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それでもいつだって良好なタイと日本の関係(第14回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
前回はタイと日本の外交から両国の関係を振り返りましたが、今回は個人のレベルでタイ人は日本人のことをどう思っているのかについて考えます。「食」などのわかりやすいところで、日本とタイは互いを好む傾向にあるようですが、電化製品やポップカルチャーなどではやはり日本のプレゼンスは落ちているようで……。

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日本とタイの修好関係は135年に

前回の記事でも話したように、戦時中に一時的な国交の停止状態こそあったものの、タイと日本の修好は2022年で135周年になる。1887年(明治20年)9月に結ばれた「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」が基準になっており、太平洋戦争終結時にタイが連合国側に日本との同盟の無効を訴えて認められたことは、現在の日タイ関係の中ではなかったことのようになっている。実際、タイが好きな日本人の中にも、両国が戦時中に同盟関係にあったことや、戦後のドタバタを知らない人も少なくない。

日本とタイの同盟を推し進めた張本人であるプレーク・ピブンソンクラーム元帥も、戦後の目まぐるしいタイの政治情勢の中で失脚したあと、亡命中の滞在先のひとつとし、そして亡くなったのが日本だった。敗戦して食糧難に陥っていた日本を救ったのもまた、アメリカ政府の思惑があったとはいえ、イサーン地方(タイ東北部)のタイ米だ。日本とタイの間にあるいくつかの国を飛び越えて、日タイは友好な関係にあり続けている。

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靖国神社の遊就館に展示される、泰緬鉄道を最初に走った蒸気機関車。

ボクが移住した2002年のタイ

ボクがタイに移住したのは2002年9月だ。それまでもタイ語学校に通うために1年間滞在したりなどの長期滞在は何度かあったものの、当初は長く住もうという気持ちはなかった。それがいつしか、ここで暮らしたい、と思うようになり、なんとか金を貯めて移り住んだ。

そのころの日本人長期滞在者数は、日本の外務省が毎年発表する海外在留邦人数調査統計において25,329人だった(2002年10月1日時点)。この内北部在住で、チェンマイ領事部に届けを出した人は934人ということなので、残りの2.4万人のほとんどがバンコクにいたと見ていい。現在は在留届を取り下げていない人がいるものの、統計上は82,574人になる(2021年10月1日時点)。日本以外で日本人が多く住む国としては4番目の数字だ。ちなみに都市別でみると、バンコクは米国のロサンゼルスに次ぐ多い第2位の59,744人にもなる。

2002年の約2.4万人は、今のベトナムの邦人数に近い。2021年のベトナム邦人数は22,185人だ。この内半分が南部の商業都市ホーチミンにいるのだが、旅行でハノイやホーチミンを歩いていて日本人に会うことはほとんどない。ビジネスで滞在する場合は別なのかもしれないが、ボクのように観光でぶらぶらしているとまず日本人を見かけない。

2002年のバンコクも似たようなものだった。観光客も多く、繁華街に行くと多少は観光客を見るものの、日本人と会うことはあまりなかった。ただ、当時は物価的にも、また生活スタイル的にも、ボクのような自分の意志で移住してきた人と企業駐在員の生活圏が重なることがまずなく、そのためあまり出会わなかったという理由もある。今は中心部を歩けば日本人ばかりだし、知り合いにも必ず出くわす。

日本語だけで生活できるようになったのは、ボクの感覚では2010年前後からだ。2000年代初頭のタイはまだまだ怪しい側面も多く、日本人の海外旅行先は欧米が主流だった。あのころのバンコクには団体旅行客とバックパッカーという、予算的には両極端な日本人が観光に来ていた。格安航空会社はなく、いわゆるレガシーキャリアしかなかった。それでも、中東やアジアの航空会社を利用すれば日本国内旅行より安かったこともバックパッカーが多かった理由だろう。当時は燃料費の上乗せなどもなかったので、バングラデシュの航空会社だと直行便なのに3万円台で往復できた。

その後タイ旅行がさらにブームになって、日本人がどんどん増えていく。最初こそ団体旅行で来ていた人も個人で来るようになる。これは、タイには一度来た人を惹きつける魅力があるからにほかならない。物価が安かったのもあるし、なにやら怪しい面が見え隠れし、それでも安全に旅行ができることがリピーターを増やしたのだと見る。

なにより、国家間の関係がいいだけでなく、タイ人の多くもまた親日家と呼ばれるような、日本好きが多かったのもひとつだ。親切にしてもらえるので、こちらも好印象になり、また行ってみようとなったのだろう。

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案外、ローカルエリアに行った方がタイ人の優しさに触れることができる。

明仁上皇がタイに送った魚「ティラピア」

日本人がタイを好きになる理由として、食事に問題がないという点は大きい。ボクもアジア周辺ばかりであるもののいろいろな国を巡るが、やっぱりいい印象を持ち、また行きたいと思うところはどこも食事がおいしい。やはり食べ物は旅行の中で大きな部分を占めるし、それ以外にどんなにいい思い出があっても、食事が悪いとまた行きたいとは思えない。

その点、タイは優れている。ほかの国だと首都や大都市の食べものはおいしいのに田舎はひどいなんてことも多々ある。だが、タイは全土的に食事は問題ない。タイ料理は辛いというイメージが強いが、実際にはすべてが辛いわけではない。香草が多用されるので、むしろ辛さよりも香りに敏感な人の方がきついかもしれない。最悪、バンコクなら和食やほかの国の料理も充実しているので、とにかく食べることに関して万人が無問題である点はタイの一番の強みだと断言したい。

「日本料理」は2013年にユネスコ無形文化遺産に登録され、世界的にブームになっている。タイでは2010年より前から和食ブームが始まり、2013年7月にはタイ国籍保有者に対して日本政府が15日間までの日本滞在には短期ビザの免除を実施したことで、ブームに拍車がかかった。それまでは憧れの国だった日本が身近になり、タイ人がこぞって日本に旅行するようになって、日本で味わった料理をタイでも楽しみたい人が増えたのだ。日本人にタイ好きが増えて日本国内でタイ料理店が増えたのと同じ現象が起こっている。

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たこ焼きは和食ブーム以前からタイ人にも好まれた日本料理のひとつ。

こうして、食べものでも日本とタイの関係がまた深くなりつつあるが、実は昔から日本とタイは食でも繫がりが深い。たとえば、タイの伝統菓子に「フォイトーン」がある。ポルトガルのフィオス・デ・オヴォスという菓子が原型で、ポルトガルの菓子名(卵の糸という意味)に合わせたのか、タイ語の直訳は「黄金の糸」だ。この菓子は日本にもあり、安土桃山時代にポルトガル商人から伝来したとされる鶏卵素麺と同じものになる。ただ、タイの場合、より黄金感を出すために鶏卵ではなくアヒルの卵を使うのが本来の作り方だ。また、日本と違うのは、ジャスミンで香りづけした湯に卵と砂糖を混ぜたものを潜らせることだ。これがクセになるようなおいしさなのだが、砂糖を大量に使っているので、いくら甘党でもたくさん食べることはできない。

そんなフォイトーンのどこが日本と関係しているのか。まず、この菓子の歴史を紐解くと、タイには17世紀ごろのアユタヤ王朝時代に伝来したとされる。伝えたのはギープマー女史だ。ギリシャ系の当時の政府高官だったコンスタンティン・フォールコンの妻で、本名はマリア・ギオマール・デ・ピーニャという。彼女の母親は長崎出身の日本人で、のちにベンガル人との間に生まれたのがギープマー女史だ。女史は1688~1703年の間にアユタヤの宮廷料理人の菓子部門で活躍し、フォイトーンのほか、今でもタイ人に好まれる伝統菓子のいくつかを発明している。

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アユタヤの遺跡。この時代にも日本人や日系人がタイで暮らしていた。
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アユタヤの象。かつてはバンコクの路上でも象をよく見かけたが、規制で見かけなくなった。

ギープマー女史は日本で育っていないので、日系人というだけでは日タイ関係からするとちょっと薄いかもしれない。もっと日本とタイの繋がりが深い例をあげてみる。それが「ティラピア」である。

ティラピアは、日本ではカワスズメとも呼ばれる淡水魚だ。生命力が強く、淡水・汽水(淡水と海水が混ざった場所)に生息して、なんでも食べる。ただし、水温が常時10度以上でないと生きられないので、アフリカや東南アジアに多く生息している。タイだとそれこそドブ川にも生息しているくらいだ。そのため食用としても一般的で、から揚げにしたり、香草と共に炭火焼きにして、たっぷりの甘辛いソースに絡めて食べたりする。

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ドブ川にいるティラピア。釣った人はこれを持ち帰って食べたり、屋台に売ったりしている。

タイ語ではこの魚は「プラー・ニン」と呼ばれる。中華系タイ人が名づけた「仁魚」の読みをそのままタイ語にしたためだ。この「仁」という言葉が、日本との関係を示している。というのは、平成時代の天皇陛下、上皇明仁を指すからだ。

そもそもティラピアがタイでこれほど一般的になったこと自体、上皇明仁が皇太子時代、当時のタイ国王プーミポンアドゥンヤデート王(ラマ9世王)にティラピアを送ったことがきっかけだ。上皇明仁が当時、タイの食糧事情があまりよくないことを知ってティラピアを50匹ほど贈った。1965年3月25日のことだ。それからタイでティラピアが研究され始め、1年後には1万匹にまで繁殖させることに成功。そして、これらをタイ国中の河川に放流し、今ではタイで年間22万トン以上が流通、金額的には12億バーツ以上(約77億円)というかなり大きなマーケットにもなっている。

タイ王室と皇室にはこういった交流があり、今でも日本の皇室がしばしばタイを訪れる。現地在住者には皇室御用達のタイ料理店もよく知られているほど、双方の関係はいいようだ。

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こんなドブ川にもティラピアがたくさんいて、地域住民は平気で食べている。

南部でときに感じるタイ人からの差別

一般的にはタイ人は親日家が多いと日本人は思っている。しかし、必ずしもそういうわけではない。旅行でタイ人と接しても、あるいは実際に住んでみても、日本に対していい印象を持っている人の方が多いのは事実だ。しかし、気をつけなければならないことも少なくない。いまだに日本人は金持ちだという幻想を抱いている人もいて、詐欺や窃盗などのターゲットになることもしばしば。日本人自身もタイ人より金持ちという思い違いをしている人も多いのだが。

これまでの連載の中で、「微笑の国タイランド」はタイ人自身も思い込んでいる幻想で、その笑みには実はあまりいい意味がないことは何度か書いてきた。同時に「親日家のタイ人」もまた、日本人・タイ人の双方が持つ幻想に過ぎず、実際には「無害な外国人」くらいにしか思っていない。後述するが、かつては日本の家電などへの憧れから、日本人はすごいから仲よくしておきたいという思惑はあっただろう。しかし、結局のところ、それはやっぱり下心があっての親日家であって、真の友人になるには越えなければならない壁がある。

前回取り上げた戦時中の同盟もそうで、タイは日本と親しさを出しつつ裏では連合国とも繫がり、結果的に日本を利用したに過ぎない。また、連載中に何度も書いているように、タイ人はタイ人が一番偉いと思っているので、日本人に対して尊敬する気持ちは、少なくとも一般の人にはない。学者や大企業の創業者などには敬う気持ちはあるだろうが、それは別に日本人に限った話ではない。あくまでもタイ人にはどこかの国のような反日感情がないだけだ。

バンコクや東北部では日本人に対する差別・区別はないが、南部の一部地域では存在する。特にマレーシアの国境付近はそれが顕著な気がする。顕著とはいっても100軒にひとつふたつ程度だけれども、たとえば宿泊施設には「日本人お断り」のところもある。ボク自身はタイ国内では遭遇していないが、バックパッカーの中には宿泊を断られた経験がある人が何人かいた。

「日本人お断り」を掲げるのは、おそらくマレー系タイ人じゃないかなとボクは見る。というのは、ボク自身はタイとマレーシア国境を越えたところにある町で、やはり日本人だからという理由で宿泊を断られたことがあるからだ。だいぶあとになって知ったのだが、太平洋戦争が理由だった。1937年に日中戦争が勃発した直後から、中華系住民が多かったマレーシアでは抗日運動が始まっていたのだ。

タイは同化政策によってタイ人に帰化する移民が多かったが、マレーシアは中国のアイデンティティや生活習慣をそのまま残す傾向が強かったこともあって、中華系住民による抗日運動が激化。そして、タイに近いマレーシア北部にあるペナン島は特に中華系が多く、日本の軍事的支配下に置かれていた1942年4月と9月には旧日本軍によって、抗日運動家の疑いがある人々の粛清が行われたとされる。

そのため、マレーシア北部では反日感情が今も少し残っていて、「ノー・ジャパニーズ」が散見される。14世紀後半から1785年までタイ南部とマレーシア北部の一部はパタニ王国というひとつの国だったので、現在の国境を越えて親戚が暮らしている可能性もあり、マレーシア北部の反日感情がタイ南部の一部にも存在するのかと思う。

タイは日本と同じくらいの国土の大きさだが、人口は日本の半分程度だ。それでも日本よりもずっと多民族・多宗教なので、一枚岩ではない。タイ人は親日家、タイ人は微笑。すなわち日本人に対していい感情を持っている。そう思うのは決めつけでしかなく、ときに危険であるということも知っておいた方がいい。

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タイ南部の都市で見かけたムスリムの女性。本文のような反日感情を持つタイ人はそれほど多くはないが…。

日本はタイ人からアウトオブ眼中になりつつある

日本でもそうだが、今や東南アジアはなんでもかんでも「韓流」だ。エンターテインメントはもちろん、スイーツや女性向けのスパなども韓国の技術を導入している。2000年代初頭はなんでも「日本発」がもてはやされるイメージだった。だからこそタイ人は親日家に見えたわけだが、もう時代は変わってきている。

2000年代初頭は、音楽テレビというと『MTV』より『Channel V Thailand』が主流だった(とボクは思っている)。MTV同様に洋楽が中心のチャンネルだった中、アジアン・ポップスだけの番組もあった。そのときは当時日本で人気だった日本の歌謡曲のほか、やっぱりジャニーズも頻繁に出てきていた。あのころは女性芸能人というと深田恭子、男性だと木村拓哉の名前が一般のタイ人からも挙がるほど知名度があって、そういった音楽番組でも見かけたものだ。実際、ジャニーズ系のアイドルがタイでデビューしたり、タイの男性アイドルがジャニーズを模倣していることもよくあった。

しかしこれがいつの間にか韓国エンタメに負けてしまい、テレビで日本の芸能人を見ることが少なくなった。家電にしたって、確かにボクが初めてタイに来た1998年ごろからサムスンなどの看板が散見されたが、タイ人も「サムスンってなに?」というくらい。日本人のボクからしたら、当時は韓国の家電メーカーなんて日本でまず見なかったのでもっと知らなかったが。これも今や逆に日本のブランドを知らず、韓国のブランドを知っている人の方が多くなった。

車もそうで、ヒュンダイの車はベトナムやラオスほど多くはないが、バンコクでは少なくとも東京以上に見かける。トヨタの高級バンと比較してもほぼ半額近くで購入できるくらいなので、金額だけに注目する傾向がある東南アジア人には受け入れられてしまう。

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MGも日本ではあまり見ないが、タイでは中国車のイメージでよく見かける。

もちろん、日本のブランドは品質が高いというのはあろう。韓国の家電、特にスマートフォンは稀に爆発することもあるが、日本のブランドでそんなことはまずない。それでも、車は近年では韓国製のものも安全性が高くなっているし、日本が太刀打ちできる状態ではなくなりつつある。

ボクは前職が家電製造業に対する部材を卸す専門商社の営業だったが、日本企業は品質が高いのに安い部材を望む傾向が強かった。部材も空気で作っているのではないのだから、最終的にコストダウンはなにかを犠牲にする。車の場合、欧米人の評論家によく言われるのが、日本車は内装に安っぽさがあるということ。実際、そうなっても仕方がない。

タイ人も値段だけを見てどれを買うのか決める、長期的なコストパフォーマンスを全然考えない人が多い。しかし、いいものは高い、悪いものは安い、という大原則はまだ日本人よりはちゃんと残っている。日本人のように、いいものでも安く、なんて無茶をしない。

日本人には結局、これまでの「日本=すごい国」という自画自賛がいまだに残っているのだろう。だから、韓国エンタメのようにワールドワイドに合わせるようなことをしないで、どのマーケットでも日本市場と同じような売り方をするのではないか。そうして、自分たちで自分の首を絞め、日本自体の経済も悪くなって、高い家電が買えないからいいものを安くしろと言い、さらに落ちていくという悪循環。

韓国ブランドは元々安いし、爆発する可能性のあるスマホをリリースするけれども、やっぱりほしくなるようなワクワク感を持っている。以前のタイ人は「本当は日本のブランドの家電がほしいけど、今は金がないから韓国とか中国の安いやつにする」なんて言っていたが、今はなにがなんでも日本のブランドがいいという人にはまず出会わない。

20年前のタイなら、それこそ1日テレビを観ていれば何十回何百回でも「イープン(日本)」という単語が聞こえてきた。なにかしらの話題を日本から持ってきたり、日本に絡めていたわけだ。今はニュースなどでときどき耳にするものの、それほど大きな注目度はない。タイ人にとって日本はアウトオブ眼中といった感じで、2000年代初頭以前に感じられた、それこそ親日的な態度はなくなってきている。

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観光地や商業施設、宿泊施設前にいるタクシーやトゥクトゥクは外国人を金づるのように見る運転手が少なくない。

これも、タイ人が変わったというよりは日本の勢いがなくなってきているからではないか。そして、いまだ日本人は「タイ人は親日家」と強く思い込んでいることで、そこに胡坐をかいてなにもしてこなかった。日系企業は会議、会議で意思決定が遅いと言われるが、それだけでなく、日本人の気質そのものとして危機を感じるのが遅いのかもしれない。

日本人がタイ人を親日家と勘違いしやすいが、タイ側からすればよく言えば客、一般のタイ人から見ればであり、お金を落としてくれる人たちなだけであって、だからこそ優しくしてくれるに過ぎない。そのお金が少なくなってきているので、徐々に相手にされなくなってきているという話だ。

とはいえ、タイ人はそもそも他者を気にせず、個人主義的なところがある。だから、そんな落ち目の日本人でもいつも通り迎えてくれる。ギスギスした日本から比べたら人も気温も暖かく、天国のよう。だからこそ日本人はタイが好きになるのかもしれない。

高田さんプロフィール

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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