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タイの教育は飼い犬を養成するためのプログラムなのか?(第9回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回は、タイの教育制度とその内実について紹介します。タイでも都市部を中心に高学歴化が進んでおり、今や大卒が当然になっています。一方、その教育内容は「体制に従う人間」を育てているのではないか、という疑問も残るそうです。高田さんがそう感じ出したのは、前回紹介した2014年のデモがきっかけで……

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タイの教育制度は誰のためのもの?

前回、タイの政変にまつわるボク自身のクーデター体験などを書いた。インテリを気取る保守派が知的とは言い難い行動に出たスワナプーム国際空港占拠のときに、彼らはよくもタクシン派の低所得者層や地方出身者を蔑んだことを言えるものだと思った。

そして、同様に保守派が展開した2014年の「バンコク・シャットダウン」では、特にタイ国内の大学を出た者と海外留学経験者の違いを目の当たりにして、ひょっとしたらタイの教育制度は富裕層のためのものなのではないかという疑念がボクの中に生まれた。

というのは、バンコク都内のビジネス街のひとつであるアソーク交差点が保守派に占拠された場所を実際に見に行ったときのことだ。知り合いのタイ人女性がデモに参加していたところに出くわした。彼女たちは「インラック(当時の女性首相で、タクシン・チナワット氏の実妹)にタイは任せられない」ということを言っていた。ちなみに当時30代前半だった彼女たちはタマサート大学やバンコク大学の卒業者だ。

タマサート大は国立で、バンコク大は私立であるが、両方とも水準としてはかなり高い大学で有名だ。タマサートはタイで2番目に古い大学で、創立当初は日本語では法学大学などと呼ばれていたそうだ。1970年代前後のタイの反政府運動などを行った活動家の中心がここの学生ともされ、タイの現代史を見ていると何度も名前が出てくるような大学でもある。

この2014年のデモ活動は、インラック退陣を求める年齢層が幅広かった印象がある。2006年からたびたび起きていた反政府デモは直接利害がある人(主に富裕層)、中心となる活動家がくれる日当を目当てに来る低所得者層ばかりといった感じで、中流層はそれほど参加しているようには見えなかった。しかし、2014年はそれまで関心がなかったような層がデモに加わり、少し様子の違う印象があった。ボクがアソークで再会した知人らも、それまではデモに参加したことなんてなかった。それがわざわざ座り込みの会場まで来ている。

インラック氏が追い出された場合、誰が次のリーダーになるのか。デモ会場にまで来るのだから、何か考えがあるはずだ。だが、それを聞いても、その答えを持っている人はいない。それも2014年のデモの特徴であった気がする。それまでは保守派なら民主党などを推し、タクシン派は当然タクシンの息がかかった政党を推すことが明確だった。しかし、2014年は中流層の大卒者がデモに加わる一方で、そのデモの主導者を次のリーダーにしたいという声も少なかった。デモに参加するしないは別として、いろいろなタイ国内の大学を出た人に話を聞いても、だいたい同じような答えが返ってきた。

他方、同じ年齢層でも海外留学経験がある人は、少なくともボクが話を聞いた人は全員、冷ややかな目で座り込みを見ていた。大半は確かにインラックに批判的であったものの、かといって2014年の座り込み行為に対して、それが「タイをよくするわけがない」と断言する人ばかり。こうも意見が違うと、タイの教育そのものがなにか違うのではないか。そう感じざるをえない。

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子どもの遊び場。こういったアグレッシブなプレイスポットも多いので、タイは子育てしやすい環境はある。

日本と似ているタイの学校システム

念のため言っておくと、今回の記事はますますタイに批判的に聞こえるかもしれないが、ボク自身はタイが好きだし、タイの教育にもいいところはあると思っている。どの国もそうだが一長一短があって、今回は特にマイナス面をクローズアップするだけである。とりあえず、まずはタイ国内における教育制度を見ておこう。

タイも日本と同じ学年数になっている。幼稚園から始まり、小学校、そして中高、大学と続く。幼稚園は3年で、やはり4歳の年から入学することが一般的。7歳の年から小学校に入る。小学校は6年間で、タイ語で小学校を意味するプラトムの頭文字を取って、学年はポー1からポー6と呼ばれる。

小中高は日本と同じで6-3-3制ではあるが、学年の呼び方はアメリカに似ていて、中学・高校は通しで学年が呼ばれる。中等教育を意味するマッタヨムの略であるモー1からモー6と、中高通しで繋がっているのだ。モー1から3が日本の中学に相当し、モー4からが日本の高校の課程に当たる。ただ、エリアによって子どもの数、公立校の設立数に偏りがあって、モー1から一貫して6年間通うところもあれば、モー4からいくつかの学校が統合されて、別の場所にある校舎に行く場合もある。特に地方の農村はモー4で一旦統合されることが多いようだ。

また、モー4からは工業高校のような専門課程もある。 このあたりから不良少年たちが昔の日本の不良たちのように学校の名前を背負って、他校の生徒と市街地で大乱闘を起こしたりもする。

マッタヨムの次は大学だ。かつてタイの大学は数が少なく、また小中高の公立校と比較すると学費が高かったことから、富裕層やそれなりに学業優秀な生徒しか行くことができなかった。前回紹介したが、特に国立大学は国王陛下が直接卒業証書を授与するので、タイでは大卒者はエリートだった。しかし、教育制度が改革され、それまで大学と名乗れなかった教育機関も大学になって、今や会社勤めの人はタイでも大卒が当たり前になりつつある

ちなみに、タイの大学入試は各大学独自の選考のほか、日本のセンター試験に似た制度もある。試験は中学に入ったら定期的に行われ、その成績によって受けられる大学の水準が決められる。ということは、日本のように大学受験直前に勉強のおもしろさを知って、学力が向上しても手遅れだ。日本だと、たまに中3、高3になってから成績がメキメキあがる元落ちこぼれがいるが、タイではそれができないというデメリットが存在する。こうなると、落ちこぼれはいつまでも落ちこぼれのままという残酷な現実が突きつけられる。

かといって、モー6を卒業することは日本同様、「普通」のことになってきた。中卒、あるいは高校中退は、タイにおいては、イコール人生を捨てるようなものだ。超貧困層の場合は根本的に学費が払えないこともそうだが、目の前の、日々の糧を得ることすら難しいため、子を学校に行かせる時間があるなら働かせたいという世帯も中にはいる。特に農村や漁村などはこの問題が深刻だ。ただ、モー6を卒業しただけでは就職先はスーパーやガソリンスタンドの店員止まり。確実に子孫に貧困家庭を引き継いでしまうので、少なくとも中流家庭の子どもたちは日本でいうFラン大学のような、無名であってもできるだけ大卒を目指したいというのが今のタイでもある。

とはいっても、平均就学年数はいまだ低いのも事実だ。やや古いが、タイ統計局がサイトに掲載しているタイ人の平均就学年数は2015年で8.4年となっている。東南アジア各国を見ると、同年でシンガポールが10.6年、マレーシアが10年、続いてフィリピン8.9年、ブルネイ8.8年で、タイはそれに続く。8.4年ということは、結局はタイの就学年数の平均値は中卒だ。

平均就学年数には地方格差もある。農村が多い東北地方、山岳地帯の北部は平均7.5年しかない。中央部と南部は8.9年、8.5年とそれぞれ平均を上回る。バンコクだけで見ると11.1年と、シンガポールの平均をも上回っている。生まれた場所によって最初からハンデがあることは東南アジアでは当たり前のことなのかもしれない。ただ、タイは現在の政情不安の元凶ともいえるタクシン・チナワット氏が首相を務めた時代から教育制度の見直しなど改革が始まり、地方にも大学と名のつく教育施設が増えたことで、将来的には地域ごとの教育格差が縮まるともいわれる。しかし一方では各地方の教育予算割り当てに格差が残っていて、結局は政治を動かす偉い人たちの詭弁に過ぎないとも考えられる。先のタイ平均就学年数は2006年時点では7.6年なのでだいぶよくはなっているものの、限界も目の前にある気がする。

2000年代初頭にボクが実際に見た東京におけるタイ人留学生の話だが、留学生内に格差があって、国費留学生が一番偉く、次に富裕層のような親が私費で留学させてくれる人、一番下が日本でバイトしながら学費を稼ぐ留学生だった。国費留学生の立場が上なのは、地方出身であれバンコク出身であれ、親が政治家や公務員などの上層にいるエリートだからだった。国費と言いながらも、結局、下層の学生には留学のチャンスすら来ないのが現実なのだ。

そんなタイの学校は、幼稚園から大学までそれぞれ公立と私立があって、高校生くらいまではインターナショナル校もある。日本人向けだと日本人学校も存在しており、タイにおいては私立校の分類になる。いずれにしても、タイは教育機関は政府の管理下にあり、教育省などの認可がないと運営できない。大学が増えたとはいっても、偉い人たちの下でタイ人は教育を受けなければならないのである。

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私立校は運動会や学芸会などのイベントも多い。ただ、衣装は保護者が用意するなど、負担も結構大きい。

バンコクの子どもは1歳から学校に通う?

タイに限らず、東南アジアは全般的に子どもに優しい。日本のように保護者だけが子どもにかかりっきりになるのではなく、親の両親、親族、友人、さらには近所までもがみんなで子どもの面倒を見る。この点はタイの子育て環境が優れているところだ。

とはいえ、学校に通わせるにもお金がかかる。インターナショナル校は日本のそれと同じくらいの学費だ。そうなると物価感覚からすれば日本の何倍にもなる。結果、通わせられるのは補助が出る企業駐在員かハイパー富裕層だけなので、一般的なタイ人のほとんどは公立校へと通うことになる。

前項では幼稚園としたが、タイの教育制度内では幼稚園は就学前教育という課程だ。そして、タイは幼稚園を含めて15年間、つまり幼稚園からモー6まで公立校は無償となっている。そのため、ここのところはモー6卒業者が多くなってきた。2008年までは無償対象がモー3までだったし、現状の義務教育はポー6までなので、2000年代初頭は小卒という人も少なからずいた。先述の就学年数の平均も上がってはいるので、このあたりは現時点ではだいぶ改善されてきている。

バンコクだと核家族化が進んでいるし、地方出身者の夫婦だと親や親類に面倒を頼めないケースもある。また、タイは女性の社会進出率が高い。なにせ中流層以下の男性はあまり熱心に働かないし、働いても収入が低いので、女性も勤めなければならないという事情もある。そのため、バンコクだと女性も出産したら3ヶ月と待たずに職場復帰することが少なくない。中には子が1歳にならないうちに幼稚園に預ける世帯もかなりある。

1歳児を預かってくれる幼稚園もすごいが、親もなかなか勇気があるとボクは思う。その年齢の子どもを預かってくれる幼稚園の中には金儲け主義のところもあり、しっかりと面倒を見ていない幼稚園もよくあると聞く。教諭が子どもを落とし、骨折して帰ってきたという人の話を聞いたことだってある。

ちなみにタイは飛び級も可能だ。優秀な学生は飛び級で進学し卒業する。とはいえ、飛び級は高校と大学内が一般的。ボクの近所に住むあるママさんは、子どもを2歳で幼稚園に預け、5歳のときに小学校に入れる気満々だったが、当然断られ、憤慨していた。それを言ったら、0歳のときに預ければ最速3歳で小1になる。仮に可能だとしても、体育の授業など目も当てられないと思うのだが。

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幼稚園ではタイ人の挨拶であるワイ(合掌)も教えてくれる。

タイの学校にはびこる体罰と賄賂

友人がタイ人と結婚し、当初はバンコクで子育てをしていたが、ある事情で日本に引っ越し、その後またタイに戻ってきたものの、やはり同じ理由で子どもたちが日本に帰りたがり、日本で再び暮らし始めた。

その事情とは、体罰だ。40代以上の日本人なら小中高に暴力教師がいたかと思うが、タイはいまだに健在なのだとか。実際、ボクの子どもたちが通う私立校でも、ほかの分校ではあったが体罰が過激だったため、テレビのニュースに取り上げられてしまうほどだった。いずれにしても、タイではいまだに教師というのは聖職者のような扱いで、絶対的存在のようだ。特に公立ともなれば公務員であるため、その横柄な態度は顕著だ。タイの場合、公務員は国王陛下に仕える者なので公務員は偉い人という常識があるから、なおのこと態度が大きくなる。

日本ではまず信じられないが、学校によっては保護者から担任に対して贈り物をすることが容認されている。さすがに現金ということはないが、菓子などを旅行の土産、季節ごとの節々に渡すことがある。そして、教師もそれを平気で受け取る。ボク自身はどうもそれが納得いかないので、妻には絶対に渡すなと厳命している。一方で、渡さないからといって差別されることもないので、結果的に渡し損なのは明確ではある。ボクの子どもの上の子はもう中3なので、幼稚園を含め12年間一度も贈ったことはないが、それで嫌な顔をされたこともない。あくまでもボクの子どもたちの学校の話で、後述するが賄賂を受け取るところもあるようだ。

以前、タイの中流層の若者たちの悩める実態を書いたが、中流層の子どもは公立校に通うことになり、そこで高圧的な担任に当たってしまえば、それこそやり場のない抑圧に耐え切れなくなることは想像に難くない。しかも、先述のようにセンター試験でも巻き返せないとわかった日には、グレるしかなくなるのではないか。

タイでは小学校から仏教神話や英語の授業がある。タイは元々精霊信仰が強く、仏教はあとから入ってきた。広まったのは13世紀ごろといわれ、衰退していたスコータイ王朝を立て直すために利用されたとされる。親を大切にだとか、あれしてはいけない、これをしてはいけないといったルールもたくさんある。タイにも宗教の自由はあるものの、タイ社会そのものがほぼ仏教文化に沿っているので、それらのルールはムスリムの戒律に近いくらい浸透していて、タイの常識やマナーと化している。そして、タイ人の大人というのは往々にして保守的で、新しいことや細かいことに厳しい。

英語の授業に至っては、特に公立校だと外国に行ったことのない教師も少なくなく、間違った発音を平気で教える。タイ語はアルファベットのVの発音ができないため、タイ人がしゃべるとVではなくWの発音になるなど、タイ語話者特有の癖がいくつかある。そのタイ式の発音をさも、ネイティブスピーカーもそう発音していると教えるなどムチャクチャだ。会社員時代の同僚は「She」(彼女)をチーと発音していた。確かに「渋谷」はチブヤになるなど、「シ」の発音がタイ人は苦手だ。しかし、彼女が言うには「中学時代の先生にはアメリカでもSheはチと発音すると教えてもらった」と。別の日にボクがアメリカ人にそのことを訊くと「そんなバカな」と返ってきた。

また、タイ語は格変化がないので、助詞などで時制を表したりする。いわゆる「I・My・Me・Mine」などはタイ人が最も不得手とする難関だ。たとえば、ちょっと英語が話せるという人でも、あなたの友だち=Your friendを言いたいのだが格の変化がわかっていないので、「あなたの友だちですか?」を平然と「My friend?」という。おそらく、教師自身がここが苦手でわかっておらず、ちゃんと教えられていないのかなと思う。

教師にも間違いはあろう。問題なのは、その間違いを認めない点だ。反省がないので改善されることがなく、そして間違った知識を持った生徒を多数輩出してしまう。教師自身が疑問点を自分で調べないので、生徒も同じように教えられたことはすべて事実として受け止める。だからか、タイ人は平気で間違ったことを人に教え、間違っていると指摘しても耳を貸してくれはしない。

ただ、間違ったことを間違いだと認識していないのはある意味では自己肯定感の高まりに繋がると思う。もちろん、非常に危ういのだけれども、タイはそれでやっていける世界なので、本人は幸せだと思う。

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私立校は英語教育に力を入れるなど様々な特色がある。この学校では学芸会は英語で行われる。

タイの教育では想像力は身につかないのか

誤解を恐れずに言うならば、タイで頭がいい人はだいたい高学歴で、頭がよくない人は低学歴だ。日本なら学歴に関係なく、いわゆる地頭がいい人は少なくない。タイにも当然、小卒であっても頭の回転が早い人はいる。こちらが言わんとすることを素早く察知して、望む回答をくれる。しかし、タイでは低学歴の人だと圧倒的にそれが少ない。

これまでの連載の中で何度もタイの格差社会を書いてきた。根本にはそれがあるのだが、結局のところ、教育格差も大きい。バンコクと地方でも違うし、山岳地帯や農村などでも違う。ましてや、海外留学と比較すればさらにその差は大きい。

当然ながらボクは日本人で母国語は日本語なのだから、タイ語はその域を超えられない。要するに稚拙な言葉になる。タイ語は声調があり日本語にはない発音もあるので、一般的なタイ人の耳にはボクの発音が判別できないこともある。ボクの妻は長く一緒にいるので理解できるが、初対面だと通じないこともいまだにある。ただ、初対面で理解できる人もいる。それがだいたい高学歴の人だ。一方、あるタイ人の集まりに参加してきた際、小卒から高卒ばかりのそのコミュニティーではなかなか言葉が通じなかった。会社員時代はもっと難しいタイ語を使っていたし、そこで十分に通じていたのに、日常会話が彼らとはなかなかできなかったのだ。

これはボクの問題でもある。もっと精進しなければならない。しかし、ここで取り上げたいのは言葉が通じないことそれ自体ではなく、通じないタイ語を話すから「高田はバカだ」と解釈されることだ。年齢もそのグループでは上の方であるし、なんならある大学がそのコミュニティー宛てに送ってきた十数枚に及ぶアンケート調査の回答がボクよりも遅い人がいたくらいだ。タイ語で書かれた心理学の調査票なのに、タイ人の方がボクより読解力がない。でも、そのコミュニティーではボクはバカ扱いだった。

ちょっと想像すればわかることだ。発音がよくないだけで、ボクは子どもではない。しかし、そのあたりの想像力が彼らには欠如している。考える力が足りないというか、おそらく学校などで言われるがままにやってきただけで、自分で考えたり想像することをしなかったのではないか。

海外留学経験者などはいろいろなことを見聞きして、自分で考えている。英語もうまく、頭の回転も早くて、ボクなんかは委縮してしまうくらいだ。会社員時代に会った取引先のタイ人営業マンはアメリカの大学を出ていて実に頭がよく、わからないことを聞けばわかりやすく教えてくれた。一方、同僚のタイの大学を卒業した人は驚くほど、ボクが常識と思っていたことができなかった。営業マンなのに簡単な計算も暗算でできない。たとえば、100の10%は10でさえパッと言えない。「10%は0.1って習ったでしょ」と言っても、ポカンとした顔をしている。大卒でこれか、とがっかりした。

愛国主義者も海外留学を望む

先の話に戻るが、教師の中には贈り物や賄賂を堂々と要求するケースもあるようだ。タイ人の友人は子どもを私立の学校に入れるために試験のほか、寄付金という名目の賄賂が高い順に合格者が決められるということで、150万円くらい用意していた。

バンコクの公立校にも名門校と普通の学校という格差があって、中流層の教育熱心な世帯は事前にその情報を徹底的に調べ、名門校に通わせる。日本と同じで、公立校は居住エリアで通学校が決まるのだが、いろいろな方法で越境入学させるのだ。その際には賄賂が必要になるケースもあるらしい。

中流層の中でもそこそこ世帯収入がある場合は私立校に入学させる。どういうわけか、タイの私立校は大半がキリスト教系だ。公立校が無償なのに対して、私立は安いところで1期あたり10万円くらい。タイは前期と後期の2期制なので、年間20万円強に加えて制服や教科書代などがかかる。ちなみに、タイは幼稚園から大学まで制服がある。幼稚園はそれぞれだが、中高は白いシャツに下が紺色や黒など。体操着もあるし、中学生からは軍事教練の授業用制服もある。大学生は白いシャツに下が黒。女子大生は白いぴっちぴちのシャツに、ミニの黒いタイトスカートで、男性諸氏の中にはこれを性的なアイコンとして見る人も少なくない。

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タイの学校は幼稚園から大学まで制服がある。

中流層が子どもを私立に入れる目的は、やはり教育水準の高さと、英語授業に外国人教師を用意していることなどだろう。あとは、学校にもよるが高校くらいまでの一貫校もあるなど。ただ、先述の通り、ボクの子どもたちの私立校もそうだが、そこには結局体罰などの問題があったりする。また、私立校は子息を親が車で送迎することが多い。そのため、朝夕は大渋滞になるのだが、校舎内の駐車場で親同士が小競り合いを始めることもあり、問題は子どもではなく保護者の頭の中身というケースもある。ボクの子どもの学校の運動会などは採点項目に保護者の態度まである。競走中などに我が子を撮影するためにグラウンドへ侵入する親が無数にいるからだ。

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運動会。ブラスバンドが整列しているのに、右の方では保護者がなだれ込んできている。

ボクは環境を変えるのはよくないと思うので、子どもを幼稚園から高卒まで同じ学校に通わせようと思っている。ただ、保護者の中にはいい学校があると聞くと、学年の終わりにそちらに転校させてしまう人もいる。数年に1度転校させられていては子どもも大変だ。結局、タイ人の保護者も迷走してしまうくらい、タイの教育制度は信用されていないとも言える。

実際、ハイパー富裕層になると多くが海外留学をさせる。親自身がタイの教育を信じていないのではないか。というよりも、タイの教育は自分たちのためのものではないと思っているのではないか。

先述のように、タイでは国をまとめるために仏教が取り入れられた。そして、タイは昔から今現在に至るまで王国である。みんなのものではなく、王様の国なのだ。国王とそれに近い人々、ハイパー富裕層が未来永劫利益を得るため、その他の人々はいつでも捨てられる駒であってほしい。そのために反発しない民を作りたい。そこで利用されているのがタイの教育なのかなと思う。タイの上層部にいる人たちは、これまでも何回も紹介してきたようにクレバーである。民を操るための教育制度を作り上げることなんて朝飯前なのではないか。

冒頭の話に戻るが、2014年のタイの大学卒業者と海外の大学卒業者では意見というか、事象の見方そのものが違っていて、ふとボクは「タイの教育は従わせるためのものなのかな」と感じた。

とはいえ、タイの学校も悪くはないとも思う。まあ、緩い。先のように親が送迎するから、日本の学校のように放課後に誰かの家で遊んだりしない点はちょっと心配だけれども。

朝の渋滞で始業に間に合わないことはしばしばだ。タイの渋滞は予測不能で、たとえば8時に間に合わせるために7時に出ても、7時15分に着く日もあれば、8時半になることもある。早く出過ぎても時間の無駄なので、出発時間は固定する。それで遅刻しても、誰も怒らない。時間になるとだあっと門を閉める日本の学校とは違う。なにせ、教師が定時にいないときもあるのだから。タイ人は時間にルーズというが、そういうわけではなくて、単に遅刻などに対する概念が違うのかもしれない。

高田さんプロフィール

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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