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馬場紀衣の「読書の森」

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書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟…
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#身体

ルポ 筋肉と脂肪|馬場紀衣の読書の森 vol.65

いつも、すこしだけ空腹でいるように意識している。一日に三度も食事をする(というのがどうやら一般的らしい)というのがせわしなくて、私はしょっちゅう食事のタイミングをのがしてしまう。だから空腹状態という食べすぎの現代人にはちょうど良い習慣も、健康のため、美容のため、総じては自分のためにしてあげられる「健康的な選択」というよりも、なにしろ生きていくので精一杯なので、ふと気がついた時にはエネルギーが底をついているという状態なのだ。なにか食べなくては、と、とりあえず消化の良いものを選ん

ヌードの東アジア|馬場紀衣の読書の森 vol.59

ストッキングを嫌う女性が増えているらしいけれど、この窮屈で脆い履物が私は好きである。窮屈なのは補正のためだし、脆いのは繊細ということだから。そして繊細なものは得てして美しい。デンセン(編んだ糸が切れて線上にほころびること)はまあ、薄さとやわらかさの代償と思えば許せる。とはいえ「何を美しいとし、何を美しくないとするか。それは、人間の生来の感性ではなく、後天的な学習の産物であるところが大きい」という著者の意見にも頷ける。 日本人のストッキングへの意識は、第二次世界大戦後のごく短

自在化身体論|馬場紀衣の読書の森 vol.58

デジタル化の進展によって人はこの先どこへ向かうのだろう。自動車や航空機による移動、製造機械に頼った生産、インターネットがもたらした情報通信。工業化のそもそもの目的はそれまで人間の肉体が担っていた労働を機械に置き換えることにある。機械は身体を酷使する苦役から人を解放してくれた。それはとても便利なことで、と同時に、私にはすこし怖いことのように思える。今さら怖がったところでどうしようもないのだけれど。なぜって、私たちはもうずいぶんと前から「脱身体化」の動きにのまれているのだから。私

人体、5億年の記憶|馬場紀衣の読書の森 vol.51

ささやかなことだけれど「体」と「からだ」では、表記以外にもちがいがあるように思う。眼があり、脳があり、左腕と右腕があり、左脚と右脚があり、やはり左右に5本ずつ指がついている、そんな左右対称の構造をもつ「体」。たいしてその中央ともいうべき場所にある「こころ」をも含んだ「からだ」。そういえば「身体」という表記もある。こうした表記の揺れには、カラダのというものの曖昧さがよく表現されているように思う。そして私がつねに惹かれてやまないのは「からだ」なのである。 「からだ」について書き

エロス身体論|馬場紀衣の読書の森 vol.50

人間は矛盾した生き物だ。そもそも、この「身体」が矛盾している。現代人は長らく「精神と肉体」とか「心と物質」だとか分かりやすい言葉で身体を説明しようとしてきたけれど、心身二元論も物心二元論も、あるいは心身一如論にしても、あくまで抵抗の姿勢としてあるにすぎない。身体について本当に語る言葉というのを、私たちはまだ持っていないような気がする。そういうわけで、私にとって身体というのは、いつも薄膜に覆われたわけのわからない存在である。世界と関係を結び、他者と触れ合い、出あうことだけが「私

男子という闇|馬場紀衣の読書の森 vol.42

人気のない夜道をひとりで歩いているとき。古臭い因習に遭遇したとき。思うことがある。男の子だったらよかったのに、と。「女の子だった私には、男の子の方が何かと楽なように思えたから」。これは、私の言葉ではない。この本の作者であり、女の子と男の子を一人ずつ育てる母親で、ワシントンポスト紙の報道記者でもある著者の言葉だ。そして、世の女の子たちの内なる声でもある。 アメリカでは男性の約4人に1人が生涯のうちに何らかの性暴力をうけたことがある、という衝撃的な事実がある。2015年の調査に

肥満男子の身体表象|馬場紀衣の読書の森 vol.41

セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読んだ。私はこの物語がほんとうに好きだ。愛読する騎士道文学の影響を受けたキホーテは、狂った細い男で「あまりにひょろ長く、やせて、顔もこけて、脂肪がなく、柔軟性もなく、まるで結核で衰弱してしまったかのようにかなりやせ衰えている」。一方、飲食のために生きているサンチョ・パンサ(召使い)は「大きな腹部に、背丈が低く、長いすね」という姿。不自然にせりだした腹部というのは、つまり肥満体である。体をもたない実在のない小説の登場人物が、それでも物語を生きる

誘惑する文化人類学|馬場紀衣の読書の森 vol.41

悪魔への誘い、物品への誘い……「誘惑」という言葉には、甘美な響きがある。でもそれだけじゃない。誘惑という言葉には、危険なニュアンスもある。 人は自分の身体を安定したものとみなしがちだけれど、内外的な影響を受けて簡単に形を変えてしまえる身体の在り様というものは、不完全で不安定ともいえる。わたしと他者とを結びつけることを可能にするこの身体が、誘惑が、破滅を招くほど危険なのは、それが身体的な行為であるためだ。誘惑は、人をエロスの世界へ誘う。 たとえば舌や口や指を道具にして相手の

頭木弘樹『食べることと出すこと』|馬場紀衣の読書の森 vol.21

いろんな意味ですっきりとした本だった。言葉の爽快感、とでもいうのだろうか。ものすごく大事なことが、ものすごく分かりやすく書かれている。もし食べることと出すことが奪われてしまったら、私はほんとうに困り果てて、かといって動くこともできないので、絶望するほかいったいなにができるだろう。 潰瘍性大腸炎という難病に襲われた著者は、以来、食事と排泄というあたりまえが、あたりまえにできなくなってしまう。潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に炎症が起き、潰瘍ができる症状で、患者数は20万人ほど。も

『奥行きをなくした顔の時代』|馬場紀衣の読書の森 vol.17

「ヴァーチャルとは可能的に存在するものであって、現実に存在するものではない」とフランスの哲学者ピエール・レヴィは述べている。そして「ヴァーチャルなものは、アクチュアル化されることを目指しているが、それは実効的な、あるいは形相的な具体化という状態に置かれることはない」とも。 自己コンテンツ化された自分のことを考えるようになったのは、SNSが台頭してからだ。それ以前にも、舞台写真を撮影してもらう、という機会はあったけれど、これほどの「ままならなさ」は感じていなかった。誰もがタレ

『50歳からの性教育』|馬場紀衣の読書の森 vol.11

本書のタイトルがどうして『50歳からの性教育』なのかというと、50歳という年齢をとりまく環境に理由がある。なによりまず、男女ともに身体に変化が現われる。女性は卵巣の機能が低下し、エストロゲン(女性ホルモンの一種)が減り、身体は着実に閉経のための準備を進めていく。女性は56歳までに閉経するのが一般的で、その前後10年程度がいわゆる更年期に相当する が、年齢とともに男性も、緩やかではあるが男性ホルモンの分泌量が少なくなり、更年期症状のでる人がいる。この先、ままならない身体とどう共

蜷川幸雄『身体的物語論』|馬場紀衣の読書の森 vol.6

演劇鑑賞が趣味でなくても、その名を耳にしたことがある、という人は多いと思う。蜷川幸雄は、日本の演劇史を語るさいに外すことのできない重要人物だが、実をいうと、その舞台を私は観たことがない。同時代を生きた唐十郎、清水邦夫などの舞台はいくつも見たが、蜷川さんの演出となると、なぜか緊張してしまう。そして、それがおそらく、テレビで目にしたことのある、役者に激しく声をかけるイメージと相まって、彼という人物をすこし警戒させていたように思う。つまるところ、舞台を観に行く前から、私は蜷川さんの

押井守+最上和子『身体のリアル』|馬場紀衣の読書の森 vol.1

学生時代を踊ることに費やしてしまったから、アニメを観るようになったのは大人になってから、日本に帰国してからだった。すっかり夢中になって、新作をあらかた観てしまうと、古い作品を漁るのが楽しみになり、そうして出合ってしまった。押井守監督の作品に。新作も旧作も、手に入るものはすべて観たように思う。 といえばオタクか、と思われそうだけれど、グッズとかキャラクターにはさほど興味がなくて、作品の趣旨や演出、入り組んだプロット、アニメならではのイメージの膨らみかたを味わうのが目的だった。