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柳家喬太郎の『空蝉』―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

2008年10月30日から5日間に亘って博品館劇場で開催された「源氏物語一千年紀祭特別公演」。この「思い出の名高座」ではこれまで橘家文左衛門(現・文蔵)の『明石』立川談春の『柏木』をご紹介してきた。今回は10月31日の夜に柳家喬太郎が演じた『空蝉』。文左衛門や談春と違って喬太郎には「自分で台本を書け」という注文だったという。こうした仕事が当時の喬太郎にプレッシャーを与えた、という件は『21世紀落語史』(光文社新書)に記したとおりだ。
この公演では各演者、前半に『源氏物語』を演じ、後半では本来の持ちネタを披露するという構成で、文左衛門は『文七元結』を、談春は『厩火事』を演じたが、喬太郎は前半で『源氏物語:空蝉』を演じ、仲入り後の後半では新作落語『なんちゃって空蝉』を披露したのだった。
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「思い出の名高座①」はこちら。

柳家喬太郎『空蝉』

高座に上がるなり、「何でこんな仕事受けちゃったのか、人に書いてもらえばよかった」と後悔しきりの喬太郎。「源氏物語ファンの皆さん、どうもすみません!」と平謝りしてから「この『源氏物語』の主人公・光源氏に全く共感できない自分がいる」と告白した。そもそも落語の了見とは正反対の存在が光源氏なので、落語に出来るとも思えない。平安時代の言葉でやろうとすると『おじゃる丸』みたいになっちゃうし、一体どうすれば……と悩みまくったという。

本番直前まで出来なかったという『空蝉』。結果、喬太郎は「やっぱりこれが一番やりやすい」と、現代の設定で大学生を主人公にした物語にした。

主人公のミナモトコウジ(源光氏?)は笑顔で歯がキラッ!と光るいい男。友達には全然モテない小原くん(最近は白髪豚野郎と言われている/笑)がいたりする。この物語は美青年ミナモトが、友達の近藤ユーイチローの家に遊びに行って、近藤の義理の母ナツミ(『すみれ荘201号』の市会議員そっくりなキャラの父が後妻に迎えた27歳)に横恋慕するという噺である。

ミナモトは最初ナツミを近藤の姉だと思っていたら、実は大学教授である近藤の父の元教え子で、今は妻となっているのだと知る。(そこには「雨夜の品定め」に相当する部分があったり、原作を踏まえた描写が盛り込まれている) 近藤の家を訪ねた友人は他にも何人もいて大いに飲み食いをしたのだが、ミナモト以外の友人はみんな帰り、父は急な用事で外出。酔いつぶれた近藤は熟睡している。

夜中に目覚めたミナモトの前歯がキラッ!と光る。「ミナモトコウジの前歯が総て光るとき、何かが起こる……」 若妻の寝室に忍び入るミナモト。

「貴女が僕を誘ったから来ました」
「えっ!?」
「ミナモト、食べて、私を……って言ったでしょう?(キラッ!)」
「言ってないって! 私は『みんな、もっと食べて』って」

拒もうとするナツミを強引にモノにするミナモト……濡れ場の描写そのものは「『宮戸川』のように」いいところで終わり。

関係を結んだ一夜の後、積極的にメールを送り続けるミナモトを避けるナツミ。だが夏の近藤ゼミの合宿にナツミもミナモトも参加、案の定ミナモトはナツミの就寝しているコテージに夜這いを掛ける。この緊迫の一夜の場面での語り口は、さながら『牡丹灯篭』か何かを語っているようにシリアスなもの。この落差がまた実に何とも喬太郎らしい。もっとも本人は「圓朝作品」というより「宇野鴻一郎風」と言っていたが。

ナツミのベッドに忍び込んだと思ってミナモトが抱き寄せたのは、何と近藤の妹ユウコ! ここでミナモトは「ええい、ままよ!」とユウコを抱く。「共感できますかこんなヤツ!?」とは素に戻った喬太郎の弁。

「二人のことは内緒だよ。今度メールするから」と告げたミナモトが、
ユウコに連絡することは二度となかった。

やがて、夏も終わろうとするある日、近藤がミナモトに、父の近藤教授がシンガポールに赴任したこと、義理の母ナツミも父についていったことを告げる。ひと夏の恋を惜しみ、空しく蝉の声が響いていた……。

どこか甘酸っぱい余韻を残す『空蝉』。休憩を挟んで後半の高座に上がった喬太郎は「あんなの源氏じゃネェよっ!」と叫んで、「源氏物語を落語にするのはいかに難しいか」という苦労について語り始めた。「それならいっそ落語の世界に源氏を連れてきちゃったらどうか」というアイディアで新作落語にしてみようとも思ったという。

ということで、二席目には「こういうのも考えました」ヴァージョンの『なんちゃって空蝉』を演じた。これは登場人物が「自分達は柳家喬太郎という落語家の作った落語の中の登場人物だ」と自覚している「メタ落語」。そして「タイムスリップもの」でもあった。

舞台は江戸。ある日、長屋に突然現われた光源氏。
「ここはどこじゃ?」
「江戸ですよ」
「江戸、とは何じゃ?」
「……何だろうね? 武蔵の国?」
「元相撲取りか」
「それは歌武蔵」

言葉遣いも変だし言ってることもおかしいと大騒ぎしていると大家がやって来て「この人は本物の光源氏だ。タイムスリップしてきたんだな」と説明する。「何ですかそれ? そんなSFみたいなことがあるんですか!?」「おまえさん、今SFって言ったね」

「私たちは登場人物なんだよ」
「へ?」
「私たちは落語の登場人物で、落語家が落語を演ってるから存在してるんだ。さっきおまえSFって言ったろ? そんな言葉を江戸時代の人間が知っているのが、落語である証拠だ」
「誰が演ってるんですか」
「立川談春はこういう台詞は言わないな。入船亭扇辰も言わない。橘家文左衛門ならもっと登場人物の気性が荒いだろう。三遊亭歌之介なら演りそうだが鹿児島訛りになるはずだ。おそらく柳家喬太郎だろう」

江戸で暮らすことになった光源氏は、相変わらず女と見れば見境が無い。江戸時代でこれはマズい、と源氏の所業に呆れた大家は「あなたのやってることは、この時代では間男です。あなたは間男だ! 間男! 間男!」と罵る。「何だかわからぬが傷つくのう」と呟く源氏。

「あなたの“色恋”の概念が非常識であることを教えてあげよう」と言って、大家は落語の世界の色恋というものを教えるべく一緒に町を歩く。近所の子供が「天神様だ」と小銭を放ってくると、お金を見たことがない源氏、「これは一体何じゃ? 丸くて穴が空いて……お雛様の刀の鍔にもあろうか」と『雛鍔』になるあたり、源氏もさすが落語の登場人物だ。

「せをはやみ~ いわにせかるる、たきがわの~」と崇徳院様の歌をそらんじてお嬢様を探す男がいる。
「あれも恋の噺だが、あれだけでは何のことやらわからんな」

やがて清蔵という職人が「どうしても幾代太夫に会いたいんです」と親方に訴える場面に出くわす。「三年働け!」と諭す親方。それを見て「あれが惚れるということだ」と大家が言うと「遊女に本気で惚れるとは笑止」と源氏は言い放つ。

今度は魚屋の夫婦に遭遇する。
「おまえさん、あれは夢じゃなかったんだよ! あたしのことをぶっても蹴ってもいい、捨てないでおくれ」
「おっかあ、すまねぇ! 頭を上げてくれ…」
しかし源氏は「貧乏人のおとぎ噺じゃな」。それを聞いて「厭な男だ」と吐き捨てる大家。

「古典はダメか」と今度は新作落語の世界へ。『純情日記横浜編』の山下公園での告白シーンを見せて「あれが恋だよ」と示す大家。だが源氏は「まどろっこしい! 押し倒せ!」と切り捨てる。

次は「おとっつぁん! 俺、立派なおわいやになる!」「私のウンコも汲んでね」と『肥辰一代記』。「あれが恋(肥)か」「コイの意味が違う」

と、そこに現われたのがいかにも“いまどき”な若い女。彼女を見て「そなた、空蝉ではないか?」と驚き、早速口説き始める源氏。「いいよ」と軽い女だが、何故か半分しか脱がない。「ああ、それで“鬱セミヌード”か」でサゲ。落語ファンに大ウケの『なんちゃって空蝉』、これぞ喬太郎!

(次回は入船亭扇辰『葵』をご紹介します)

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