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馬場紀衣の「読書の森」

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書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟… もっと読む
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#身体

男子という闇|馬場紀衣の読書の森 vol.42

人気のない夜道をひとりで歩いているとき。古臭い因習に遭遇したとき。思うことがある。男の子だったらよかったのに、と。「女の子だった私には、男の子の方が何かと楽なように思えたから」。これは、私の言葉ではない。この本の作者であり、女の子と男の子を一人ずつ育てる母親で、ワシントンポスト紙の報道記者でもある著者の言葉だ。そして、世の女の子たちの内なる声でもある。 アメリカでは男性の約4人に1人が生涯のうちに何らかの性暴力をうけたことがある、という衝撃的な事実がある。2015年の調査に

肥満男子の身体表象|馬場紀衣の読書の森 vol.41

セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読んだ。私はこの物語がほんとうに好きだ。愛読する騎士道文学の影響を受けたキホーテは、狂った細い男で「あまりにひょろ長く、やせて、顔もこけて、脂肪がなく、柔軟性もなく、まるで結核で衰弱してしまったかのようにかなりやせ衰えている」。一方、飲食のために生きているサンチョ・パンサ(召使い)は「大きな腹部に、背丈が低く、長いすね」という姿。不自然にせりだした腹部というのは、つまり肥満体である。体をもたない実在のない小説の登場人物が、それでも物語を生きる

誘惑する文化人類学|馬場紀衣の読書の森 vol.41

悪魔への誘い、物品への誘い……「誘惑」という言葉には、甘美な響きがある。でもそれだけじゃない。誘惑という言葉には、危険なニュアンスもある。 人は自分の身体を安定したものとみなしがちだけれど、内外的な影響を受けて簡単に形を変えてしまえる身体の在り様というものは、不完全で不安定ともいえる。わたしと他者とを結びつけることを可能にするこの身体が、誘惑が、破滅を招くほど危険なのは、それが身体的な行為であるためだ。誘惑は、人をエロスの世界へ誘う。 たとえば舌や口や指を道具にして相手の

頭木弘樹『食べることと出すこと』|馬場紀衣の読書の森 vol.21

いろんな意味ですっきりとした本だった。言葉の爽快感、とでもいうのだろうか。ものすごく大事なことが、ものすごく分かりやすく書かれている。もし食べることと出すことが奪われてしまったら、私はほんとうに困り果てて、かといって動くこともできないので、絶望するほかいったいなにができるだろう。 潰瘍性大腸炎という難病に襲われた著者は、以来、食事と排泄というあたりまえが、あたりまえにできなくなってしまう。潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に炎症が起き、潰瘍ができる症状で、患者数は20万人ほど。も

『奥行きをなくした顔の時代』|馬場紀衣の読書の森 vol.17

「ヴァーチャルとは可能的に存在するものであって、現実に存在するものではない」とフランスの哲学者ピエール・レヴィは述べている。そして「ヴァーチャルなものは、アクチュアル化されることを目指しているが、それは実効的な、あるいは形相的な具体化という状態に置かれることはない」とも。 自己コンテンツ化された自分のことを考えるようになったのは、SNSが台頭してからだ。それ以前にも、舞台写真を撮影してもらう、という機会はあったけれど、これほどの「ままならなさ」は感じていなかった。誰もがタレ

『50歳からの性教育』|馬場紀衣の読書の森 vol.11

本書のタイトルがどうして『50歳からの性教育』なのかというと、50歳という年齢をとりまく環境に理由がある。なによりまず、男女ともに身体に変化が現われる。女性は卵巣の機能が低下し、エストロゲン(女性ホルモンの一種)が減り、身体は着実に閉経のための準備を進めていく。女性は56歳までに閉経するのが一般的で、その前後10年程度がいわゆる更年期に相当する が、年齢とともに男性も、緩やかではあるが男性ホルモンの分泌量が少なくなり、更年期症状のでる人がいる。この先、ままならない身体とどう共

蜷川幸雄『身体的物語論』|馬場紀衣の読書の森 vol.6

演劇鑑賞が趣味でなくても、その名を耳にしたことがある、という人は多いと思う。蜷川幸雄は、日本の演劇史を語るさいに外すことのできない重要人物だが、実をいうと、その舞台を私は観たことがない。同時代を生きた唐十郎、清水邦夫などの舞台はいくつも見たが、蜷川さんの演出となると、なぜか緊張してしまう。そして、それがおそらく、テレビで目にしたことのある、役者に激しく声をかけるイメージと相まって、彼という人物をすこし警戒させていたように思う。つまるところ、舞台を観に行く前から、私は蜷川さんの

押井守+最上和子『身体のリアル』|馬場紀衣の読書の森 vol.1

学生時代を踊ることに費やしてしまったから、アニメを観るようになったのは大人になってから、日本に帰国してからだった。すっかり夢中になって、新作をあらかた観てしまうと、古い作品を漁るのが楽しみになり、そうして出合ってしまった。押井守監督の作品に。新作も旧作も、手に入るものはすべて観たように思う。 といえばオタクか、と思われそうだけれど、グッズとかキャラクターにはさほど興味がなくて、作品の趣旨や演出、入り組んだプロット、アニメならではのイメージの膨らみかたを味わうのが目的だった。