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思い出の名高座③ 立川志らくの『中村仲蔵』(最終回)―広瀬和生著『21世紀落語史』【番外編】

90年代、低迷する落語界にあって立川志の輔は着々とファンを増やしていき「落語というエンターテインメントの可能性」を広げていったが、同じ立川流の立川志らくもまた「現代に生きる古典落語の可能性」を広げていた。『21世紀落語史』の中では、「21世紀の志らく」について詳しく触れることができなかったが、実は21世紀にも志らくは進化し続けていた。今回はその中で2009年にネタ下ろしした『中村仲蔵』について当時の日記を辿って記しておきたい。志らくの『中村仲蔵』はこの年、三段階の進化を遂げている。

第1回はこちら。第2回はこちら

(3)2009年12月8日(完成形へ)

内幸町ホールにて「志らくのピン」。一席目に『二十四孝』、そして二席目が『中村仲蔵』。ここで志らくの『中村仲蔵』が一段と進化した。

『中村仲蔵』は志らくの今年の大きな収穫の1つ。3月17日のブロッサムでネタ下ろし、5月3日よみうりホールでの「志らく・談笑二人会」で、より完成度の高いものを聴かせてくれた。この日も途中までは基本的に5月3日とほぼ同じ。ただし、仲蔵が台詞を忘れて團十郎に寄っていく場面での團十郎の応対の仕方について、今日の志らくは「さようなことを小声で言っても仕方あるまい、これへと申せ」と見事なアドリブで応じ、観客は「新しい演りかただ」と感心した、と演った。ちょっとしたヒネリを加えただけではあるが、このセンスが素晴らしい。

志らくの團十郎は、相中にまで引き上げた仲蔵について「見込みがあるかどうかわからないが、俺はあいつが好きだ」という言い方をする。「ほら、覚えてるか、俺のところにきて『台詞を忘れちゃいました』なんて言って……可愛かったなぁ。俺は長年役者をやってるが、舞台の上で役者を可愛いと思ったのは、あれが初めてだ」

志らくならではの台詞は『鎌髭』のエピソードにも出てくる。初日にウケた演技を二日目にはやめた仲蔵、不思議に思って團十郎がわけを聞く。「今日は何もしなかったな」「出すぎた真似をしてはと」「何でだ? お客様が喜んでくださってるんだ。やればいい」「でも、親方の見せ場を取っては申し訳ないと」「何だ? 俺を誰だと思ってるんだ、ナメるな小僧! オメェみたいな半端な役者に見せ場を取られるような役者じゃねぇ、俺は團十郎だ!」 そして團十郎は、仲蔵に芝居の心得を説く。これが、以前とは少し違っている。

「稽古は稽古なんだ、段取りはあくまで段取りだ。生の客を相手にしなきゃわからないこともある。いいと思ったら、どんどんやれ! やってみて、違ったと思ったら変えりゃあいい。芝居は一日じゃねぇんだ。芝居は生きてるってのは、そういうこった。毎日少しずつ変わっていく、ご通家は、そういう芝居を楽しみにしている。毎日段取りどおりの芝居は生きちゃいない。色々考えて、工夫してやれ! ついでに言うと、オメェは肩に力が入り過ぎてる。芝居なんてものは別に世の中に無くてもいいものなんだ。たいしたことじゃない。肩の力抜いて、口を半開きにしてやれ。所詮は芝居なんだ。ただし、心の中は命がけだ。誰にも判らないように、心の中では必死にな。悔しかったら俺を乗り越えろ! 俺みたいになれ!」

團十郎は「創意工夫」の大事さを説いたのだった。これ以降、仲蔵は創意工夫を旨とし、「失敗もするが、ハマれば凄い」役者として、大いに人気を博すことになる。 相中まで出世したのは團十郎の後押しだった。だが、もう團十郎の後押しは要らなかった。客の後押しで、仲蔵は名題になったのだ。稲荷町出身ではあり得ない異例の出世に涙する師匠の傳九郎に團十郎は「その涙はまだ取っておいてくれ。あいつは名題で終わるやつじゃない。もっと凄いことをしでかすヤツだ。芝居を引っくり返すようなことをやったときに、その涙を流してやってくれ。……いい弟子を持ったなぁ」

そして、正月公演『曽我』での金井三笑との衝突のエピソード。この揉め事で立作者の金井三笑の恨みを買ったことが、五段目の斧定九郎という配役につながるわけだが、志らくは今日、ここで前回に無かった台詞を入れた。

狐の面を最初から被って出てくる演出を考えた仲蔵に対し、立作者の金井三笑は「首からぶら下げて出てきて、後で被るほうがいい。そうじゃないと、客が混乱する」と言う。「そんなことはないでしょう。お客様はおわかりになりますよ」と仲蔵が言うと「客なんてバカなんだよ、何もわかっちゃいねぇ。そのバカな客に合わせて、わかりやすくやらなきゃいけないんだ」と三笑は言い放つ。

「いや、お客はわかるはずです。わからないようなバカな客に向かってやるんだと思ったら、何のための稽古だか、何の修業だかわからない。お客は自分より上だと、私は思ってます。お客をバカだと見下して、合わせるようになんて、そんな芝居は飽きられて、嫌がられます。役者としてダメになります!」「何言ってるんだ、客なんて、知ったようなこと言うヤツも居るけど、所詮シロウト、わかっちゃいねぇんだよ!」「いえ! 客を見下したら役者として終わりです。客は自分より上だと思って、これでもか、これでもかとぶつけていって、それを喜んでもらう、それが役者にとって生きがいなんだ!」

2006年にネタおろしした志らくの『浜野矩隨』が2009年に「志らくの芸術論」に進化したのと同じく、この『中村仲蔵』は「志らくの演劇論」であり「落語論」「師弟論」なのである。そしてまた「お客は自分より上」という仲蔵の台詞には、立川談志が重なってくる。

案の定、仲蔵の演出は大いにウケた。嫉妬に怒り狂う金井三笑。「何を言ってやがるんだ、ちょっと売れてると思って、いい気になりやがって……」

金井三笑は恨みを込めて『仮名手本忠臣蔵』で仲蔵に五段目の斧定九郎の一役を割り振った。断れば増長していると言われるし、引き受ければ恥知らずと言われる。ここで仲蔵は「やってみればいいんだ! 思いついたらやってみろ!」という團十郎の教えを思い出す。「やってみてダメだったら、やり直せばいい。芝居は生きてる」

それからというもの、仲蔵は町で山賊のモデルになるような悪いヤツを探し、街角ウォッチングを続けた。目つきの悪いやつを見つけては、参考にならないかと観察したが、どうも上手いアイディアが浮かばない。いよいよ明日は初日だという日、通り雨に遭って蕎麦屋に入った仲蔵は、年頃三十二、三のビショ濡れで入ってきた浪人を見て「これだ! この形だ!」と閃く。「何でここに気づかなかったんだ! 山賊ばかり探してたから定九郎は居なかったんだ! 定九郎は山賊じゃないんだ、落ちぶれでも元は家老の倅だ! 侍なんだ、山賊じゃない!」

仲蔵の女房おきしは長唄三味線の名人杵屋喜三郎の娘。仲蔵が定九郎のアイディアを口にすると「いいと思います。上手くいくと思います」「そう言われると力が湧くよ。だが、良い悪いを決めるのはお客様だ。失敗したら大阪へ行って修業のやり直しだ」「大丈夫、私、役者の女房ですもの、お前さんが上方へ行っても私は三味線でも教えてあなたを信じて待ってます……てなこと言ったら私、貞女? でもやっぱりやめて! 普通に保守的にやればいいのよ、せっかく名題になったんだもの! だめよ大阪なんか行ったら、金のことばっかり考えてうどん食べて屁こいて寝てまうとか言うのよ! ……てなこと言ったら私、悪女?」(笑)

仲蔵の斬新な演出はあまりに素晴らしすぎて、意表を突かれた観客は水を打ったようにシーンと静まり返り、何の声も掛からない。やり損なったと思った仲蔵、しかし「こうなりゃ大阪へ行きゃいいや、やるだけのことはやろう」と思った途端、肩の力が抜けて、ちゃんと自分の芝居を続けることが出来た。血を吐いて死ぬ定九郎を観た客は「うわわわぁ! 血! 血!」と驚愕の声を上げ、仲蔵の耳にはそれが笑われたように聞こえた。客はもう大興奮、勘平が出てきても誰も気づかないほど。勘平が何を言っても、何をやっても全然ダメ。「カンペイです。泣きすぎてすみません。姉は二人ともヘンです」と言っても通じない。(笑)

楽屋に引き上げた仲蔵。役者仲間も何と言って誉めていいのかわからないので声を掛けられない。仲蔵、女房に「やり損なった」と報告した。「私はいいと思ったんだけど、時代が早すぎたのかしら」「俺はもう酒でも飲むよ」「お酒はダメ」「何で?」「夢ンなるといけない」

旅支度をした仲蔵、江戸橋の手前の床屋の前を通ると、「いいんだよ、五段目が!」という声が聞こえた。「五段目? 勘平か? 違う? 猪か? オメェは芝居観すぎだよ。だから猪がいいなんて言い出すんだ。」「違うよ! 定九郎だよ! じっちゃん、定九郎のこと言ってやってくれよ」「ああ。売れてるのをいいことにいい気になって、名題にもなって相中のやる定九郎なんぞをやるとは意地汚いヤツだ、これで見納めだというつもりで行ってみたが、やっぱり栄屋はたいした役者だ。今初めてわかった、これで謎解きが出来たよ」「へえ、じっちゃんは辛口で『町内の井筒監督』って言われてるのに珍しいね」「あの定九郎を見なきゃ江戸っ子じゃねぇ!」

「ありがてぇなあ、たった二人でもわかってくれた。そうか、ああいう風に言ってくれる人が居るんだ、これで大阪に行ったりしたらあの人達に申し訳ない」 そう思った仲蔵は家に帰り、女房に話す。「芝居は生きてるんだ。もう一度みんなに謝って、やり直すよ。二人わかってくれたんだ、いつかきっと皆にわかってもらえる日が来る。それまで修業のやり直しだ」「よかった……お酒飲む?」「いや、また夢になるといけねぇ」 

そこに團六が。「師匠が呼んでるよ。しくじったね!」 慌てて傳九郎の許へ駆けつける仲蔵。「おお仲蔵! 五段目、見たよ。この脇差は紀州様から頂いたものだ、我が家の家宝だ」と差し出す傳九郎に仲蔵は「まずい役者はこれで死ねってナゾですか。確かにやり損ないました。でも、たった二人だけど、わかってくれたんです! あの二人のためにも、俺のやったことが間違いじゃなかったと、もう一度頑張って修業し直して……あの二人のために……」と涙を流す。

「何を言ってるんだ仲蔵、みんな、誉めたくてもどうやって誉めたらいいかわからなかっただけだよ。見せたかったな。團十郎さんが、腰を抜かして誉めていたよ。人が腰を抜かしながら人を誉めるのを初めて見たよ。いいか仲蔵、これから何十年経とうが、何百年経とうが、この国に芝居がある限り、五段目は今日お前がこしらえた型でやるようになるんだ。出来たよ! 私みたいなものが、おまえのような弟子にを持てて、幸せだ。それにしても、さっきはおまえ、その刀でどうするつもりだった?」
「はい、四段目で判官が、六段目では勘平が腹を切りますから、五段目でも定九郎が腹を切ろうと思いました」

進化した志らく版『中村仲蔵』。「客に、これでもか、これでもかとぶつけていく」という仲蔵の創意工夫。「ダメだったら、やり直せばいい」「失敗もするが、ハマれば凄い」……「芝居は生きている」は即ち「落語は生きている」ということだろう。進化し続ける立川志らくの面目躍如たる『中村仲蔵』新ヴァージョンだった。(了)



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