タイ社会にとって外国人は「駒」でしかない(第4回)
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外国人の驚くべき地位の低さ
ここ何年かで日本も外国人が増えてきた。わりと辺鄙なエリアでも外国人を見かける。他方、東南アジアは昔から外国人が多かったと思う。しかも、その「昔」とは20年30年前というわけではなく、100年も昔からというレベルだ。
タイ以外の東南アジア各国が外国との関わりが強い背景には、欧州列強国の植民地にされていたこともある。一方、植民地化を経験していないタイにも外国人は少なくなかった。1351年ごろから400年以上続いたアユタヤ王朝時代にはすでに国際貿易の主要港として知られていたほどだ。
現在のタイには自動車の工場がいくつもある。日系自動車メーカーはほぼすべてがタイに生産拠点を置くほどだ。街中でも最も多いのが日本車。しかし、タイの自動車メーカーはない。バスやトラックを製造する工場はあるのだが、エンジンなどを生産するだけの技術力がタイにはないのだ。パソコンメーカーやカメラのブランドにおいても、タイ企業は存在しない。基本的に主要な製造業の多くは外国の企業が担っている。
しかし、タイでは外国人の地位が驚くほどに低い。タイ人にとって、外国人は利用するものでしかないのだ。
アユタヤ王朝時代から強い諸外国との繫がり
アユタヤ王朝時代(1351年~1767年)は日本の江戸時代(1603年~1868年)と年代的に重なる時期がある。タイはそのころから国を開いており、外国人と渡り歩いてきた。鎖国直前まで行われていた朱印船貿易などでアユタヤに移住してきた日本人もいる。
タイ人はこんなに大昔から外国人と渡り歩いてきたのだから、交渉力や人間関係の機微を読み取り誰が権力者かを見抜く力が身につくのは当然のことだ。人の裏の裏をかくような行動を巧みに取り、のし上がってきたのがタイの富裕層やそれ以上の地位を持つ人々だ。
ときには外国人を手玉に取っていくこともある。タイが植民地化されなかったのはイギリスやフランス政府相手に巧みな交渉をした結果だ。太平洋戦争時には日本と同盟を組みながらも、裏では連合国側と連携を取り、戦況がどちらに転んでも大丈夫なようにしていた。実際、終戦日まで日本と手を組みながらも、敗戦国になることは免れている。
現王朝がバンコクに都を置いてからはタイにも近代化の波が押し寄せてくる。その中で国内経済発展のため、当時は最も素早く大量に物資を輸送できた鉄道の導入が始まった。しかし、蒸気機関車の製造技術どころか鉄道敷設の技術も知識もタイにはない。そこでイギリスやドイツの鉄道技術に目をつけ、協力を仰いだ。実際、タイの鉄道工事に関する調査と敷設はイギリスの企業が行い、タイ国鉄の前身である鉄道局の局長にはドイツ人技師が就任している。
タイの近代化のモデルとなったのは、やはり欧州のスタイルだった。その中で、犯罪を取り締まる警察組織も欧州のようなものに改革する必要があった。そうして近代化した警察組織の長官に就任したのはサミュエル・ジョセフ・バード・エームズというイギリス人だ。この人物は1860年から1892年の、実に30年を超える期間を長官として過ごしている。さらに言えば、3代目から5代目の長官もまた外国人だった。
タイ経済や近代文化は、日本の江戸時代にあたるころからすでに国内だけでなく、国際市場に深く関わってきた。上から言うつもりは毛頭ないが、しかし、タイは外国企業、あるいは外国人の存在なくしては成り立たなかったとも言える。ところが、当のタイ人には外国人のおかげだとか、外国企業が来てくれたという、日本人が言いそうな感謝の気持ちは微塵もない。
華人がタイを牛耳るようになった今
タイ国内に最も多い外国人は中国人だろう。例年、タイを訪れる観光客で最も多いのもまた中国からとなっている。
タイを訪れる外国人観光客は日本を訪れる外国人より多い。2018年の訪問客数は世界の観光客数ランキングでも9位に入る多さだった。2019年にはのべ3980万人がタイを訪れている。そのうちの約1099万人が中国人で、国籍別観光客では断トツのトップだ。ちなみに日本人は180万人を少し上回る程度で、国籍別では第6位となっている。
タイを訪れる中国人が多いのは、中国政府がなんらかの目的を持ってタイ旅行を推しているという要因が大きい。しかし、それだけでなく、中国企業もタイには無数にあり、なにより中華系タイ人が多いのもその事情のひとつになる。遠い親戚などを訪ねる交流があるわけだ。
タイでは1800年代以降、中国からの移民が増えている。中華系の移民数の推移は下記の通りである。
移民数は戦前がピークになっているが、それ以前も当時としては決して少なくない人数がやってきている。今でさえ日本人の長期滞在者数が多く見積もって8万人規模であることを考えると、タイにやって来た中国系の移民の多さがわかる。
実際、タイ最大の中華街ヤワラーは1782年には形成され始めていたとされる。名称の由来となるヤワラー通りは1892年になって建設開始されている。今でこそヤワラーは昔ながらの街であるが、全盛期はむしろタイで最新のエリアで、映画館ができたり、「ヤワラー中華街ヘリテージセンター」の資料によれば、タイで初めてエスカレーターが置かれたのもヤワラーなのだとか(諸説あって、タイ初のエレベーターは日系の大丸とも言われる)。
東南アジア全般に中国からの移民は多いが、他国とタイの移民の決定的な違いは、タイは国籍取得した華人が多く、中国国籍のままの華僑はそれほどいない点だ。当時の移民は今のように裕福ではなく、港湾の荷役や道路工事、建設現場の労働者が大半だった。その後、中国などとの貿易高の増加と華僑の本来の勤勉さ、さらに華僑同士の結束力で財をなす者も増えた。第2次世界大戦などの勃発やタイ政府の移民同化政策で多くの華僑がタイ国籍へと帰化。そのため、移民はタイ社会に完全に溶け込んだ。近隣諸国の華人と違い、タイ華人は中国のアイデンティティを持たない人が多いのだ。
現在は華人3世や4世がタイのビジネス界、政治などあらゆる場面で活躍している。財閥のほとんども華人が創業者だ。たとえばセブンイレブンなどを展開するタイ最大のコングロマリットかつタイ最大の財閥とも言われるCPグループは、元は小さな貿易会社だった。ガシコン銀行やバンコク銀行、セントラルデパートもまた華人が起こした。政治においては、今のタイ情勢を語るには外せないタクシン・チナワット元首相も華人である。
タイの今を語るには中華系移民の存在は欠かせないが、ここにタイという国の外国人に対する姿勢を紐解くヒントがあるとボクは思う。
外国人は利用するものという風潮
タイへの中国移民は福建や客家系など、中国各地からやってきている。中でもバンコクは潮州系が多い。広東省潮州県をルーツに持つ人々だ。これは前王朝の国王、タークシン王が潮州系移民の子孫だったからという理由などいくつか事情があるようだ。
そして、前項でも触れたが、中国系移民の大半がタイ国籍に帰化している点は、他国の移民と大きく異なる。もちろんマレーシアやシンガポールでも当地の国籍を取得している元移民は少なくない。しかし、タイがシンガポールなどと決定的に違うのは、中華系タイ人の多くが中国の文化背景を持たない、あるいはアイデンティティを持っていないという点だ。
これはタイ政府の政策に事情がある。タイ政府は昔から中国や欧州列強国の支配を恐れてきた。それは現在でも法律に表れていて、外国人はタイで土地を購入することができない。巨大な海外資本がタイの土地を買い漁り、いつしか国土を奪われるという不安をタイ政府は常に抱いている。
そのため、タイ政府は国内に中国人があふれることを恐れたのもあって、第2次大戦終戦から少しの期間まで移民への政策として移民やその子どもたちに対してタイの教育を与えてきた。タイでタイの教育を受けさせてあげるし、タイの国籍も与えるということで、ほとんどの中華系移民がこの同化政策に飛びついた。こうして勤勉だったこともあって、安定した生活権利をタイで得た華人たちは懸命に働き、今の地位を築いた。無一文の状態から努力を重ねて、華人たちは富裕層へとのし上がったのだ。
しかし、強くなりだした華人を恐れてか、移民政策は戦後少ししてなくなってしまう。国籍変更をしないにしても、タイは今移住が難しいのはビザが厳しいという事情があるのだが、それもタイ政府が外国人が増えすぎることを嫌っているからでもある。
極端なのは、移民の同化政策が終わった途端、基本的には移民そのものがタイにはなくなったことだ。帰化は条件を満たせばできるのだが、それも書類を提出する資格を得るまで数年かかり、書類提出から審査までに数年かかる。ミャンマーの難民に対する難民認定も滞っており、現時点でのミャンマーの軍政問題ではなく、前の軍政時に圧政から逃れてきたミャンマー人の難民たちが何十万人とタイ国境にあふれている。
中華系タイ人がこれだけいるタイでありながら、そもそもそんな華人たちもまた今のカンボジアやミャンマー、ラオス人のような単純労働の担い手としてタイ政府に受け入れられた。タイ政府からすれば「いさせてあげている」くらいの気持ちであり、根底には外国人は利用するものだという認識が見え隠れする。
外国人枠は唯一タイの階級制度の外側にある存在
現在においても、タイ人は外国人に対して「来てもらっている」つもりは一切ない。どんな大企業であっても、タイで働かせてあげているに過ぎない。
観光だって、タイは人口こそ日本のほぼ半分でありながら、観光客数は日本への渡航者数を上回っている。つまり、タイの観光業は外国人が落としていく外貨で成り立っている部分がある。それにも関わらず、国立公園など国の施設が率先して外国人料金を設定する。タイ人の10倍くらいの設定が多い。「タイ人の施設に入れてあげている」から外国人料金にしているというわけだ。
もっと言えば、タイの玄関口であるスワナプーム国際空港から市街に向かうタクシーが基本的にボッタクリ価格で対応している。タクシー運転手側を擁護すると、エアポート・タクシーは登録制で、やっとその枠に入ったとしても、タクシー・プールで順番が来るのを待たなければならない。日によっては2時間近く駐車場にいる必要があるそうだ。タクシーは主にレンタルが多く、1日あたり1000バーツ前後で運転手が持ち主から借りていることが多い。そのため、最低でも1日にその金額と燃料費を稼ぐ必要があるので、待った分を上乗せしている。
とはいえ、乗客にその事情は関係ない。ボッタクリはボッタクリ。国の玄関、すなわち旅の始まりでいきなり外国人観光客を不快にさせるわけだ。サービス業や観光業に携わる者としてあるまじき行為とも言える。これによってタイが嫌われれば観光客が減り、将来的に自分の首を絞めることになる。
しかし、彼らはそうは考えない。外国人からは搾れるだけ搾り取ることができればいいのだ。昔からタイでは外国人は仲良くなるものではなく利用するものなので、そういったボッタクリなどは問題にならない。空港タクシーの問題は少なくともボクが初めてタイに来た1998年から存在するにも関わらず、一向に正されることはなかった。一応議論になることはあるが、いつもうやむやで終わってしまう。
どこの国、あるいはどんな民族でも、自分たちが世界で一番の民だと自負することは当たり前にある。日本人も謙虚を売りにするわりには東南アジアでは現地人を下に見る傾向がある。それと同じで、タイ人も特にアジア人に対しては冷ややかだ。日本人や韓国人に対してもそうだ。
タイ人は外国人を下に見ているので、よほど彼らを納得させるようななにか――たとえば権力とか財力などがない限りは対等に見ることはない。だから、日系企業駐在員はそれなりの決裁権を与えられていないとすぐさまタイ人は見放し、挨拶もまともにしてくれなくなる。対等と思わせるか、利用価値があると見せることでタイ人は目を向けてくれるだろう。
ただ、タイ人から相手にされていないことにはその分、大きなメリットもある。タイ社会は公にクラス分けされているわけではないが、所得レベルと元々の出自によってある程度階級があることはすでに紹介してきた。たとえば飲食店も階級ごとに行く場所が違うなどの暗黙の了解がある。そして、タイ人はそのクラス分けを絶対に侵害しない。
外国人はそのクラス分けの外側にいる。タイ人にとってみれば、タイ人社会で這い上がるための人間関係のゲームでは、プレイヤーはすべてタイ人である。タイは王国なので、国王というタイ人を頂点にしたヒエラルキーがフィールドだからだ。そんな社会の中で外国人はあくまでも駒でしかない。どんなにがんばっても、そのフィールドに外国人は独立して立たせてもらうことはない。
つまり、外国人はそのヒエラルキーの外側にいるわけだ。だから、外国人は飲食店も好きなところに行けるし、人づき合いも自由に選べる。タイ人にとっても、外国人が故郷でどんな地位にあろうと関係ない。駒として利用できるときに利用するだけだ。それは逆に言うと、どんな素性であれ、タイでうまくタイ人プレイヤーに取り込むことができたら、ある程度の金稼ぎくらいならできるということだ。これが、タイに外国人がビジネス目的としても多く集まってくる理由のひとつでもある。