不況を気にしないタイ社会と困窮して犯罪に走るタイ人(第5回)
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タイと日本の不況の違い
「不況」と聞くと暗いイメージを持ちがちだ。特に日本は就職氷河期だとか、不況におけるワードのバリエーションが豊富なのでそのイメージが強い。なにか経済に打撃を与える大きな出来事があれば、それが長引く傾向にあるようにも思う。
一方、タイももちろん不況になれば様々な社会問題が噴出するが、日本ほど悲壮感がない。デパートなど商業施設では各店子(たなこ)が大音量で音楽を流し続け、客も楽しそうに買いものをする。タイ人気質が不況を吹き飛ばしているのかもしれない。こういった雰囲気もまた、タイが日本人から好感を持たれる要因のひとつなのではないだろうか。
とはいえ、経済的な状況が悪化すると、全体ではなくまず低所得者層が苦しむのがタイでもある。すでに何度も連載の中で書いてきたが、タイは階級社会であり、経済格差も著しい。そのため、本当の低所得者の姿が見えないことが多々ある。そんな声を出せない人々が本当に貧窮したときにすること。それは犯罪であることが少なくない。
不況を簡単に乗り越えていくタイ人気質
タイだって大きな波が襲ってくれば、経済的な混乱が起こる。世界的に知られる出来事でいえば、1997年のアジア通貨危機、2008年のリーマンショックなどだろう。
ボク自身は98年1月に初めてタイを訪れている。そのため、アジア通貨危機直後のタイの様子を実際にこの目で見てきた。当時は為替レートが旅行者には都合がよく、少なくとも観光業界は潤っていたように見えた。近年だと1万円がいいときで2800バーツ前後が相場だろう。98年1月当時はアジア通貨危機後に最もレートが悪かった時期とされ、1万円が4000バーツを超えている日が普通だった。20年も前なのでそもそも物価が安い上にレートが有利なものだから、いくら使っても金が減らない印象すらあった。
リーマンショックのとき、ボクは会社員をしていた。日系企業の多くが軒並み注文数がダウンしたことは憶えている。たとえば100万円の注文があったところが急に1万円になるようなケースがいくつもあった。日本だとその後長らく回復が進まずにいたものだが、タイの場合、その後半年もせずに元通りになる企業が多かった。日系企業だとタイ国内向けに商売をしているところは特にその傾向が強かった。
これはタイ人の気質ゆえに内需が高かったという事情がある。江戸っ子の「宵越しの金は持たない」に似ていて、タイ人は後先を考えずに金を遣ってしまう人が多い。低所得者の場合は貯金する余裕がないという問題もあるし、富裕層は使い切れない額が手に入るので自動的に貯まっていくという違いもあるが、そのどちらでもない中間層も貯金をしない。
特に2000年代に入ってから会社勤めという働き方が一般的になり、若い世代で中間層の厚さが増し、かつ購買力も上がった。さらに、クレジットカードも普及して、利用者も増えてきた。タイの法令で決められたクレジットカード発行審査基準では、月収1.5万バーツ以上が求められる。実際の審査はこれ以上厳しいわけだが、平均所得が2.6万バーツ程度のタイにおいて、審査をクリアできる人が増えてきたことも大きい。
さらに、元々、タイ人は南国気質で明るい。常夏なので、農業では年に何度も収穫の時期が訪れる。また、極端にいえばTシャツ1枚あれば年間を通して過ごすことが可能だ。日本のように常に次の季節を考えて準備をするという必要がない。さらに仏教が定着していて、助け合いの精神にも溢れている。だから、金がなくたってなんとか食べていける方法がいくらでもある。
そんな場所なので、タイ人は目先の楽しみさえあればいつでも笑顔でいられる。日本人のように未来を憂いて難しい顔をしない。それがいい方向に作用する事柄のひとつとして、不況をいとも簡単に乗り越えてしまう姿がある。
見かけだけの好景気、軍事政権以降の不景気
単純に言えば日本は元気がなく、タイは元気がいい。だから、多くの実業家がタイに来て起業し、タイと共に金儲けをしていこうとがんばっている。しかし、注意の必要がある。あくまでも後先を考えない金遣いが内需を高めているだけで、実際に好景気かどうかという点では怪しまなければならないのだ。
タイ政府としては見かけだけでも好景気の方が望ましいだろう。だから、あまり大きな報道はこれまでなかったけれども、実はリーマンショックの段階でタイ経済は最底辺へと落ち込み、その後、ほぼ回復せずに今に至っている、という外国人経済評論家などの意見が少なくない。日本人の経済アナリストや、在タイ日本大使館などの分析官、特にタイの経済に詳しい人だと、実は誰ひとりタイが好景気だとは言っていない。
現時点でタイは軍政だ。新型コロナウィルスによる悪影響とはまったく関係ないところでタイを不景気にさせ、タイ政府は経済的問題の解決策を見出せていない。2020年からは若者たちによる反政府デモ活動が過激化している。この若者を中心にした活動は反王室の主張が注目されがちだが、そもそもはタイ政府の無策による景気悪化が取り沙汰されていて、タイ国民の多くの関心事であった。
先述の通り97年にアジア通貨危機がタイを中心に巻き起こった。バンコクは当時、至るところに建設途中で放棄されたビルなどがあったものだ。その後何年もその状況が続いたが、現政権の敵であり、現在の政情不安の元凶でもあるタクシン・チナワットが首相になると、瞬く間にそれらのビルが完成しだした。2006年になって無血クーデターで政権の座を追われたタクシン元首相であったが、富裕層が支持する民主党などが政権の座につくと途端に世の中は荒れる。 最後にタクシン派が政権についていたのはタクシンの実妹インラック・チナワットが首相をしていた時代だ。
インラック時代も結局のところ不況下ではあった。しかし、一般のタイ人はみな好景気だと思い込んでいたし、街の様子も明るかった。タクシン時代同様、インラック時代も内需が高まり、バンコクはコンドミニアム(分譲マンション)が乱立していたものだ。そのころに「不景気だ」などと口にするタイ人はほとんどいなかったのである。
2014年に再び軍によるクーデターでインラックが追われると、そのまま軍事政権へと移行。当初はタクシン派でも保守派でもない第3の勢力として、当時すでに10年近く続いていた政治争いに疲弊していたタイ人たちは歓迎した。しかし、それも数年間のことで、一向に選挙をしない、憲法を軍に都合いいように変えてしまう政府にタイ人も不信感を持ち始め、2016年前後から「不況だ」という声が一般層から出てくる。
そうして、これといった打開策もなにもない上に、政治の新興勢力を潰していく政府に若者たちが声を上げた。王室に対する批判は、実はついでの主張である。これに関してはまた別の機会に紹介する。
不況の影響はまず低所得者層から
不況だと言い始めたのは中間層から下のクラスだ。すでに何度か書いてきたように、タイの富裕層はほんの一握りであり、なのにこの層がタイの富の大半を確保している。要するに、富裕層にとっては景気に関係なく、タイという国がある限り莫大な利益が懐に流れ込んでくる。
タイでは教育もメディアも、基本的にはタイの限られた人たちが富を得続けるための道具だとボクは見ている。タクシン元首相は在任中に私利私欲に走りすぎたが、景気回復だけでなく貧困層への保険の創設など、今でも選挙をすればタクシン派が勝ってしまうほどの貢献もしている。インラック政権も確かにいくつか落ち度と隙があったのも事実だ。2013年後半から2014年の現政権のクーデターまで起こった大規模デモ活動で猛烈にその点を突かれ、反政府デモの賛同者が増えてしまった。
ただ、そのデモでボクが見たのは、タイの大学生、あるいは大卒者もインラックを批判するものの、その根拠がデモ先導者が発する言葉に強く影響されていたことだ。真実だとか、デモ側の一方的な意見だとかを吟味することなく、ただひたすらに反政府デモを支持する。だから、デモに参加する人くらい熱心な人でも、誰がインラックの代わりになるかを答えられる人も当時いなかった。一方で、外国の大学を出ている人、あるいは現役の留学生の多くはインラックを支持していなくとも、デモにも賛同していない人ばかりだった。
この違いは大きいと感じた。このときにボクは、タイの教育は富裕層が富裕層であるためのものであって、下々の者を押さえつけるための道具なのではないかと思った。一般的な国民は真実を知らないままに育っていくのではないかとボクは疑い始めている。タイには王室批判を禁じる法令もあるし、政治の決定を批判することも基本的には禁じられている。ネットの発展で今の若者は既存の常識に縛られなくなりつつあるが、いまだ富裕層以外には真実がそう簡単に行き渡らない国でもある。
リーマンショックから不況がずっと続いているとしたら、軍事政権になった2014年も不況真っただ中だった。タイが軍政になった直後、欧州のいくつかの国でタイ製品の不買運動や経済制裁的な動きが起こったようだ。これによって、ただでさえ不況だったのに港湾の作業がさらに減ったという。
タイ最大の港は、バンコクのチャオプラヤ河に面するクロントーイ港だ。日本人在住者の多いスクムビット通りのプロンポンやトンローといったエリアの真南にある。ここにはタイ最大のスラム街もある。第2次大戦後から徐々に、地方からの出稼ぎ労働者が港湾局の敷地を不法占拠し形成された居住区だ。ここは今も日雇い労働で生計を立てている人が少なくなく、1食分の収入を得るのに苦労する人も多い。
このスラムで貧困住民を支援する慈善団体のひとつ「ドゥアンプラティープ財団」の主催者であるプラティープ先生に話を伺ったことがある。2014年の軍事政権樹立後に港湾の仕事が激減し、日雇いの仕事にも就けない人が急増したそうだ。
しかし、この事実を知る人はほとんどいない。超貧困層の声を聞くタイ人はどこにもいない。そもそも、タイ・メディアがこの事実を報じない。タイ社会には経済的階級があり、底辺の意見は動物の鳴き声と同じ、聞き入れることはない。結局、この層の困窮度合いが誰に知られることもなくじわじわと拡大し、中間層に浸食し始めてやっと、一般のタイ人も「今のタイは不況だ」と言い始めたのである。
外国人が襲われるようになると本物の不況
タイも学歴社会で、小中学校を出ただけでは最早まともな就職先はない。高卒でもせいぜいスーパーの店員や飲食店の従業員になれるくらいだ。日本ならチャンスさえ掴めば、学歴に関係なく大きく成功する道もあるだろうが、タイの場合、先に書いたように教育もメディアも、そして富裕層同士のネットワークも、ニューカマーを歓迎しない。近年はSNSの発展でその垣根はだいぶ低くなったが、少なくとも富裕層は新しい仲間を受け入れることはまずない。
そうなると、低所得者層は延々とその層の中で生きていくしかないのが現実だ。しかし、不況になると、さすがの彼らもその日その日を笑って過ごすこともできなくなってくる。背に腹は代えられない。そこで走りやすいのが犯罪だ。麻薬の売買、女性なら売春、それから窃盗など、容易に手が出せる犯罪から手を染め始める。
かつてタイの不良少年・少女にインタビューを敢行したことがある。特に興味深かったのはギャングの言葉だ。日本でいう反社会勢力はタイではマフィアなどと呼ばれる。こういった本職の下っ端になったり、あるいは徒党を組んで敵対するグループとケンカするような団体がギャングである。
結局、彼らはがんばっても這い上がれない社会に絶望し、溜まっていく鬱憤を暴力で晴らしているように見えた。酒を飲み、パブやディスコで目が合えばケンカになる。日本の昭和の不良少年のようなことを彼らはやっている。そのギャングが言っていたのは「相手にするのはタイ人の男で、外国人は別世界の人だから手は出さない」ということだ。
数年前に日本人男性がトンローで強盗に襲われた。犯人はすぐに捕まったのだが、そのときの加害者は「外国人だとは思わず襲ってしまった」と発言している。日本人は人によってはタイ人に見える容姿の人もいる。そのため、この加害者は間違って襲ったというのだ。
タイ人が不況だというようになったずっとあと、2019年12月下旬にも日本人が刃物を持ったタイ人に襲われ、重傷を負った。日本人在住者の多いエリアで、このときの犯人は人種問わずに襲ったようである。元々タイは日本よりもずっと治安が悪い。殺人事件の件数も多いのだが、普通に暮らしている分には身の危険を感じることはない。深夜のひとり歩きでもよほどの場所でなければこれまでは問題なかった。
ところが、このように外国人が襲われる事例が起こっている。特に日本人居住者が多いエリアは先述のようにクロントーイ・スラムが隣接している。このスラムから日本人居住エリアはいくつかのルートにおいてバイクを利用すれば、ほとんど人目につかずに移動することができる。実は何十年も前からひったくりや強盗のルートができあがっていて、日本人居住エリアは本当は危険な場所なのだ。
これまでは日本人が襲われることはあまりなかった。とはいえ、にっちもさっちも行かなくなった犯罪者は標的を選んでいる場合ではない。幸い、日本人が大きな被害を受ける事件はまだそれほど多くはないが、普段は襲わない外国人を襲うようになったら、タイは本当に不況だという証明になる。前回も書いたが外国人は駒であったり、タイ社会では別枠の存在である。それなのに襲われ始めたら、タイもいよいよ厳しい状況なのだと思った方がいい。実際、98年や99年のころのタイは今よりも体感的に危険な国だった。いつでも犯罪被害に遭いそうな雰囲気があったものだ。今はそれよりはマシだが、今後どうなることやら。
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