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水月昭道著『高学歴ワーキングプア』全文公開/第4章「大学とそこで働くセンセの実態」

光文社新書編集部の三宅です。『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』刊行を5月20日に控え、2007年刊行の『高学歴ワーキングプア』の全文を順次、公開していきます。本日は第4章「大学とそこで働くセンセの実態」です。大学の先生間の格差、そして、大学も先生も結構大変だよ、という話です。おそらく、事態は13年前より悪化しているのではないでしょうか……。

目次、はじめに、第1章はこちら。第2章はこちら。第3章はこちら

第4章 大学とそこで働くセンセの実態

知識社会を標榜し、日本という国全体において、研究環境の拡大と研究者数の確保を試みた政策の結果、たしかに大学院生数だけはかつてないほどに増加した。それに伴い、博士号取得者の絶対数が増えたことも間違いはない。

彼らはそれぞれ、〝○○博士〟なのであるから、そういう意味では〝研究者〟が増えたとも言えるかもしれない。だが、そこには実態の伴わない名前だけの研究者がいるにすぎない。大学にきちんと所属する専任の研究者は、〝博士卒〟の大幅な増加率から比べると、その増え幅は、ほんのわずかにすぎない。

研究者を増やすつもりなど、結局「実際は考えていなかったのではないか」と勘ぐりたくもなろうというものだ。教員市場がそれほど大きくなることもないのに、大学院生だけが増えたなら、食い詰め浪人を生産するだけであることは、自明だったはずだ。民間企業はもとより、日本の大学院卒の〝博士〟など必要ともしていない。このことも、分かりきっていたはずだ。

こういう状況下では、専任教員になることを夢見て〝博士号〟を取得したとしても、現実には〝フリーター〟になることが関の山だ。そして、これほどにフリーター博士が増えたとなると、博士号を取得するまでに多大な税金がかかっているのに「この穀潰し」というようなそしりが、世間から浴びせられるようになるまで、さして時間はかからないだろう。

この国では、自力ではどうにもならない厳しい境遇に身を置く者たちを指さして、「個人の努力が足りないからだ」という非難を浴びせることは決して珍しくない。その結果、問題となる社会構造を生み出してきた黒幕たちは、本来追及されるべき自らの責任について世間の目を欺き、問題を個人に転嫁して悠々と生活を続けていく。『「ニート」って言うな!』(本田由紀他著、光文社新書)では、社会問題を個人の問題としてすり替えていくえげつない手法によって、若者が不当に貶められていく構造が明らかにされている。

さて、大学教員は、一体どんな世界で生きているのだろう。果たしてそこは、博士学位取得後に何年もアルバイトを続け、待って待って待ち続けるほどに価値ある世界なのだろうか。フリーター博士たちにとって、〝思い焦がれる〟ほどの価値はあるのか。現場を覗いてみたい。

やっと結婚できそうです

和田さんは、去年、地方私立大学の専任教員に晴れて納まった。それまでは、ご多分に漏れず、非常勤講師の掛け持ちや肉体労働系のバイトなどで食いつないでいた。

「本当に、安心しました」

専任に採用された感想を求めた時の、彼の第一声がこれだった。それまですでに、五年ほどの歳月を〝待ち〟の状態で過ごしていた和田さんは、大学教員になる夢を半ば諦めかけていた。

「あと三年たっても専任採用が決まらなかったら、南の島にでも移住して菜園を作って自給自足の生活をしようかと、本気で思っていました」

この度の登用に安堵したという彼の気持ちが、痛いほどに伝わってくる話ではないか。

フリーター時代の和田さんの年間所得は、約二〇〇万円。専任教員になった現在、その所得は約三倍の六〇〇万円に増えた。

専任教員の基本的な労働形態は、労働に従事する主体者の裁量に依存する裁量労働制だ。給与の算出は、私学の場合、各大学の算出方法に拠っている。国立は、これまで文科省による人事・給与システムに一本化されていたが、独立行政法人となったことで、そのシステムは全国統一的ではなくなった。つまり、給与はそれぞれの台所等の事情にあわせてさまざまとなったのだが、一定のラインはある。専任講師はおおむね五〇〇万から六〇〇万円だ。

「これで、やっと結婚相手を探すこともできます。それまでの所得じゃ、とてもじゃないですが結婚生活なんか成立し得なかったですからね。つきあった彼女も何人かいましたが、皆、給料を聞くと、結婚は無理ね、と去っていきました。あれは辛かったですね」

大学院重点化政策は、少子化の一因ともなっているように思えてならない。結婚生活という、人が普通に辿るはずの社会生活の実現も、フリーター博士にとっては、往事のベルリンの壁以上に高いハードルとなっているのだ。

勤務は週三日

和田さんが専任になって一番驚いたことが、就業日数についてだった。

「それまで、私は朝も夜もなく、毎日毎日とにかくアルバイト三昧でした。博士号を持っていても、アルバイトでもらえる時給は、別段普通と変わらず、せいぜい八五〇円です。だから、いつも『日本では博士といっても何の意味もないよなあ』と思っていました」

ところが、専任になった途端、これが一変した。給与は、最終学歴が大学院博士課程修了となるので、最初から基本給が高く設定され、勤務日数に至っては、なんと週三日から四日だ。

「それまでとは雲泥の差です。年間所得は三倍。労働時間は約三分の一。私自身には何ら変わりはないのに、何か壁を一枚隔てた向こう側とでもいうべき世界に、この身が移っただけで、こうも自分の生活が変わるとは思ってもみませんでした」

壁の向こうとこちらは、まるで地獄と極楽のような違いがあると、和田さんはそれまでの生活を回顧するように、自らの言葉をじっくりと噛みしめた。

「最初、私はそれを単純に喜んでいました。しかし、時間がたつにつれて、だんだん喜べなくなってきたのです」

和田さんの生活は、それまでの地獄から、極楽へと確かに変わった。だが、そんな生活も慣れるに従って、素直に喜べなくなってきたというのだ。自らが専任となっても、単純にそれを喜んでばかりはいられない状況に直面してしまったからだ。

「私は運よく壁の向こうに行けました。しかし、私の友人・知人の多くは、未だ高い壁に遮られてみじめな生活を送らざるを得ない境遇にいるんです。しかも、〝こちら側〟に来て初めてわかったんですが、ここの住人は酷いんですよ」

和田さんたち三十代の研究者は、超のつく就職氷河期を生き抜くために、皆毎年数本の論文を書くのが当たり前となっている。和田さん自身も、この一年間だけでも単著による書籍一冊、専門雑誌からの依頼論文一本、英文ジャーナルへの投稿論文一本、大学紀要論文二本という業績をあげている。どれも、ファースト執筆(自分が筆頭となって書かれた論文のこと)だ。

「私たちにとっては、これくらいは普通です。苦しいのは確かですが、このくらい書いていても、専任への登用はなかなか見つからないんです。それからすると、私は本当に運がよかったんだなと思います」

和田さんが専任になったのは、運だけではなく相当な実力があったことは確かだ。その彼が、〝こちら側〟にきてみると、それまでの彼の常識からすると信じられないものを目にすることになった。それが、彼の疑問を増幅し、〝壁の向こう側〟の生活を喜べないものにする原因となっていた。

「多くの専任教員がほとんど論文を生産していないのです。そのほとんどは五十代以上。彼らは週に三、四日ほど大学にやってきて、講義をして会議に出て帰るだけです」

論文を書かない理由は、「教育に時間が取られるからだ」と説明される。

だが、週に三、四日の就業日数というのは、その他の日に「ご自分の研究をすすめてくださいね」という意味が含まれているのだ。講義期間だけ出て、あとは好きなことをしてくださいというわけでは、決してない。酷いケースでは、空いた日を利用して他の大学へ非常勤講師をしている人もいる。ただし、これは大学経営上にまつわる問題とも絡んでいるので、詳しくは後述する。

「あまり言いたくはないのですが、五十代なのに私よりも論文の発表数が少ない先生も少なくありません。博士号を持たない先生も然りです。私たち若手の研究者は、博士号を有していてさえ、最低数年、場合によっては一生アルバイト生活をせざるを得ないのですから、この光景は到底信じられないものでした」

だが、現在の若手研究者の就職に際し、現実に高い壁となって彼らをはね返し続けているのは、まぎれもなく、この五十代以上の先生方なのである。

「だからこそ、喜べなくなったのです。私たち若手のほとんどは、現在、どれほど努力しても半分はフリーターにならざるを得ません。ですが、私たちをはねつける立場の方々のなかには、排除される私たちよりもなぜか業績が少ないという先生方も少なくないのです」

一度でも専任になってしまえば、決してリストラがないのがこの世界である。既得権が完全に守られているとも言える。そうした世界で安穏とぬるま湯に浸かっている人たちに、「君はうちの大学の教員になるにはもう少し足りないね」などと一度でも言われたなら、一体どんな気持ちになるだろう。若手研究者は、何度となくこれを言われ続け、その挙げ句フリーターになったものも少なくないのだ。

「私は、自分のこれまでの研究や努力が、なんだか穢されたような気がしてきたんです」

和田さんが、〝壁の向こう側〟の世界を素直に享受できない理由はこれだったのである。

近年の現場では、数年前から導入された〝業績主義〟により、どの大学教員も遊ぶ暇もないほど忙しいという状況に変わり始めている。また、着々と進む少子化の影響から、国立・私立に限らず、教員が携わる業務内容は多岐にわたり激増しつつある。学内イメージの向上という理由から、教員が清掃業務に携わることを義務づけられるといったことも珍しくなくなった。高校へのリクルート(青田買い)に走らされることもある。教員が、講義と会議だけをしていればよい時代は、遠く過ぎ去ろうとしている。

しかし、その割をくっているのは、中堅から下の比較的若いとされる層である。給与は下がることはあっても、上がることは稀という雰囲気も醸成され始めた。専任教員は、かつて〝美味しかった〟と言うべきかもしれないことをここに付記しておく。激しい急流に、業界全体がもみくちゃにされているのが、戦後最大の過渡期を迎えてしまった今といえる。

教員間格差

さて、その和田さん、専任になる前は非常勤講師だったことは前述した。専任だろうが非常勤だろうが、〝講義を受ける側〟からしてみれば、同じ先生に見えるのだが、何やら違いがありそうだ。

「非常勤時代は、九〇分の講義を受け持って、大体七〇〇〇円くらい頂いていました。月にしたら三万円弱ですから、到底、一つの非常勤だけでは食べていけません。私は四つ掛け持ちしていました」

それでも、月一一万円くらいにしかならない。しかも、講義で教えるために読んでおくべき資料や書籍などの経費については、大学からの支給が一切なく、すべて持ち出しの状況だったという。

「いくら掛け持ちして稼いでも、資料や文献などの準備にお金が消えていくんです。なので、そうした分の補填にあてようと、月六万円くらいになるように、時給八五〇円のアルバイトをしていたんです」

時間に換算すれば、時給八五〇円で六万円稼ごうとすれば、おおむね七〇時間は必要となる。一日八時間のバイトをするとしても、一カ月に約九日間必要となる。とすれば、週に二日は、こうした時給アルバイトにあて、残りの五日間で四つの講義を掛け持ちするという生活となる。当然土日もない。

「九〇分の講義をするのに、私は平均その二倍の時間をかけていました。多いときには三倍になります」

こうした授業準備の時間と、大学までの移動時間、掛け持ちしている大学と大学の間を行き来する時間などを考えると、一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。しかも、彼ら非常勤講師は、専任に成り上がるために多くの業績を上げ続けなければならない。空いた時間をすべて自らの研究に費やしても、まったく時間は足りないはずだ。

「いくら働いてもお金は残らず、自分の時間すらほとんどありませんでした。疲れから、気分転換をしたくなる時もありましたが、そんなお金もないのでできません。加えて、保険もない状態でしたから、一刻も早く専任に成り上がりたいと、そればかりを願ってました」

これでは完全な、「ワーキングプア」である。

一方、専任はどうか。

まず、授業準備に使用する資料や書籍代は、大学の経費ですべて賄われる。現在ではインターネットを利用した情報取得も必須だが、こうした経費ももちろん大学側によって保障されている。非常勤講師は、自宅でインターネットを使うが、もちろん自腹。

専任には、個別の部屋が与えられていることも見逃せない。部屋があれば、そこに資料や文献を整理して置いておくこともできるし、個別の作業にも集中できる。だが非常勤は、基本的にすべて自宅作業だ。コピーすらも自腹となる。

では、自らの研究についてはどうか。

専任は、学会への参加費や旅費、発表にかかる経費などは、すべて大学から支給されている。細かいことをいえば、発表準備に用いるパソコン等の機材や紙、インクも経費でまかなわれている。一方、非常勤はすべて持ち出しだ。こうしてみると、専任と非常勤の間には、単に月収の違いだけでなく、経費の支給が大きな差になっていることがわかる。

これほど優遇されている専任教員が、もし、非常勤に比べて論文生産が悪いとしたならば、一般市民はどう思うだろうか。和田さんの悩みもわかろうというものだ。そして、最も滑稽なのは、たとえこうした教員間格差があったとしても、講義を受ける側からすれば、専任も非常勤も同じ先生としてしか、その目に映っていないということだ。

ところが、一方は年収六〇〇万円を保障され、必要経費や保険にも不自由していない〝本物〟の先生であり、他方は、年収二〇〇万円・経費自腹・保険なし・貯金なし・嫁さんなしの〝バイト〟センセなのである。もちろん、講義を受ける学生さんたちは、そんなこと、知るよしもないだろう。寂しいかな、非常勤講師。

進む講義のアウトソーシング化

こうした教員間格差は、まったく是正されることなく放置され続けている。同じように〝講義〟を行っているにもかかわらず、専任と非常勤の間には、とてつもなく大きな待遇差が存在し続けているのである。

そこには、経営上のメリットがあるからに他ならない。一つの講義について、専任と非常勤が担当するコストの差は、給与体系や経費・保険などの保障といった観点からすれば、軽く三倍以上の差がつくだろう。先の例で言えば給与だけでも、片や六〇〇万円、片や二〇〇万円以下なのだから。

「同じ講義なら、一円でも安くやれるほうがいい」に決まっている。それが経営の論理だ。ヘタに専任を使えば高くなるのだから、それまで専任を使っていた講義についても、どんどん非常勤講師にやってもらうということが進んでいく。すると、どうなるか。

ある私立大学では、その大学で開講している全講座の専任教員による担当率は、わずか二四%だという。七五%の講義は、大学で正規に雇われている教員によってではなく、その大学に本来関係のない外部の人たちによってまかなわれているのだ。

大学の教育的義務の側面を考えると、これはまずいのではなかろうか。しかし、超少子化時代を迎えた大学にとって、そんなことはいっていられない。どこも、自らの生き残りだけをなりふり構わず考えるご時世なのだ。

こうしたなか、大学は自らが提供する講義から、すでに教育的配慮というエッセンスを消し去り、単に知識や情報のコンテンツを提供するという方向に姿勢を移し始めている。ようするに、お客が喜ぶコンテンツの提供や、お客集めになりそうな面白講義の類を数多くそろえようとし始めたのだ。学生はあくまでも、大学にとっては〝お客さま〟であり、本来の教育ではなく、お客を喜ばせ、客集めにつながる「商売」を行うことが、大学にとって大事なこととなったのだ。最近、どこの大学も〝特殊講義〟の類が増えているのは、そうした背景によるものだろう。

お客を飽きさせないような、いろとりどりのメニュー(講義)を準備するためには、〝面白講義〟ができる、さまざまな人的資源が必要となる。そうした人材を、大学内部だけですべてまかなうことは不可能である。つまり、一人の専任教員が持つ引き出しの数よりも、複数の人間を少しずつ寄せ集めることで、異なるさまざまな種類の〝講義〟コンテンツの確保を容易にする組織構造を作り上げるほうが、経営上重要となっているのである。

こうして、講義はまたも外部に発注されることとなる。人件費抑制と多様なコンテンツの提供という二つの目的を同時に満たすために、講義のアウトソーシング化は、どんどんと進められるのだ。

皮肉なことに、かつてないほどの究極の買い手市場が、その成立──大学経営者にとっては都合のよいこと──を何事もないかのごとく可能としている。こうした雇用体系は、これまで見てきたように非人間的ともいえる労働環境を作ってしまうにもかかわらずだ。

大学が客集めのために提供したいと思っている講義を、安い報酬で大学の時間割にあわせてやってくれる研究者。しかも、文句もいわず。そんな〝都合のよい研究者〟は、普通であれば見つからない。だが、未曾有の人余りに見舞われている現在の大学教員市場は、いとも簡単にそれを可能とするのだ。なにしろ〝博士〟なぞ掃いて捨てるほどいるのだから。

特任制度というご都合なもの

アウトソーシングは、もはや教育に限ったことではない。大学を大学たらしめている〝研究領域〟における活動でも、それは次々と進行している。

たとえば、どこの大学でも、現在、自らの存在をアピールすることに余念がないが、名前を売るためには、ウリとなるものを必要とする。つまり、看板やアドバルーンを揚げるための具体的成果物──いわゆるタマ──だ。

その最たるものが、優れた研究に重点的に予算を配分するCOE(センター・オブ・エクセレンス)と呼ばれるものや、「特色ある大学教育支援プログラム」(GP=Good Practice)などと呼ばれるものだ。GPとは、大学教育について改善の提案を行うプログラムのことを指す。この計画は、各大学で独自に考えられる。計画が文科省の目にとまれば優秀な〝GP〟であるとして採択され、GPの計画にある目的達成のための財政支援や社会への情報提供といったメリットを享受できる。大学や教員へのインセンティブ、また、高等教育の全体的活性化がその主たる目的だ。

中規模以上の大学では、COEに採択されることが、大学の最重要戦略の一つとなっており、逆に小規模の大学や短大では、大学教育支援プログラムの独自開発を財政的に支援してくれる、また大学の試みを外にアピールできるという意味でも〝GP〟などに採択されることが大きな目標となっている。

一旦それら〝COE〟や〝GP〟に採択されたとなれば、大学をあげてPRしていくこととなるのはいうまでもない。

そのこと自体は何ら問題ない。問題は、大学が提示する計画の中身に目を移したときに発見される。

作ったプログラムの実施にあたって、その大学に所属している専任教員以外の名前がそこにある場合が少なくないからだ。しかも、彼らがプロジェクト・リーダーとなっているケースも珍しくない。

いわゆる、ビッグネームの引き抜き。民間で活躍している、〝技術者〟や〝実践者〟を「特任教授」として大学に招聘するウルトラCだ。

文科省が用意したプログラムに採択されるということは、大学にとって最高の誉れとなる。だが、結果を残すことは容易ではない。自前の教員だけでは難しいことも多々ある。現場もそれを自覚している場合が少なくない。だからこそ、〝助っ人〟が必要となる。

問題となるのは、実はここからだ。いわゆる〝助っ人〟を大学に招聘する場合、ハードルとなる部分がでてくるのである。それは、助っ人が〝実践者〟や〝技術者〟であって、〝研究者〟としての経験を積んでいないということである。

つまり、博士号や研究論文の有無が問われるということだ。大学というところは、あくまで表向きではあるが、そういう部分をかなり気にかける。博士号や研究経歴のない人を、大学に招いて、そのままアカデミズムの住人となってもらうことは、大学における一般常識からいえば、ほぼありえない。だが、助っ人は確実に必要である。一計をめぐらす必要がでてくる。そこで、「特任」教授の出番である。

運営する大学側の本音をいえば、大学の名前をあげてくれるような結果を出してくれるのなら、どんな人であれ〝ウェルカム〟であって、そのためには、その人が博士号を持たないとか、研究者として研究論文を書いていないなどといったことに目をつぶることもいとわない。大学というところは、実はそういう柔軟性もあわせもっている。

ただ、だからといって、正規の教授にするには、多少抵抗がある。教授になるには、普通、アカデミズムの世界でどれほどの業績をあげてきたのかといった審査が課されるからだ。博士号すら持たない状態で、教授になるということは、現状ではありえないことなのだ。教授の上に「特任」という〝おまけ〟が、わざわざ付随する理由はここにある。

教授の上に、「特任」がつけば、それはその名称が示すように、正規の教授とはみなされない。正規ではないのだから、博士号を持っている必要もない。しかも、上におまけがつくとはいっても、対外的には「教授」となる。こうして、晴れて〝特任〟教授も、大学教員の一員となることが許される。

これまた、大変、都合のよいシステムとはいえないだろうか。特任の名のもとに、大学の経営を実質的に裏支えする〝教授〟は、このようにして次々と生み出され、そして、数年すれば切り捨てられていく。多くの場合、プロジェクトは数年単位で終了するからだ。

守られる矜持

Qちゃんこと、シドニーオリンピック・マラソン競技・金メダリストの高橋尚子氏が、母校・大阪学院大で、その特任教授に就任したのは、二〇〇六年一一月一日付のことだった。時に、Qちゃんは三四歳。

現在、研究者を目指す若者が、三四歳で教授になれる見込みは、ほぼない。ただし、東大、それも法学部などをストレートで卒業し、大学院の課程中途で博士号を得、二十代後半にして准教授に就任するスーパー・エリートは存在する。しかし、これは例外中の例外である。

Qちゃんが、いかに若くして〝教授〟になってしまったか、お分かりいただけるだろう。大学の専任教員を見渡せば、五十代でも教授待ちをしている准教授がザラにいるなかで、大学の外からやってきた〝民間人〟が、三十代前半で、特任とはいえ教授になってしまう現在の状況は、内部にいる人間にとってはたまらないはずだ。

教授への野心を燃やす専任教員の多くは、現在、博士号を取得するまで最低一〇年近くの歳月をかけ、投稿論文を年に数本書き、嫌いな飛行機にのって海外発表にでかけ、単身赴任で在外研究員をやり、学閥の波にもまれ、つまらない会議にも出席しながら、席順ゲームのアガリである〝教授〟をじっと待ち続けているのである。そして、あがれずに終わる人も決して少なくないのがこの世界なのだ。

そうした現実を横目に、本来の研究者道とはまったく異なるところからやってきた人が、教授へのホップ・ステップである、講師も准教授も飛び越えて、いきなり教授となってしまうのだから、業界の人間の気持ちは推して知るべしだろう。いくら大学の名前を売るためであり、経営上の戦略であっても、通常であれば内部の人間に納得できる話ではない。

だが、現実には、専任教員とそうした特任教授は、力をあわせて仕事をしている場合が少なくない。なぜか。

特任教授は、〝特任〟だからである。上におまけがつくことで、本職の研究者たちは「自分たちとは違う」という認識が持てるのである。つまり、〝特任〟の文字は、専任たちのガス抜きの役割を果たしているのだ。

「教授とはいっても、〝特任〟だからな」。そういって、溜飲を下げるのだ。

そうでなければ、〝その道〟に入り、一〇年も二〇年も修業してきたものたちの矜持が保たれるはずがない。

ある大学のCOEプロジェクトで、〝特任〟教授を務める先生は、「特任なんて失礼じゃないか。普通に〝教授〟では、なぜいけないんだ」と怒りをぶちまけていたが、そんなことになったら、おそらくその研究プロジェクトは成り立たないだろう。

組織の経済的基盤を強化するためとはいえ、こうした肩書き制度が恥ずかしげもなく導入されているのが、大学教員ポストをめぐる実態の一つとなっている。大学は、生き残る選択として、もはや〝教育〟ではなく、〝商売〟に精をだすことに必死なのだ。

任期制度は有名無実

大学教員の肩書きは、上から順に、教授、准教授(かつての助教授)、講師、助教(かつての助手)となっている。もちろん、〝特任〟がつけば、同じような順番の肩書きが増えていく。特任教授、特任准教授、特任講師(特任助教というのはまだない)。また、この順列からは外れるが、研究員(ポスドクはここに含まれる)、非常勤講師というのもある。

いま、分類上の見やすさを追求するために、便宜的にこれらを以下のように呼んでみたい。教授以下の専任ヒエラルキーを、〝王道ライン〟。特任教授以下のヒエラルキーを、〝変則ライン〟。研究員や非常勤講師を、〝使い捨て資源〟。

このなかで、いわゆる常勤とされるのは、〝王道ライン〟だけである。特任制度などの〝変則ライン〟は、おおむね五年程度の任期で雇われている、プロジェクト完遂のためのプロ集団であって、任期が切れるとその後はどうなるかわからない。そういう意味では、非常勤に近い形態の雇用と言えるかもしれない。

そして、完全なる非常勤雇用となるのが、研究員やその名のとおり非常勤講師である〝使い捨て資源〟である。彼らは、基本的に一年ごとの契約更新制によって雇われており、雇用側の都合でいつ首を切られるかわからない不安定な身分だ。つまり、任期がない終身雇用で守られた世界というのは、〝王道ライン〟のみということだ。

その終身雇用が守られた唯一の世界に、少し前から、任期制が導入され始めた。全国の大学における適用校は、増加の一途をたどっている。たとえば、平成一〇(一九九八)年に任期制が導入された大学は、国立一四、公立二、私立五校であった。それが平成一四(二〇〇二)年になると、国立六五、公立一二、私立一一九校と激増している(「学校基本調査」調べ)。

任期制の広がりは、若手研究者にとって歓迎すべきことである。なぜなら、成長後退期における終身雇用制度の下では、通常、〝上がいなくなるまでポストが空かない〟という待ちぼうけをくわなければならないところに、制度によって、その〝上〟が強制的に空けられるという希望が見えてくるからだ。

そういう意味では、広い世代にわたって公平感が広がり、一見するとよいことだらけのように見えるだろう。だが、実態は少し違う。実は、対象者によって適用率が変わっているのだ。教授への適用一・七%、准教授への適用一・八%、講師二・九%、助教七・九%(平成一四年時点)。教授と助教との間に見られる適用率の差は、四倍以上。何のことはない。相変わらず、立場の弱いところから切り捨てられていく構造が、ここでも繰り返されている。

さらに、その任期制であるが、なんと再任回数は無制限であるという場合も少なくない。教授や准教授へは、ただでさえ適用率が低いうえに、再任も無制限に妨げられないということであれば、実質、この制度は機能していないのも同然といえよう。

おまけに「教授」は定年になっても、それまでの研究および教育的貢献という理由から、〝特任〟教授へと立場を移してさらに数年の間、大学に居続けることも希ではない。

考えてみれば、一度、専任になった立場のものたちが、「任期制が導入されます」といわれて、「ハイそうですか」などと簡単に納得するはずもない。抜け道が造られるのは当然である。こうして、またも既得権は、がっちりと守られていく。この業界への新規参入の壁は、このように高いのである。

業績主義の光と影

最近、大学が主催するシンポジウムなどに出かけると、「近ごろは業績主義が導入され、教員も毎年論文を生産せねばならず、相当に忙しい毎日です」などといった発言が、壇上から聴衆に発せられることが珍しくない。事実、研究大学などを中心とした、それまでも論文生産に意欲的だった大学は、これまで以上に高い生産性を求められるようになっている。

独立行政法人となった元の国立大学は、大学全入時代を迎えて、生き残りをかけた仁義なき戦いに突入したといえよう。研究論文がどれほど生産されたか、また、それら論文の被引用回数がどれほどあったかなどが、大変重視される時代になったのだ。

一方の私立大学でも、こうした業績主義は同じように導入され始めている。日本には、学術振興のための助成金として「科研費」というものがある。文科省に申請し、独創的・先駆的な研究の発展に寄与する可能性ありと認められれば、これがおりる。その件数の増加は、大学の知名度アップにも有効となる。

「とにかく、科研費をとってください」

中京地区にある大学の准教授は、経営サイドからせっぱ詰まった様子でこんな風に懇願されたそうだ。いよいよ、どこの大学でも「倒産」を明確に意識し始めたということだろう。

地方の経営基盤の弱い私立大学ほど、こうした動きには敏感に反応する。だが、その地方私立弱小大学が、業績主義を勇んで導入すればするほど、実は、自らの首を絞めることにもつながっていくから、まさにこれは諸刃の剣である。

一口に「業績主義」というが、最近は、一本の論文を一人の研究者だけで生産することはまれになってきている。高価な機材を共有しながら高度の知識を有する人たちと一緒に観察や実験を行い、分担して論文を執筆するというスタイルが増えてきているのだ。

すると、どういうことが起こるか。

大学院生などの多くのスタッフを抱える研究大学と、そうしたスタッフや予算をほとんど持たない地方私立単科大などの間では、論文の生産効率という点で埋められない差が開いていくのである。加えて、研究大学と、いわゆる地方弱小大学との間には、研究環境を構成する〝空気〟に致命的な差が見られるからその差はますます広がっていく。

研究大学では、論文を生産することが〝当たり前〟という空気が流れているが、逆に地方私立の弱小大学では、論文を生産しないことが〝当たり前〟という空気が流れている場合も少なくないからだ。こうした大学では、能力と意欲のある教員だけが、自主的に研究を進めている。つまり、業績をあげられる環境にあるかどうかといったことについては、すでにスタート時点で、大学間に大きな差がついている場合が少なくないのだ。

さらに、業績をあげられるような優秀な教員は、他から引き抜きがくることも珍しくない。もっといえば、そういう優秀な教員ほど、船が沈みかけたことを敏感に察知して、沈没船からいち早く逃げ出すことを考え始める。すでに逃げた教員も多いといわれている。つまり、現時点で競争力の小さな大学が、いまさら〝業績主義〟を導入しても、すでに手遅れということだ。これが一〇年前なら、まだ間に合ったかもしれないが……。

これら経営的に脆弱な大学では、経営する法人サイドが大学教員の心理に疎かったのかもしれない。大学教員というものは、すきあらばより待遇のよいところに移ろうと考えている場合が少なくない。自らの力に見合ったと自らが考える環境に移っていくことは、少しも不当なこととは考えていないからだ。移動に伴ってステップアップする場合──助教から准教授へなどのパターン──や、給与の高い大学にリクルートされれば、多くの教員は移籍をいとわない。

教員の頻繁な移籍が起こる一因として、大学内では給与が職種や勤続年数によって決まっていることも無視できない。論文を年に一本も生産しない教授と、年間一〇本の論文を生産する准教授では、大学にとってどちらの貢献度が高かったかはいうまでもないだろう。だが、給与はもちろん教授のほうが圧倒的に高いのである。

業績をあげているにもかかわらず、年齢制限の内規などでなかなか教授にあがれない准教授が、もし他大学から「教授でうちにきませんか」などと誘われたら、躊躇する理由はない。逆に、役職が同じならば、業績をあげても、業績をあげなくとも、もらえる報酬に変わりはないのだから、楽をしようと考えるのも当然である。それは、自然の理である。

こうして、業績主義の美名のもとに、淘汰という現実がヒタヒタと迫ってきている。経営状況の思わしくない大学からは、優秀な人材ほど早く逃げ出し、人件費抑制に熱をあげる法人サイドは、ことの重大さに気づくこともなく「口減らし」ができたと単純に喜ぶ。こうしたことの結果が目に見える形(倒産)で、我々の目に映るようになるまでそう時間はかからないはずだ。

そして、あと一〇年もしないうちに、現在すでに破綻している教員市場バランスを、さらに壊滅的に破壊するほどの「無職者」たちが新たに追加され、このあぶれた教員たちが再雇用を求めて市場をさまようことになるだろう。それは、高学歴ワーキングプアの〝中途生産〟にほかならない。

ピラミッドはくつがえるのか

日本全国の大学は、東大を頂点に完全に序列化されていることはよく知られている。それは、教員の評価にも直結している。

教員は、どんな業績をあげているかよりも、どこの大学に所属しているかによって、世間的な評価を受けていることを自覚している。だからこそ、一つでも序列が上の大学に所属したいと思うのである。序列が上の大学に所属することで得られるメリットは、実はこうした世俗的な価値観からだけでなく、実務レヴェルでもさまざまに多い。それは、逆にいえば、序列が下の大学にいくと苦労が増えるということでもある。

「早稲田にいたときは、助成金で苦労したことがなかったんですが、こっちの大学に移ってからは、まったく助成金がとれなくなりました」

こう語るのは、早稲田の助手から、ある地方中堅大学に助教授で引っ張られたA氏である。

A氏は、助教授待遇に魅力を感じ、早稲田から移ったのだった。

「都落ちにはなりますが、肩書きは上がりますから。助手など、いつ職を失うことになるかわかりませんし(助手は基本的に任期制)、社会的にも信用度は低いでしょう。助教授を選択したのは、給与の他にも、社会的地位の向上という点で魅力があったからです。ただし、デメリットもありました」

学術振興会や文科省、厚労省(厚生労働省)などに助成金を申請する際、明らかに採択率が落ちたと感じるようになったというのだ。

「東大の院生時代や早稲田の時には、こんなことはありませんでしたから、明らかに大学の序列で不利になっていると思います」

A氏は、個人的なポジションとしては、位置を上にもってくることに成功したが、研究者として研究を進めるうえでは、不利な立場に立たされたと感じている。

「できれば、近年中に再度、早稲田に助教授か教授で移りたいですね」

ピラミッドの階段を、一段上に上ろうとすることは、何もこうした個人的な活動にとどまらない。日本全国の大学も同じように、一つでも階段を上りたいと思っているのだ。ただ、すでに完全なまでに各大学間の序列がハッキリとした今のピラミッド構造のもとでは、たった一つの階段すら上ることが難しいというのが、現在の大学を取り巻く状況となっている。ここが、大学と高校をめぐる状況の最も大きな違いとなっている。

高校は、大学ほどに完璧な序列が組まれているわけではない。一〇年も経てば、各高校間の序列にはかなり大きな動きが見られることが多い。その理由としてよくいわれるのは、「高校には、甲子園と東大がある」というものだ。関西の私立高校でセンター試験を悪用した合格者の水増しアピールがあったことは記憶に新しい。学校間序列の下克上を大きく意識した結果であったように思える。

つまり、甲子園に出場するか、東大入学者数を増やせば、高校の〝格〟は一気に上がる。だが、大学にはこれに代わるものが何もない。この違いは大きい。これは、己の大学の序列を上げるには、何を世間にアピールすればよいのかという明確な目標の提示が難しいということを意味する。

「今年、ウチの高校は東大合格者が一〇名出ました」というほどに匹敵する、世間への明確なメッセージを打ち出すことは、大学にとって容易ではない。だからこそ、現在多くの大学では、資格やスキルの獲得、就職の完全サポートなどのサービス体制の良さなどといったことを、ことさら世間にアピールしているのだろう。

「ウチにくれば、このような資格を得ることができます」

だが、どこの大学も同じようなことをやっているのである。そうであれば、大学全入時代の今、入学希望者の選択が〝伝統的な優秀校〟や〝偏差値上位校〟に傾いていくことは避けられないだろう。学校のブランドとは、こういう時に生きるのである。

結局、よほどのことがなければ、大学の序列を上げることは難しい。その〝よほどのこと〟とは、たとえば、その大学から〝ノーベル賞受賞者〟が出る、あるいは超有名人を呼んできて〝スター教授〟になってもらう、といったレヴェルの話になってくる。

前者は、計算してもできることではない。しかし、後者は資本力のあるところなら可能となる。すると、やはり体力のある大学が、そうでないところに比べて下克上のチャンスを掴む可能性が高くなる。つまり、一八歳人口がピークを迎えた九二年までに、コツコツと蓄財を行った法人にこそ、生き残るチャンスが残されているということだ。

大学がブランド力を高めるためには、もう一つの最も基本的な、しかし最も効果的な方法がある。自学の学生を大事に育て上げることである。先の二つの方法に比べて即効性はないが、これに成功すればその後一〇〇年は安泰となる。

大学のなかには、付属の中学や高校を持っているところも多い。逆に、中学や高校が母体となって大学を運営しているところもある。こうした、十代前半から二十代にかけて一貫した教育ができる学校法人には、下克上のための秘宝が隠されているといっていい。それが、自校の学生たちだ。彼らを大事に育て、そのノビシロを最大限に伸ばしてやり、よりよい人生を送るためのサポートを真摯に実行していく。そのことによって、学生たちは母校に愛着を持つだろう。

すると、我が子も同じ学校に通わせたいと思うようになるはずだ。それは、孫までも続いていくだろう。すると三代、一〇〇年の間、学校は、卒業生の一族から愛されるということになる。学校にとって、これほど喜ばしい話はない。

ただし、初期投資に最低一〇年以上はかかる。これをどう考えるか。学校のアイデンティティと深くかかわる部分である。

生き残りをかけ、これからも大学間競争は激化するだろう。とくに私学にとっては、厳しい世の中になるはずだ。それが焦りを生むのかもしれない。だが、そのことが、実は自らの首を絞めている可能性も否定できないのである。

「学生やその両親を利用するような経営をしている」と、もし、世間がその学校の法人に疑惑の目を向けたとしたら、自らの身の破滅を招くだけだ。経営の論理から、大事な学生を大学院に引っ張り込むようなマネをしている場合ではないのである。

私学は、自校の大学院を修了した院生──高学歴ワーキングプアにならざるを得なかった人たち──をもう少し大事にすべきだろう。そのことが、後に自校を支えてくれる 礎 を造ることにつながるのだから。

教員市場をめぐる未曾有の人余りによって、おかしな雇用がまかり通っているのが現在の状況である。非常に少数の専任教員と、その数倍の非正規雇用の教員が、一つの大学のなかに同居している。

だが、大学における講義の半数以上は、非正規雇用の教員によってまかなわれているという有様だ。買い手市場の原理が、これほどまでにハッキリと現れている世界も少ないのではないだろうか。弱い者にとっては、仕方のないことかもしれない。

だが、教育全体の本質を考えても、なお「仕方がない」と言えるのだろうか。日本の未来を支える若者に対して、現在のような接し方・教育のあり方──大多数の講義がフリーター教員による──が、将来の利益になると言えるのだろうか。

教育は、その学校に正規に属する教員によって行われることが大事ではないか。講義だけを与えていればよいというのであれば、それは、教育ではなく商売をやっているということにならないだろうか。そのツケは、間違いなくそう遠くない将来にやってくる。

(第5章に続きます)

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