コミック入り机上資料

「マッチョ」で「男性的」なロックの時代を塗り替えたクイーンの、「暗い」「奇妙な」曲

映画の大ヒットも記憶に新しいクイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』。「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」はどこか「ヘン」な曲でもあります。そこに込められていると噂される、ある「謎」のことを知っていますか?
映画研究者かつクイーンの音楽を愛する菅原裕子さんが、「謎」を追いかけた先に見たものとは――
前回の記事(イントロダクション)はこちらから。
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ぜひクイーンの音楽を聴きながら、ゆっくり楽しんでください。
(今回の記事は頂いた原稿を端折らずにすべて公開しております!)
大学の授業でこの動画を見せると反応が様々で楽しい。あっけにとられ、言葉を失う学生、脚細い~!とうらやむ女子学生も(同感)。映画を観た人も少しずつ増えてきて、中にはすでに歌詞をソラで覚え、初めから完璧に口を動かしている強者も(感激)。

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 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットであらためてクローズアップされたこの楽曲。昔から知っていた人、今回初めて耳にした人、様々だろうが、以前聞いたことがある人にとっても、案外知っているようで知らない、実は未知の曲なのではないだろうか。まずこの曲の概要を、発表当時のグループの動向と共にざっとまとめてみよう。

1000年で最も重要な曲

 1999年、イギリスの音楽特別番組『ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム』にて「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」が選ばれた。その第1位を獲得したのが『ボヘミアン・ラプソディ』である。ジョン・レノンの『イマジン』とビートルズの『ヘイ・ジュード』を抑えたというと、さらにそのすごさがわかるのではないだろうか。

 オリジナルメンバーであるブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、フレディ・マーキュリーでクイーンが結成されたのが1970年。翌年、オーディションにてジョン・ディーコンが加入。その後メンバーの入れ替えは一切なしという、ロックバンドとしては貴重なスタイルの始まりとなる。

 1973年にファーストアルバム『戦慄の王女』を発表。1974年には二枚目のアルバム『クイーンII』、立て続けに三枚目の『シアー・ハート・アタック』をリリースし、そこからのシングル『キラー・クイーン』がバンドとしての初ブレイクとなる。翌年1975年に四枚目のアルバム『オペラ座の夜』を発表、シングルカットされた『ボヘミアン・ラプソディ』が世界的な大ヒットとなる。

 こうやって書くと順風満帆なようにも聞こえるが、デビュー当初はまったくの鳴かず飛ばず。批評家にも、商業的であるとか何かの二番煎じだとか酷評される時期が長く続いた。そもそも、Queenという名前自体がスラングで「ゲイ、おかま」という意味があり、最初から「イロモノ扱い」される要因はあった。バンド名はフレディの命名によるもので、彼の「女王」への愛着と、ものものしく、華やかでよいという理由に基づいたものではあったが、他メンバーはあまり乗り気でなかったというのもうなずける。金銭的にも長いこと受難が続き、『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした後もフレディとロジャーは以前からの生業である古着屋を続けざるを得なかった。最初に契約した製作会社がブラック企業のようなもので、契約条件が劣悪だったという。

 初ブレイクとなった1974年『キラー・クイーン』に続き、翌年に『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒット。イギリスでは9週連続No.1という快挙を成し遂げる。もっとも、批評家たちにはあいかわらず受けが悪く、爆発的に増えた新しいファンが支えた大ヒットだった。その後アメリカでも大成功をおさめ、次々とヒット曲を生み出すグループに成長を続ける。

日本との絆

 デビュー当時から酷評続きだったのは本国イギリスもアメリカも同様だったが、そんな彼らをいち早く発見し、その後長きにわたって応援したのが日本のファンだった。まだ『キラー・クイーン』で国際的に名が知られる前のことである。このあたりのいきさつは元『ミュージック・ライフ』誌の名物編集長・東郷かおる子氏のお話に詳しい(『クイーンオブザデイ クイーンと過ごした輝ける日々』(扶桑社)など)。70年代前半、まだ本国でもまったくと言っていいほど知名度のなかったクイーンをいち早く誌面で紹介、本国ばかりか世界に先駆けて日本での人気に火をつけた第一人者としてもつとに有名である。

 当時まだ駆け出しの編集者だった東郷氏は、送られてくる多くの資料の中からある日、気になる写真を発見した。ちょっと可愛いじゃない?――それがデビューしたばかりのクイーンだった。曲を聴いてみてこれはいける!と直感、試しに小さなグラビアを掲載したところ、たちまち大きな反響を得たという。1979年には編集長に就任。残念ながら雑誌は1998年に休刊となるが、洋楽が最も輝いていた80年代の音楽ファンには不可欠で、当時たいへんな人気を誇っていた。映画のヒットでテレビや雑誌、トークショーなどでも解説されていたので、ご覧になった方も多いだろう。

 興味深いのは、クイーンとの関係について東郷氏が「もう好きとか、単純に表せない」と述懐している点である。バンド黎明期に見出し、日本での人気獲得に大きく貢献し、その後も、解散説が何度となくささやかれるなど様々な局面を乗り越えてきた彼らと長年関わり続けた氏としては、今回の映画の大ヒットにも格別の思いを抱いていることだろう。音楽ビジネスそのものもインターネットの出現により激変した。アーティストも取材する側もリスナーも、1970年代と現在では音楽との関わり方を変えざるを得なくなってきた。時代の変化の波、過渡期を直に経験した先達として貴重な証言が多数ある。

 そして熱心なファンに応えるかのような、クイーンの日本びいきもよく知られている。フレディはお忍びで何度も来日し、日本の伝統工芸品や美術品の膨大なコレクションを誇り、ロンドンの邸宅「ガーデン・ロッジ」には日本間や日本庭園もあった。「手を取り合って、このまま行こう、愛する人よ」と日本語で歌われる『手をとりあって』(1976年)は日本のファンにとって特別な曲だろう。

 フレディ亡き後アダム・ランバートと共に「新生クイーン」としてツアーで世界を回るブライアンとロジャーは、2016年、実に31年ぶりに日本武道館に帰ってきた。初来日から数えると41年の月日が経つ。初来日の際のファンの熱狂的な歓迎ぶりが今でも忘れられない、日本は特別だと彼らは語る。本国でも無名に近かった二年目の新人バンドを千人を越えるファンが羽田空港で出迎え、連日の公演となったのである。月日は経ったが当時の記憶をたどるほどに強い印象を残した経験だったのだ。

 1970年代当時の洋楽シーンの受容についても、東郷氏のお話は説得力がある。クイーンの初来日は1975年だが、当時の音楽シーンはレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、イエスなどによる、ハードロック、プログレッシブロックなど「マッチョ」で「男性的な」ロックが席巻していた。日本の音楽雑誌も『ロッキング・オン』『New Music Magagine』など理論先行の硬派なものが中心。そこにグラム・ロック(glamorous=魅力的な、妖しい、米国ではglitter rock)が台頭し、メイクを施したデヴィッド・ボウイは中性的な妖しい魅力を放った。

 クイーンの登場もその流れと重なるところがある。ただ、ボウイはアーティスト性が高く、決して身近な存在ではない。日本の若い女性洋楽ファンにとってクイーンは、「自分たちが応援できる初めてのバンド」(東郷氏)だった。

「インターネットがない時代ですから、日本には英国での評価や情報が入ってきませんでした。そして日本でクイーンのグラビアが掲載されたところ、今までの筋骨隆々な男たちがシャウトするハードロックとはまるで違って映ったのです。」

出典:「クイーンの登場で「ロック少女」という概念が日本に誕生」Newsポストセブン、2018年10月20日 https://ironna.jp/article/11979

 編集部には「メンバーの誕生日はいつか、好きな色は何か」などと尋ねてくるファンからの電話が絶えなかったそうだ。雑誌『ミュージック・ライフ』がまさに売り出したクイーンは『セブンティーン』や『明星』といった一般雑誌にも登場し、日本でもアイドルとしての存在感を強めていく。

 また、東郷氏による、クイーンと少女漫画との相性のよさについての指摘は特筆に値する。当時、クイーンに限らず、海外アーティストが登場する少女漫画が数多く生まれた。池田理代子青池保子、萩尾望都、竹宮恵子といった大御所だけでなく、今でいう「コミケ」に自作を持ち寄るアマチュア作家たちもその中に含まれる。メンバー同士の恋愛や、ブライアンが高校の物理の先生で自分たちの学校にやってくる(どうしよう!)といった、他愛ない(荒唐無稽?)設定の物語である。

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た、楽しい......。実は貴重品で、実物は未読。いつか読んでみたい。

 絵柄も少女漫画らしい可愛らしい雰囲気のものが多い。ただ、どぎつくはないのだが、ちょっといけないものをみたいという欲望、ほんの少し背徳的な、ちょっとやばいなという妄想をかきたてるものがその底にある――これは間違いなく、今でいう「萌え~腐女子」文化に通ずるものだろう。その後、形を変えながら引き継がれている日本特有のオタク文化の萌芽という視点から見ても面白い現象である。

 そして実は、東郷かおる子氏の「ある証言」が、今回のリサーチにおいて非常に重要な意味を持っていることが、追って明らかになるのである。

なんだこれ!?ーー「度肝を抜かれた」「空前絶後」「前代未聞 」

 このように、日本ではいわゆるミーハーな女性ファンを中心に絶大なる人気を獲得しつつあった頃、1975年に『ボヘミアン・ラプソディ』は世界中で爆発的なヒットとなった。とにかくみんなびっくりした。なんだこれ? こんなもの聞いたことがない、すごいと。40年以上経った今もこの楽曲に関する評価は基本的に変わらない。

 もちろん、フレディの伸びやかなハイトーンボイス、メンバーたちの重厚できらびやかな合唱、ブライアンの雄弁ともいえるギターソロ……。いずれも美しく、素晴らしい。しかし特徴的なのは、この曲に対して大勢が持つ最も重要な感情が一様に、「度肝を抜かれた」「空前絶後」「前代未聞」といった、一貫して「普通でない」ことへの驚きであることだ。

 美しい曲は他にもある。素晴らしい曲も同様だ。しかし1000年のうちで最も「重要な」曲となるとそれだけでは足りない。この曲を形容する言葉は数多あるが、その中でもquirky、dark、eccentricといった語に注目したい。つまり、この曲の「癖が強くて」「暗く」「エキセントリック」なところこそが私たちの心をつかむのだ。

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時折こういうビジュアルを眺め癒されます。。美しき時代…。

 サマセミで講座後にいただいたアンケートを見ても、中高生などごく最近この曲に触れた人は別として、リアルタイムに限定せず、あるタイミングで聞いたことがある人が大半で、よく知られた曲であることがわかる。ただ同時に、曲そのものや歌詞についてあまり知られていないことも明らかだ。映画をきっかけにネットで検索したり、歌詞を自分なりに読もうとした人もいるだろうが、アンケートでは少数派であった。存外、情報が多く散らばっており、全体像をとらえるのが難しいのではないか。部分的に知っていることもあるけれど、知らないことが多い。もう少し知りたい。なんだかよくわからないけど気になる。そんな方が多いのではないか。

 それは多くの人がこの曲にまつわるなにやら「異形」な感じを、知らず知らずのうちに感じとっているからかもしれない。1000年に一度コンテストで首位を争った『イマジン』も『ヘイ・ジュード』もむろん名曲だが、友情や愛情、平和を祈るといった歌詞はわかりやすく、感動的である。それと比べると、この曲にはなんだか一筋縄ではいかない不思議な魅力がある――。

 そして、その直感は正しい。この曲がすごくて、かつ、「ヘン」なことを、次章で分析しよう。(つづく)

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書き手:すがはら・ゆうこ/学術博士(名古屋大学)
専門は映画研究。元々の洋画好き&洋楽好きが高じて、現在は非常勤にて名古屋市内複数の大学で英語講座を担当。
『ボヘミアン・ラプソディ』は大学1年生対象の授業で曲を扱ったのがきっかけで、その後カルチャーセンターから愛知サマーセミナーの講座へと発展。ファンの方々の熱い思いに直に触れ、リサーチをまとめたものを書き下ろしました。『ボヘミアン・ラプソディ』の謎解きの、さらに向こうにお連れします。現在、出版するべく奮闘中。応援よろしくお願いします!

この連載の詳細はこちら↓をご覧ください!

最後まで読んでいただきありがとうございました。みなさまの「スキ」が出版に繋がります。ぜひお願いします!


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クイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』にこめられた、とある「謎」を映画研究者の菅原裕子さんが追いかけます。

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