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マスコミ嫌いのフレディがこっそり打ち明けた「プライベートな曲」が意味するもの

映画の大ヒットも記憶に新しいクイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』。「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」はどこか「ヘン」な曲でもあります。そこに込められていると噂される、ある「謎」のことを知っていますか?
映画研究者かつクイーンの音楽を愛する菅原裕子さんが、「謎」を追いかけた先に見たものとは――
前回の記事(第2章―後半)はこちらから。
連載全体の見取り図はこちらからご確認できます。
ぜひクイーンの音楽を聴きながら、ゆっくり楽しんでください。
(記事は頂いた原稿を端折らずにすべて公開しております!)

決定的な解釈は存在しない

前回まで、『ボヘミアン・ラプソディ』を1000年に一つの特別な曲にたらしめた音楽的な特徴について概観してきた。しかしそれでも、謎は深まるばかりではないだろうか。とりわけ、その歌詞である。思わせぶりともいえるような謎めいた物語。どうも物騒で深刻なようであるし、しかし、そうでもないと覆そうとしているようにもとれる。諸説入り乱れているが決定的な解釈はない。依然として謎のままである。

ただ、一点、謎を解くための「鍵」になるかもしれないことがある。日本でのクイーン人気に火をつけた『ミュージック・ライフ』元名物編集長・東郷かおる子氏によると、フレディがこの曲はとても「プライベート」なものであると発言しているのだ。

「『ボヘミアン・ラプソディ』って、何のことを歌ってるの?」
「ああ、あの歌は、僕のすごくプライベートな歌なんだよ」
「プライベートって、どういう意味?」
「……それは秘密さ(笑)」 
(上記記事より引用)

メンバーはもちろんのこと、フレディがこの曲に関する秘密を公にしたことは一切ない。唯一、”relationships”――人とのかかわり、人間関係ということか――についての曲だと本人から直接聞いたと、ファンクラブの秘書ジャッキー・スミスによる指摘がよく知られている(スミス氏は現在もファンクラブを運営しており、バンドとしては世界一長く継続しているファンクラブとしてギネスブックにも掲載されている)。また、ブライアンの取材にもこの言葉が出てくる。スミス氏はフレディが世に出る前からの友人で信頼できるソースであり、これだけでも重要な証言である。

日本限定の「プライベート」発言

しかしそれ以上に、東郷氏による「プライベート」という表現は、よりストレートで重要な「鍵」ではないだろうか? 東郷氏もスミス氏と同じく、いわば楽屋裏で個人的に尋ねたという。フレディに何のことを歌っているのか尋ねてみたところ、本人が「すごくプライベートな」曲なんだよと語ったという。

今回、出典を求めてさんざんあちこちを検索したのだが、英語の資料の中に"private"という言葉はどこにも見当たらない。つまり、これは東郷氏だけが耳にした、実は衝撃の発言なのではないだろうか。むろん日本限定である。しかしそれも考えてみれば不思議ではない。東郷氏だから(ついうっかり、なのかもしれないが)話したのである。本国のマスコミに本音をもらしたりすることはないはずだからだ。

ちなみに幼少期を含むフレディの貴重な写真の数々が『フレディ・マーキュリー 写真のなかの人生 ~The Great Pretender』に掲載されています。

本国メディアは彼らが売れる前もブレイクした後でさえも辛辣なことが多く、特にフレディの私生活についてうるさく追い回した。映画版にも、記者たちの失礼極まりない質問に辛抱強く耐える会見の場面があったが――日本での人気ぶりからは想像し難いのだが――彼らとマスコミとの確執は非常に根が深い。彼らに本音をもらすことはまずないだろう。しかし、東郷氏は別だ。本国に先駆けてクイーンを見出し、日本での人気に大きく貢献した東郷氏とフレディの信頼を物語るエピソードとしても貴重である。なにより、この曲を解く鍵となる重要な証言がわれわれのすぐ近くにあったとしたら、なんともエキサイティングではないか。

いずれにせよ、アーティストなのだから歌詞について説明する必要はもちろんない。ただ、本人が「プライベートな曲である」という以上、もしかしたら、フレディがどんな人かを知ることができれば、この曲に少し近づくことができるのではないだろうか?

そして謎の中心は、この物語の根幹である「殺人」であろう。つまり、謎は「誰が誰を殺したのか?」という一点に絞られるのではないだろうか?
ウェブ上では音楽関連のサイトだけでなく個人のブログなどまで含めると、もう収拾がつかなくなるほど多くの「説」を見つけることができる。そしてその多くが、謎の解明を求めて別のウェブを見たまとめであったりする。映画版の人気でさらにその数は増えていった。

しかし、一つ「有力な」仮説が広がっている。そしてその説はまさに「誰が誰を殺したのか?」という疑問に迫るものである。今回はその説の根拠となる、フレディの人間像を探っていく。

生い立ちにみるフレディの光と影

フレディこと本名ファルーク・バルサラは1946年、アフリカのザンジバル諸島(現在のタンザニア)に誕生した。「パールシー」と呼ばれるペルシャ系インド人の家系で、父親は政府関係の部署で経理の仕事に携わっていた。中流以上の恵まれた家庭環境に育つ。ザンジバルでは十分な教育を受けることができないため、単身8歳でインドはムンバイの寄宿学校に渡る。家族と別れて暮らすには幼すぎ、寂しい思いをしたのではという関係者の話もあるが、シャイではあるが非常に活発な子供で、当時からピアノを習い、バンドを結成するなど音楽活動にも力を注いでいた。16歳でザンジバルに帰国するが当時独立運動が起こり、その後一家はイギリスへと移住した。

パールシーはイギリスではもちろん、世界的にみても少数民族で、最も多く居住するインドでも人口10万人と言われる。ペルシャ(イラン)のゾロアスター教徒の末裔で、7、8世紀頃新興のイスラム教が勢力を増した際に改宗を拒み、国を追われた民族である。大半がインドに移り住み、現在は非常に裕福な層や政治的にも有力な層が多く占めている。インドの二大財閥の一つも彼らの財閥である。

ザンジバルで政府の会計係であった父親は、ロンドン移住後はそのキャリアを活かした職を得ることができず、外食産業のレジ係の仕事に就いたようだ。母親も一時パートタイムで家計を支えた。広い家に住み、召使を雇うなど特権的な生活を長年送った後の見知らぬ国での生活は、彼らに大きな変化を強いたことだろう。今もザンジバルに親戚は残っているようだが交流はあまりない模様だ。フレディはロンドン移住をとても喜んだそうだが、スターになってからも彼とアフリカとの関係が表立って知らされたことはなかった。彼の地を訪問し旧交をあたためたというようなこともない。彼の容貌はロンドンではあきらかに目立っただろうが、エキゾチックな面を強調する必要はないという考えだったのだろう。ロックミュージシャンにとって決して有利な情報というわけではなかった。

避けて通れないセクシュアリティの話

次にフレディのセクシュアリティについてであるが、やはりこの点を避けて通ることはできないだろう。映画でもメアリーとの関係に苦悩する姿が描かれている。映画ではフレディはゲイ、あるいはバイセクシャルであるという風に描かれているが、生前本人は自分のセクシュアリティについて一切ノーコメントを貫いた。メンバーとも長いことそういう話はしなかったようだ。ブライアンは2008年のDaily Expressの記事で、「チラッと疑ったことはあったが、当時の彼がゲイだと思ったことは一度もなかった」と述懐している。

実際、ブライアンはメアリーとは旧知の仲であるし、楽屋に女の子たちが遊びに来ていたことも昔から知っている。したがってこの記事は、どうも彼が「うっかり」口を滑らせたような雰囲気がある。というのも、フレディのセクシュアリティについてメンバーがなにか発言するということはほぼ無いに等しいからだ。同記事では「(フレディが)「男性だけが好き」と告白したのは、それが露骨になってから何年も経ってからさ」ともあるので、フレディの死後随分経ったこともあり、取材の流れでふと話してしまったのだろう。

もっとも、フレディが髪を切り、皮のジャケットをまといハードコアなファッションに転換した80年代以降、彼がゲイであると感じた人は多かった。ただ、メンバーたちが本人にセクシュアリティについて尋ねることは、当時はなかったということだ。それはファンにとっても同じで、がらりと変わったスタイルに戸惑ったファンは多かったが、彼らの音楽を愛するリスナーにとってはそれほど大きな問題ではなかったように思う。

映画版の評価は概ね好意的だったが、批判の中には、フレディとメアリーの関係を美しく描きすぎているという指摘もあった。同性愛者を異性愛者として、あるいはそちら側に寄せて描いているという批判である。人生の後半でジム・ハットンという男性の恋人が現れるが、メアリーとの関係も非常に美しく保たれたままにされている。美化しすぎているのではないかという意見もわからないではない。

親子と宗教――「いい息子でいたい」という願い

また、セクシュアリティについてはメアリーとの関り以外にも、家族との葛藤がフレディに暗い影を落としていたと思われる。パールシーは少数民族である。伝統的にゾロアスター教で、先祖が引き継いできたものを絶やさないようにという意識が強い。フレディの父親は敬虔な信者だったので、息子がゲイというのはなかなか受け入れ難いことだっただろうし、親思いのフレディも彼らを失望させたくないという気持ちが強かっただろう。現代ならともかく、まだLGBTという言葉もなかっただろうし、イギリスでは長らく同性愛行為は犯罪であった。条件付きで非犯罪化されたのが1960年代後半のことである。

父と息子の宗教観をめぐる様相は、映画では「善き考え、善き言葉、善き行い」という言葉と共に描かれる。息子を理不尽に押さえつけようとする父ではないが、食卓を囲む家族の夕べやメアリーを招くと喜ぶ様子にいわゆる「普通の家族」の形が歓迎されていることは明らかだ。反旗を翻すような息子ではなかった。ただ、ライブ・エイドに参加する前に自ら家を訪ね、コンサートに出演すること――そしてそれも含めた生き方すべて――が自分の誇りであることを告げ、二人は和解する。アーティストとしての集大成の場を家族にも見てほしい、そして自分を認めてほしい。息子としてたいへんいじらしく、誠実さが伝わってくる。

彼をよく知る人たちのあらゆる証言からも、フレディが親思いであったことは明らかだ。彼らの期待に応えるよい息子でいたいという思いは強かっただろう。成功を収めてからも何度も新しい家をプレゼントしようとしたが、両親は住み慣れた古い家を好み、(父ボミ氏の生前は)ずっとそこに住み続けた。両親の実直な人柄がわかるようなエピソードだが、彼らもまた、フレディとその妹を抱え、激動の人生を送ってきたのだ。ザンジバルで独立運動が起こった際、インドに帰るかイギリスに戻るかという二つの選択肢があったのではないかと推測するが、彼らにとってまったく未知の土地イギリスを選んだのは容易な決断ではなかっただろう。そして一切語られてはいないが、時代的背景を考えても、移住後に人種的な偏見や差別を受けることも少なからずあっただろう。

子供思いの親に愛情深く育てられた幸せな子供である。幼い頃に親元を離れ寂しい思いもしただろうが、とても愛された子供であった。しかしそれゆえに、ごく個人的な自らのセクシュアリティと家族に対する葛藤は、フレディの心に大きく影を落としていたに違いない。

フレディ自身は教徒ではなかったが、葬儀はゾロアスター教の司祭によって執り行われたと言われる。ごく内輪に行われ火葬されたが、どこに埋葬されたかは公表されていない。自分らしく自由に生きたが、最後まで父母の息子であると、家族を尊重したのだろう。そして誰にも干渉されることなく静かに眠りたいと遺言を残したという。

ティム・ハットンやジョン・リードなど、彼がセクシュアリティについて常に苦しみもがいていたと話す人はいる。あまりにもプライベートなことなので慎重に扱われるべきことであるが、家族思いだったフレディが少なくとも彼らに対し葛藤を抱え、苦悩していたことは間違いないだろう。(つづく)

次回はフレディの人間像を知るための最後の項目、そして「仮説」に迫ります!

書き手:すがはら・ゆうこ/学術博士(名古屋大学)
専門は映画研究。元々の洋画好き&洋楽好きが高じて、現在は非常勤にて名古屋市内複数の大学で英語講座を担当。
『ボヘミアン・ラプソディ』は大学1年生対象の授業で曲を扱ったのがきっかけで、その後カルチャーセンターから愛知サマーセミナーの講座へと発展。ファンの方々の熱い思いに直に触れ、リサーチをまとめたものを書き下ろしました。『ボヘミアン・ラプソディ』の謎解きの、さらに向こうにお連れします。現在、出版するべく奮闘中。応援よろしくお願いします!

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この記事が入っているマガジン

『ボヘミアン・ラプソディ』の謎を解く(菅原裕子)
『ボヘミアン・ラプソディ』の謎を解く(菅原裕子)
  • 8本

クイーンの名曲『ボヘミアン・ラプソディ』にこめられた、とある「謎」を映画研究者の菅原裕子さんが追いかけます。

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