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タイの問題児かつ、タイのよさを持ち続ける"ローソサエティー"(第24回)

【お知らせ】本連載をまとめた書籍が発売されました!

本連載『「微笑みの国」タイの光と影』をベースにした書籍『だからタイはおもしろい』が2023年11月15日に発売されました。全32回の連載から大幅な加筆修正を施し、12の章にまとめられています。ぜひチェックしてみてください!

タイ在住20年のライター、高田胤臣がディープなタイ事情を綴る長期連載『「微笑みの国」タイの光と影』。
今回のテーマは、タイの"ローソサエティ"。国民の大半を占める低所得層はどのような人々で、何を思って日々を過ごしているのか。それを知ることはすなわち、タイ社会の本質を知ることになります。タイの深淵である格差社会の実態、そこで暮らす人々の心持ちとはいかに…。

これまでの連載はこちらから読めます↓↓↓


タイを構成する大半の民が低所得者層

 タイは日本より国土がやや広い一方、人口は日本のほぼ半分くらいだ。首都バンコクの人口が極端に多い。これは稼げる仕事がバンコクにしかなく、生きていくにはバンコクに出るしかなかったという事情もある。ただ、近年はインターネットの発達で、バンコクと地方の情報格差が縮まり、地方暮らしでも稼ぐ手段ができてはいる。それでも、2017年の地域別GDP(1人あたり)は、バンコクとその近郊、あとはプーケットだけが1万ドル以上で、主要な工業団地などを抱えていない地域は2000ドル前後と低い。

物乞いをする老夫婦。東北のある特定の村の老人は農閑期になるとバンコクで物乞いをする。

 タイは王国であり、明確に誰かが定めているわけではないにも関わらず、目に見えない階級社会がどっしりと根づいている。ハイパー富裕層が行く飲食店に低所得者層は来ないし、その逆もない。低所得者がネットを駆使して新しいビジネスを創造したとしても、元々富裕層だったグループは新参者を名家として受け入れることはない。

タイの平均世帯所得は2.6万バーツ(約10万3000円)ほどといわれる。しかし、この平均を稼げる人はほんのひと握りしかいない。日本の経済産業省が2021年3月に取りまとめた『医療国際展開レポート タイ編』に掲載されている所得分布図を見ると、統計通り2.6万バーツ以上を得ている世帯は2020年度で35.9%を占めるとしている(リンク参照。資料はドル建て年収なので、1ドル32バーツほどで計算)。3分の1以上を占めるのだから、ボクがたびたび主張するタイの格差社会も案外それほどではないのではないか、という疑問も出てくるだろう。

 しかし、この資料を見ると、最も多い収入帯が「約2.6万~約9.3万バーツ」となっている。所得分布の実体を垣間見るにはやや幅が広すぎはしないか。平均が2.6万バーツの中、この層だけで6万バーツ超も幅がある。

 いずれにしても平均未満の所得世帯が64%超も存在することが事実であり、この所得分布図では本当のタイの格差社会は見えてこない。現実的に、タイでは今日明日の食い扶持に頭を抱える世帯がいる一方で、日に何億と使おうが痛くもかゆくもない世帯がいるのだ。富裕層からすれば低所得者層の人たちは自分たちのビジネスを実行したり、金を出したりする駒でしかない。

 これがタイの現実であるのだが、タイ在住の日本人の中にはこういうことを書くと反発する人も少なくない。これは大概タイ語ができず、タイ人の本音の姿を見たことがない人だと思う。この連載でも何度か書いてきたが、タイの教育は、ほんのひと握りの富裕層たちが、その他大勢の中流層・低所得者層たちに反発させないためのものであるといっていい。

たとえばタイの何らかのメディアでインタビューをすると、どのタイ人もびっくりするくらい型にはまったことしか口にしない。それこそ教科書があるのかと思うくらいに。だから、とことんつき合っていかないと、彼らの本音を知ることは難しい。

 たとえ直接聞くのが無理だとしても、2006年から続く政情不安が着地点を今も模索している様子を見れば、社会の構造は一目瞭然だ。タイの保守派は富裕層で構成され、いわゆるタクシン派は貧困層である。保守派がタクシン派の選挙権を認めない姿を見てもなお、すべてのタイ人が善人といえるのか。

 これまでの連載ではどちらかというと一般市民がハイパー富裕層に押さえつけられているというニュアンスでタイのいい面・悪い面を炙り出してきたが、今回は低所得者層にもまたよくない部分があることを指摘したい。すでにおわかりの通り、これはあくまでもタイに20年住んできた在住外国人の目線での話だ。学者など偉い人の意見とは違うかもしれないが、その点はあらかじめ了承の上で読んでいただければと思う。

バンコクの最も都心にあるスラムに架かる橋。ここの住民たちはみな穏やかでにこやか。

ナチュラルに外国人を見下す理由

 タイの教育というのはある意味で、それを国民に押しつける政府あるいは富裕層の成功事例だと思う。タイ人は敬虔な仏教徒が多く、小学校1年生の段階から仏教神話などの授業が組まれている。

地獄寺と呼ばれる寺院のオブジェ。こういうものを子どもに見せ、よき人であることが大切だと教える。

 しかし、そもそもタイにおいて仏教は国民を統制するために利用されたとされている。王朝への不平・不満を宗教儀式に逃げ込ませる。一説では、日本を含めて「祭り」というのは神の名を借りつつ、民衆の積もったストレスを発散させるためのイベントだとも聞いたことがある。

 現在は昔と比べれば所得は上がっている。平均所得が2.6万バーツというのも、30年くらい前と比較すれば相当上がった。ただ、物価も上昇しているし、なによりみんなの所得が上がっているので、格差自体は平行移動するだけで根本は変わっていないが。

 それでもボクがタイに初めて来たギリギリ90年代後半のころは、大学に行けるのは一部の優秀なタイ人だけだった。国立であれ私立であれ、大学はそれなりに学費がかかるので、保護者もしくは学費出資者の経済力も問われた。その後はタクシン元首相時代に大学が増加し大卒者も増え、逆に大卒であることがアピールポイントにならず、結局中流階層の人はそこからほとんど這い上がれない。

 低所得者はもっと悲惨で、そもそも中学・高校に通うことができなかったり、家業を手伝わないと生活がままならず、学業に専念できない結果大学に行くこともできない。なにより、子どもは周囲の環境にも左右されるので、低所得者層の地域に生まれてしまうと、そこから抜け出すことがまず難しくなる。

 いずれにしても、タイの公立校は教育水準が決して高いとはいえない。そのため、少しでもお金がある人は無理をしてでも私立校に入学させるのがタイでは当たり前。ここでもまた差がついてしまう。しかも、アメリカと同じで、居住地域によって公立校の教育水準がまるで違う。私立校とそれほど遜色がないところもあれば、不穏なスラム同然の地域にある学校は周辺の治安と同様、生徒のレベルがよくないこともある。

タイ最大のスラムは、スラム内で格差社会があり、動物を飼う余裕がある世帯もある。

 タイでは仏教に絡んだ授業があるのと同時に、公立・私立に関係なく、国王を敬うように教育される。日本だったらありえないカリキュラムだが、タイは王国で、人々は国王の民なのだから当然だ。タイという国に生まれたことを幸運に思い、愛国心を持つことが大切だと植えつけられる。この教育の弊害として、自分たちが優れていて、他者は自分たちに及ばないという考え方に至ってしまう。

 特にバンコクでは今、建築現場などの重労働はミャンマー、カンボジア、ラオスといった周辺諸国の人々が担っている状態だ。低賃金だから若い人に嫌われるというのもあるが、「こういった仕事はこういうレベルの人たちにやらせればいい」という考えも背景にある。タイ東北部のイサーン料理とラオス料理は似ているので話が違ってしまうが、周辺諸国の人がこれだけタイで暮らしているにもかかわらずミャンマー料理とカンボジア料理の飲食店がバンコクにないのは、タイ人が完全に彼らを下に見ているからだ。

 ただ、もしタイ人にそのことを問いただしても、正直に「見下しています」と答える人はいない。これは先のようにタイは王国なので人間関係が複雑であり、また愛国心を植えつけられていることから、本心をなかなか公にはしない。むしろ、彼らには差別や見下しの意識はないともいえる。自然体でやっていることであり、無意識で見下しているわけだ。

 たとえばボクがタイ人のあるコミュニティーに所属していた際には、頭にくる出来事も多々あった。今でこそタイの話題はしょっちゅう日本のメディアに登場するが、ボクが若かったころはタイがメディアに出るときはなにか変わった文化や習慣を紹介するような番組くらいで、バンコクにあるどこそこのレストランがおすすめといった特集なんて一切なかった。だから、タイ語に触れる機会がなかったので、学習は本当に大変だった。いずれにしたって母国語でないわけで、どうしても語彙は日本語ほどには増えない。しかし、彼らはタイ語が稚拙、イコールボクの知能が低いと見なす。

 でも、これはいじめではない。ほかの部分では普通に接してくる。本当に、自然にそう思っているだけなのだ。商業施設などでも、たとえば駐車場の警備員は外国人であるボクを見ると、わからないなりに英語を話す努力をして笑顔を見せる。ところが、こちらがタイ語ができるとわかるや否や、突然乱暴な口調になる。タイの低所得者層とはそういう人たちなのである。

タイのスラムは危険なイメージだが、地方出身者ばかりなので気がよく、スラム内で大きな事件はあまり起こらない。

もし貧困層がいなくなったらタイはどうなる?

 タイの低所得者層は結局、想像力が足りないのだと思う。こうすれば相手が喜んで自分へのチップに繋がるだとか、ここで追い越し運転をしたら事故が起こるかもしれないということに考えが及ばない。

 しかし、そんな些細な想像力ですら身についてしまえばハイパー富裕層に対する反乱を招くので、想像力が足りないのは反発させまいと教育されてきた結果ではないか。だからこそ、ハイパー富裕層自身は子供を最初からタイの学校に通わせず、少なくとも大学は海外に行かせることが多い。

 2014年の、タクシン元首相の妹であるインラック元首相に対する反政府活動も、多くの成人がデモに参加していた。このとき、(すべてではなく、あくまでもボクが取材した中での話だが)タイの大学を出た人は反政府活動に賛同し、海外の大学を出たタイ人はあのデモをバカげたものとして見ていた。もちろん反政府活動の中枢には海外留学経験者もいただろう。しかし、そんな人がデモに参加してインラックさんを追い出そうとした理由は、国のためを思ってではないことが想像に難くない。あくまで自分の利益のために、涼しい顔で敵を追い出す人たちなのだ。

 タイには四季がないので、ひとつの服さえあればずっと過ごしていける。仏教のおかげで徳を積むことが当たり前なので、困っている人を助ける行為が自然とできる。要するに、誰もが困窮しても生活はどうにかなってしまう。そうなれば、先々のことを深く考える必要もない。日本のしょうもない若者や大人が「今は本気を出していない。これからがんばる」みたいなことを人生の言い訳にすることがあるが、本気を常に出していない人は正念場でも本気は出ない。それと同じで、考えることをやめれば、そういう生き方しかできなくなる。こうやって、想像力が著しく低い人間ができあがっていく。これがハイパー富裕層の望んできた低所得者層の姿だ。

歓楽街の近くで座り込むホームレスの男性。気温が高いので、寝る場所には困らない。

 低所得者たちは、ハイパー富裕層らのいつでも捨てられる駒になっているのに、自身がそうであることに気がついていない。これはある意味では幸せなことではある。人生は金があればいいわけではなく、身の丈に合った幸せが目の前にあればいい。マイペンライ。そういっていれば人生がなんとかなるなら、それはそれで幸せだ。

問題は低所得者層が自ら望んで努力をしてビジネスを生み出しても、先述の通りに這い上がることができないこと、そしていつまでも低所得者層が人間扱いされないことだ。タクシン元首相が今でもこの層の人に人気なのは、タクシンが彼らのためになる政策を打ち出し、実行してきたこともある。もちろん、それこそがタクシンの狡猾な戦略かもしれないが、事実として低所得者層に実利があったのだから人気が出るのは当然だ。

 そうして選挙が行われれば毎回タクシン派が勝つ。だが、保守派は低所得者を人間と見なしていないので選挙権も認めず、ごねにごねて違憲扱いにして選挙を無効にしてしまう。こんな状況なので、低所得者層が声を上げても、ほんのひと握りのハイパー富裕層が耳を傾けなければなかったことになってしまう。選挙は数の勝負であるはずだが、その本質が消え去ってしまう。

 この格差さえなくなれば万事解決するのか。ところがそうではなさそうだ。仮にそんな社会が何かしらの力で是正されたとしても、タイがよくなるとは限らない。何につけてもタイの経済を現場で支える労働力は低所得者層が担っており、ここがごっそりといなくなるとしたら、シンガポールのように金融に特化するなどの大きな産業の転換が求められる。もし工業をこのまま続けていくのならば、低所得者層に代わる労働力が必要になる。そうなればカンボジアやミャンマー、ラオス人の力を頼るしかないが、今の日本社会がベトナム人の労働力を軽く扱うのと同じように、タイ人も彼らを軽視しているため、また別の社会問題が起こる可能性が高い。

 結局、根本的にすべてが変わらないと、差別や区別の対象が低所得者層から別の人に移行するにすぎない。なにより、タイがそうなれば物価も上がり、外国企業も観光客も離れていってしまうだろう。

歓楽街で花を売る女の子。この時点で小学校高学年くらいか。ボクはこの子が幼稚園園児くらいの年齢から働いている姿を見ている。

この国の格差社会は絶対になくならない

 タイという国は現在、そういった微妙なバランスの上で国家が成り立っている。これをすべて変えるには、先のように何から何まで根本から変えていくしかない。タイの国民すべてがそれを納得しないと、まず変わることはない。タクシン元首相の政策が自分らの利益を損ねることを恐れた保守派が、それだけの理由で空港を占拠したり、道を塞いだりしてタイを混乱させてきた。そうした、インテリとは到底思えない人々を説き伏せてすべて変えるのはまず無理であって、最悪の場合は内戦にもなりかねないのではないか。

タイの中流階層や低所得者層は、観光客や海外企業の外国人と最も多く接する人たちだ。彼らの穏やかで優しい気質に触れた日本人も少なくない。ナチュラルに外国人を見下すが無邪気で、根っこには人間本来の優しさを持っている人々でもある。

 富裕層や警察高官と知り合いであることを吹聴する日本人がよくいるが、本当にタイで地位の高いタイ人は、自身と釣り合うレベルの人としか個人的なつき合いはしない。そもそも人間関係を自慢する人は、相手の地位や権力を笠に着る人であり、その人自身は大したことがない。だいたいタイの権力者とつき合えるほど人間力のある人が、そういう話をボクにする時点でまずおかしい。利用されているか、その日本人の勘違いかのどちらかでしかないと思う。彼らには外国人でさえただの駒なのだから、それに気がついていないことは危険だ。

 タイが格差社会なのは、結局のところ、低所得者自身がそもそもこの現状を変えたいとは思っていないことと、声を出したところでハイパー富裕層に潰されるのがオチであり続けているからにほかならない。彼らは教育によってそもそも自分が抱える問題点に気がついていない。とはいえ、これだけの情報が自身の望む形で得られるようになった昨今では、もし変える必要のある現状があっても動かないというのは怠慢でしかないのではないか。決してハイパー富裕層側だけの問題ではないのだ。しかし、その一方で、タイのよさを残しているのもまた中流層や低所得者層でもある。現状が幸せだと思うことで心に余裕ができ、他人にも優しくできる人間になる。

 一番重要なのは、タイが王国であるということだ。タイという国土も民も国王陛下のものなのである。先の「すべてを根本から変える」というのはすなわち、もうここから変わらないことにはどうしようもない。

 ところが、これを変えることは、これまでのなにもかもを否定し、ゼロにすることを意味している。そんなことができるわけがない。若い活動家が反政府運動のついでのように国王批判をするが、さすがにタイが王国でなくなったときの混乱まで彼らは想像できていないと思う。

 もしそれができるとしたら、今の王室に代わるカリスマが現れないことには難しい。まあ、そんな人物がいたら保守派のじいさんたちにすぐさま消されると思う。低所得者層の何千万人という人たちを人間とも思っていないハイパー富裕層にとって、人ひとりを消すなんて心にそよ風すら起きない。というわけで、タイはしばらくずっとこのままであるとボクは見ている。

書き手:高田胤臣(たかだたねおみ)
1977年5月24日生まれ。2002年からタイ在住。合計滞在年数は18年超。妻はタイ人。主な著書に『バンコク 裏の歩き方』(皿井タレー氏との共著)『東南アジア 裏の歩き方』『タイ 裏の歩き方』『ベトナム 裏の歩き方』(以上彩図社)、『バンコクアソビ』(イーストプレス)、『亜細亜熱帯怪談』(晶文社)。「ハーバービジネスオンライン」「ダイアモンド・オンライン」などでも執筆中。渋谷のタイ料理店でバイト経験があり、タイ料理も少し詳しい。ガパオライスが日本で人気だが、ガパオのチャーハン版「ガパオ・クルックカーウ」をいろいろなところで薦めている。

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