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馬場紀衣の「読書の森」

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書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟… もっと読む
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#本好きな人と繋がりたい

肥満男子の身体表象|馬場紀衣の読書の森 vol.41

セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読んだ。私はこの物語がほんとうに好きだ。愛読する騎士道文学の影響を受けたキホーテは、狂った細い男で「あまりにひょろ長く、やせて、顔もこけて、脂肪がなく、柔軟性もなく、まるで結核で衰弱してしまったかのようにかなりやせ衰えている」。一方、飲食のために生きているサンチョ・パンサ(召使い)は「大きな腹部に、背丈が低く、長いすね」という姿。不自然にせりだした腹部というのは、つまり肥満体である。体をもたない実在のない小説の登場人物が、それでも物語を生きる

誘惑する文化人類学|馬場紀衣の読書の森 vol.41

悪魔への誘い、物品への誘い……「誘惑」という言葉には、甘美な響きがある。でもそれだけじゃない。誘惑という言葉には、危険なニュアンスもある。 人は自分の身体を安定したものとみなしがちだけれど、内外的な影響を受けて簡単に形を変えてしまえる身体の在り様というものは、不完全で不安定ともいえる。わたしと他者とを結びつけることを可能にするこの身体が、誘惑が、破滅を招くほど危険なのは、それが身体的な行為であるためだ。誘惑は、人をエロスの世界へ誘う。 たとえば舌や口や指を道具にして相手の

唇が動くのがわかるよ|馬場紀衣の読書の森 vol.40

舞台の出しもののひとつとして娯楽になるずっと前、腹話術は魔術のたぐいと信じられていた。これを古い時代の大いなる誤解と笑い飛ばしてしまえないのは、腹話術をしてみせた人たちが監獄に放りこまれたり、最悪の場合、死罪になったりしたからだ。そういうことが、中世の暗黒時代にはしばしば起こった。 「腹話術師」という言葉は、ラテン語の「腹の話し手(ventriloquus)」を意味する。その歴史は聖書にも言及があるほどに古い。書かれていることをそのまま信じるのなら、腹話術師は「穢れた悪魔に

パレードのシステム|馬場紀衣の読書の森 vol.39

不思議な懐かしさに覆われた小説だ。それでいて、なんだか床が抜けてしまったみたいに心もとない。終わりまでずっとそこはかとない不安にくるまれている気分だった。 うら若い現代アーティストの「私」は、亡くなった祖父に一目会うために10年ぶりに生まれ育った町に帰って来る。そこで会った従姉妹の「ねえ、知ってた、おじいちゃんってガイジンだったんだって」という言葉から、物語はゆっくりと動きだす。 自死だった祖父の部屋からでてきたのは、古い写真、絵葉書の束、どこの国の言葉なのか分からない記

生を祝う|馬場紀衣の読書の森 vol.38

題名のとおり、まさに「生を祝う」のである。 でもこの場合、生を祝っているのが親なのか子どもなのか、あるいは、祝福しているのはべつの誰かかもしれない。生を祝う第三者の存在を想像せずにいられないのは、おそらく自分の誕生の手触りを、誰もうまく語れないからだろう。 流行り病によって世界人口の三分の一が失われた時代を経て、人びとは死をより身近なものと感じるようになった。「いかに死ぬか」は自由の名のもとに大きなうねりとなり、やがて安楽死が合法となった世界。死の決定権を手に入れた人間が、

狙われた身体|馬場紀衣の読書の森 vol.37

人間には5種類の感覚があり、なかでも圧倒的に重視されているのは、いうまでもなく視覚だろう。たとえ見えなかったとしても、大きな音がしたり、匂いが鼻先をかすめたり、奇妙な味がしたり、触ることができれば周囲の異変に気づくことはできる。でも、そこにたしかに「ある」はずなのに、見ることのできないものにはどう対処したらよいのだろう。なんだか矛盾しているように聞こえるけれど、そういうものは案外たくさんある。たとえば痛み、たとえば病。 目には見えないのに存在しているとなると、目に見えている

香りの愉しみ、匂いの秘密|馬場紀衣の読書の森 vol.32

嗅覚のメカニズムを化学的な視点から解明しようとするルカ・トゥリンと私とのあいだに共通点はまるでない。しいて挙げるなら、彼も私も香水をコレクションしている、ということくらい。古道具屋で古い香水を探しまわっている、ところもおなじ。でもその先の、たとえば嗅覚のメカニズムや調合のレシピについては、彼に教えられてばかりだ。 香水にすっかり魅了された著者は「香水は、それになれると正確な時計のように機能する」と語る。匂いと記憶は不思議な力で結びついているから、懐かしい匂いがたちこめると、

アートとフェミニズムは誰のもの?|馬場紀衣の読書の森 vol.31

18世紀の後半に女性の政治参加を求めて始まったフェミニズムは、さまざまなトピックと結びついて社会に浸透しつつある。今や議論の中心にいるのは女性だけではない。子どもにも男性にも開かれたこの言葉を耳にしない日はないし、火種はあちこちにくすぶっているし、というわけで、それに対して好意的であれ否定的であれ、無視はできない状況にある。ただ、それが「何か」と問われると、ぼんやりとした印象があるばかりでよくわからないという人も多いのでは。現代アートもそう。どちらも分かりづらく、すこし窮屈で

索引 ~の歴史|馬場紀衣の読書の森 vol.30

こういう本を、ずっと待っていた気がする。 13世紀の写本時代から今日の電子書籍まで連なる、長い、長い情報処理の歴史。本の索引に欠かせないページ番号の登場、アルファベットの配列はどのように考案されたか。時代と共に増えつづける知識と人びとはどのように付き合ってきたのか。分厚い本なのに、どんどんページをめくる手が進み、あっという間に読み終えてしまった。 「索引」を書物の中の語句や事項を捜しだすための手引にすぎないと、あるいは本書をそれについて書かれた専門書だと思っているのなら、

生理痛は病気です|馬場紀衣の読書の森 vol.29

ここのところ、漢方が気になっている。 年齢とともに刻々と変化する自分の身体に目をつぶったり、体調をごまかすのをやめて、整えよう、と思いはじめたからだ。とはいえ、心と体のバランスを保つのは、かなり難しい。女性が男性なみに働くようになった社会では、生理痛を理由に仕事をセーブするというわけにもいかない。表立って人には言えない、毎月の苦労もある。 日本の漢方薬局で健康相談をする著者のもとへは中国、香港、シンガポール、台湾などから悩みを抱えた女性たちが訪ねて来る。患者の国籍はさまざ

日本のコミュニケーションを診る|馬場紀衣の読書の森 vol.28

数ヶ月ぶりに日本へ帰ってきた電車のなかで、駅で、通りで、とにかくあらゆる空間にキャラクターのイメージが氾濫していて、くらくらしてしまった。日本を離れているあいだも毎週のアニメは見逃さなかったし、漫画の新刊も手に入れた。発売が待ち遠しいゲームもある。そういうわけで、「日本はキャラクターの国である」という著者の言葉に私は激しく同意する。 日本社会でキャラクターのイメージがこれほど活用されるのには、いくつか理由がある。ひとつは、日本のキャラクターの由来は古代からのアニミズムにある

『「こころ」はどうやって壊れるのか』|馬場紀衣の読書の森 vol.27

ここに書かれた患者たちの、症例という名の物語を読めば、人間の皮膚の下に拡がる内面世界がいかに複雑な構造をしているか気づくはずだ。そして、それが自分と決して無関係ではない、ということにも。 原題は “Projections: A Story of Human Emotions”。著者のカール・ダイセロスは精神科医であり神経科学者。光を使用して脳の働きを観測・解読する革新的な分野「光遺伝学」の第一人者だ。ここに、彼が、ひとりの父親であることも付け加えておこう。革新的技術を開発し

『色のコードを読む』|馬場紀衣の読書の森 vol.26

「象の息」「ポテッド・シュリンプ」これ、なんのことか分かるだろうか。じつは、色の名前なのだ。ちなみに「象の息」は温かな灰色で、「ポテッド・シュリンプ(英国の伝統的なエビ料理)」はエビ色。変わった色の名前は他にもある。「デンマークの芝生」「パリの泥」「野ねずみの背中」。このあたりは、なんとなく色のイメージが浮かんでくる。18世紀の中国には「ラクダの肺」「したたり落ちる唾」なんていうのもあった。どんな色なのかさっぱり想像がつかないけれど、あまり美しい色ではなさそうだ。 とはいえ

『目に見える世界は幻想か?』|馬場紀衣の読書の森 vol.25

私たちの身のまわりでは、刻々とさまざまな現象が引き起こされている。しかし、それらは目に見える形では現れない。とはいえ、目に見えないからといって存在していないわけではないし、それどころか、かなり重要な働きをしている。この世界はとても巧妙に作られているのだ。 たとえば、もっとも身近な存在から物理について考えてみる。もっとも身近な、自分の身体について。人間が出す力について。手を使って動かすときは手や腕の筋肉が、足を動かすときには足の筋肉が、収縮したり弛緩したりすることで力が出され