが、取り立てて遅いということもない。

障害受容


 親が自分の子どもに障害があることを知り、受け入れていくまでの過程については、多くの研究がある。中でも、アメリカの小児科医のドローターによる5段階の障害受容※2――ショック→否認→悲しみと怒り→適応→再起――がよく紹介されている。

 まず、子どもに障害があることを知ったときに大きなショックを受ける。そして、「子どもに障害がある」という事実を否認しようとする。否認できないことがわかった後、悲しみと怒りが押し寄せる。そして、時間とともに障害のある子どもとの生活に慣れていき、さまざまな工夫や努力をするようになる。最終的に、障害をポジティブに前向きに捉えられるようになる(悲しみや怒りは繰り返し、その状態が続くという説など、これを否定する説も数多い)。

 ヨウが自閉症であることに気づいた父と母の場合、障害受容の前半の3段階、ショック→否認→悲しみと怒り、はそれほどなかった。一般的には、他の人、例えば、乳幼児健診や病院でお医者さんに告げられたりすることで、ショックを受けたり、「そんなはずはない」と否認しようとすることが多い。しかし、父と母の場合、二人とも発達や障害の専門家であるため、ヨウの障害に気づいてすぐ、職業上の反射的な反応なのか、「それでは、どうする?」という適応の段階に入ってしまったような気がする。

 そうなったのには、「この子、自閉症や!」とはっきり認識したのが、イギリス滞在中だったこともあるかもしれない。ヨウは自閉症であるために周囲の人とのコミュニケーションが難しいが、父や母も英語の問題で周囲の人とのコミュニケーションが難しかった。しかし、ヨウも、父と母も、周囲の人たちとトラブるような大きな問題行動は(たぶん)ない。そして、ヨウも、父と母も、少しずつ、コミュニケーションは良くなってきている。ヨウは成長によって、父と母は英語力の改善によって。

 また、ヨウが基本的にかなり大人しい子であったことも、父と母が障害に気づいても冷静だった理由と言えるだろう。日本―イギリスの間の長時間のフライトですら、ヨウは疲れて若干不機嫌になった以外は、おおかた大人しく過ごせたほどである。ヨウを家庭などの限られた人間関係の中で育てていく分には、他の子に比べても大変というわけでもない。正直、ヨウの障害なんかよりも、外国での生活のほうが大変だったかもしれない。

 そもそも、外国に滞在中という状況では、打てる手も限られている。この先もずっとそこ(イギリス)で暮らすのならば、障害に対する支援サービスを探すといったことも必要である。しかし、次の春には日本に帰ることが確定していたので、「日本に帰ってから考えるか~」といった、ある種のあきらめもあった。このあたりは、ヨウのこだわりやぐずり(夕暮れ泣き)といった大変さが、場面限定であり、困ったのが母と父だけで、保育園なんかでは出ていなかったことも大きい。我が家の場合、父も母も発達や障害の専門家であったり、障害に気づいたのが海外での長期滞在中であったりと、少しばかり一般的でないかもしれない。

 ちなみに、日本に帰ってから、ヨウの障害や問題に対応していく過程で、父も母もさまざまな怒りや悲しみが湧き上がることがあった。しかし、この怒りと悲しみは、障害受容の3段階目の「怒りや悲しみ」とは異なる。障害受容の3段階目の「怒りや悲しみ」は、子どもに障害があることがわかった後の割と早い時期における、行き場のない怒りや悲しみである。ヨウの障害や問題に対応していく過程での父や母の怒りや悲しみは、大抵の場合、行政や学校(とそこのスタッフ)の対応に対してである。

こだわりをやわらげる


「トーマスのおもちゃを家の玄関から保育園まで走らせる」こだわりから、ヨウが自閉症であることに気づいたが、こだわりと言えば、朝食(のメニュー)もその一つかもしれない。イギリスでの朝食は、基本的にパン食であった。そのせいか、10年近くたった今でも、我が家の朝食はほとんどパン食である。ただし、「こだわり」ではないので、たまには、ご飯のときもある。ヨウはイギリスに来てから、トーストした食パンにチョコレートを塗って食べるのが習慣になった。そして、こだわりになった。朝食は必ずチョコパンになってしまった。朝食以外も、おやつはほぼチョコレートになった。ちなみに、当時は円高ポンド安だったこともあり、かなり大きなチョコレートバーを、150円くらいで近所のコンビニで買えた(もちろん、イギリスにもコンビニはある!)。

 あまりにもチョコレートが好きなので、父はヨウのことを「チョコデビル」と呼ぶことにした。自閉症の子どもの場合、からかいや冗談が理解できないことが多い。好意的な(少なくとも悪意のない)愛称やあだ名が受け入れられないということもありうる。自分の呼ばれ方について、固定された、ある種のこだわりになってしまい、他の呼ばれ方に対応できなくなることもある。そんなふうに固まってしまわないように、父は、ヨウをあだ名で呼んだり、からかったりし続けてきた。

 最初の頃は、父に「チョコが大好きチョコデビル」と呼び掛けられると、ヨウは嫌そうな顔をしていた。しかし、「チョコデビル」と(父に)呼ばれ続けているうちに、ヨウも次第に慣れてきて、返事もするようになった。そのためか、その後、幼稚園や学校などで「ヨウ君」「ヨウちゃん」、または名字で呼ばれるなど、いろいろな呼び方をされても、混乱したりすることはなかったようである。

 小学校高学年頃には、ヨウのチョコレートへの偏執的なこだわりは、だいぶおさまってきた。たまに、朝食にご飯やピザや肉まんを出されても、ぐずったりはせず、大人しく食べる。ヨウにとって、チョコレートは自閉症的なこだわりではなく、単に好物というだけかもしれない。とは言え、基本的に、ヨウの朝食はチョコパン――チョコレートが入っている、もしくはチョコレート味の菓子パンか、食パンに割った板チョコをのせてトーストしたもの、トーストにチョコペーストを塗ったものなど――である。

 マクドナルドのセットの飲み物は、マックシェイクのチョコレートに決めている。自販機で買う飲み物は、お茶以外ではホットココアを選ぶ。サーティワンのアイスをダブルにするときの組み合わせは、チョコレート×チョップドチョコレートと、まったくぶれない。ヨウ自身の誕生日のケーキは、もちろん、チョコケーキである。ただ、兄たちの誕生ケーキは生クリームのものだったりしても、それは食べる。なので、やはり、チョコレートは自閉症的なこだわりによる偏食ではないかもしれない。そして、抹茶味やストロベリー味のようなチョコレートは、ヨウにとっては邪道なのか、ほとんど口にしない。「チョコデビル」にとってのチョコとは、ブラックかミルクチョコレートらしい(ホワイトチョコはギリギリ可)。

 チョコレートへのこだわりがおさまってきてからは、いつまでも「チョコデビル」と呼ぶのもなんなので、小学校半ば以降、父は、ヨウのことを「ぷりぷり君」と呼ぶようになった。体が小さくて(顔立ちも)かわいらしいのと、ときどき原因不明のことで不機嫌になって怒っているので、「かわいい」のプリティーと、ぷりぷり怒っている様子をかけて「ぷりぷり君」である。ヨウは、父が「ぷりぷり君」と呼ぶと、最初のころは、「ヨウです」と返していたが、繰り返しているうちに、普通に反応するようになった。

 自閉症児を含めて発達障害の子たちは、悪口や冗談に、すぐに怒ったり、真に受けたりすることも多い。そうすると、よけいに面白がられて、学校でからかいの対象になることがある。そうしたからかいは、いじめに発展する可能性も高い。なので、ちょっとしたからかいを受け流せるような柔軟性を身につけていたほうがいい。そう思って、父はヨウをあだ名(愛称)で呼んだり、からかったり、突然追いかけたりを繰り返してきた。効果のほどは不明だが、ヨウは自身の呼び名にはこだわりがないし、交流級(普通学級)ではまったく溶け込めていないものの、いじめられているといったことはない。

本書ではヨウのこの後の幼稚園時代、小学校時代、中学校時代のエピソードが赤裸々に綴られています。ぜひ、書籍をお手にとってみてください。

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※1 フレッチャー=ワトソン,S・ハッペ,F(著) 石坂好樹・宮城崇史・中西祐斗・稲葉啓通(訳)2023『自閉症:心理学理論と最近の研究成果』星和書店

※2 Drotar, D., Baskiewicz, A., Irvin, N., Kennell, J., & Klaus, M. (1975). The adaptation of parents to the birth of an infant with a congenital malformation: A hypothetical model. Pediatrics, 56, 710―717.


著者紹介

柴田 哲(ヨウの父)
一九七〇年、兵庫県生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院教育学研究科博士課程を修了。博士(教育学)。東海地方の国立大学教育学部准教授を経て、現在、関西の私立大学文学部教授。専門は発達心理学。
 
柴田コウ(ヨウの母)
一九七三年、大阪府生まれ。関西の国立大学教育学部教育心理学科、大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。臨床心理士・公認心理師。乳幼児健診の発達相談員等を経て、現在、児童相談所の児童心理司。

※本書は子どものプライバシー保護の目的で詳細な所属先を伏せ、ペンネームで執筆しています。

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