2度起きれば奇跡ではない! ドーハの歓喜! スペイン戦、現地からのリポート by小川光生
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「サムライ・ブルー……。悪くないけど、もう少し捻りが欲しいな」
日本代表がハリーファ国際スタジアムで“無敵艦隊”を撃破する10日ほど前、私はザファランのファンビレッジの食堂で、あるスペイン人と出会った。彼の名はフランシスコ。バルセロナ出身のWEBデザイナーだという。
英語とスペイン語、イタリア語が交じり合う奇妙な会話だったが、内容はかなり興味深いものだった。各々の自国の代表の同グループの健闘を称えあった後、話題は代表チームのニックネームの話となった。「サムライ・ブルー……。悪くないけど、もう少し捻りが欲しいな」。少し皮肉屋なのかもしれない。
日本ではスペイン代表は時に“無敵艦隊”という異名で呼ばれると彼に告げると、手を横に広げる大袈裟な態度をとりながら笑い始めた。「そりゃ、傑作だ。敗北した艦隊の名をニックネームにするとは! 君たち本気で“ラ・ロハ”(スペイン語で赤の意味。スペイン国内での代表の愛称)に勝つ気でいるね」
「無敵艦隊」は蔑称
ある程度のサッカー通なら誰でも知っていることだが、スペイン国内で彼らの代表のことをアルマダ・インベンシブレ(L’Armada Invencible 無敵艦隊)と呼ぶ人はいない。16世紀、無敵艦隊は確かに強かった。当時のスペイン王、フェリペ2世はスペイン王国絶対王政時の頂点を成す人物であり、大航海時代以降の隆盛を受け継いだスペインの艦隊はインベンシブレ(invencible=絶対に屈することのない。不屈の)の形容詞にふさわしい強力な艦隊だった。
ところが1588年、その艦隊が、彼の2人目の妻の妹エリザベス1世が統治するイングランドの艦隊に、まさかの大敗北を喫するのだ。無敵艦隊が従来の乗船切込み戦法をとってきたのに対し、イングランド海軍は戦力で劣りながらも、船の機動力と砲撃による戦法で主導権を握る。インベンシブレは無敵で無くなり、世界の海の支配者の地位はスペインからイングランドを中心とした英国へと移っていく。
“無敵”と呼ばれながら大敗北を喫した艦隊の名を、スペイン人が代表チームの愛称にするなどそもそも考えられない。元寇で撤退させられたモンゴル艦隊をモンゴル人が自国のシンボルにしないのと同じことである。一説では、発足以来、なかなか“巨人”の仲間入りができないスペイン代表(彼らは1982年の自国開催のW杯でさえベスト8にとどまった)を、特にイングランドのフーリガンたちが揶揄して使用した蔑称であったとのことだ。それがいつからか、日本ではスペイン代表の強さを示す名称として“局地的に”使われ始めた。セルヒオ・ラモス、アンドレス・イニエスタ、イケル・カシ―ジャス、シャビ・アロンソ、シャビなどを擁し、2008年、2012年の欧州選手権、2010年のワールドカップ制覇を果たした黄金時代あたりが定着の起源だろうか。
フランシスコとそんな愛称を巡る話に花が咲いた後、彼はアルゼンチンvs.サウジアラビアを観に行くからと席を立った(まさか、そのゲームでサウジが金星を挙げるとは彼も思っていなかっただろう)。去り際に彼は、またあの大袈裟なジェスチャーをしてこう言った。「ミツオ! 決勝トーナメントに進むのは、スペインと日本だ。俺がスペイン人でお前が日本人だから言っているんじゃない。見てな。俺の予想はいつもあたるから」
優勝候補スペインとほぼ対等の人気
12月1日、現地時間22時。グループステージの最終戦、日本vs.スペインが始まった。会場につめかけた地元の人々の応援比率は5分5分というところか。スペインが優勝候補の人気チームということを考えると、日本の人気もなかなかにすごい。
ゲームは、スペインの圧倒的なボール支配のもとに展開していく。特に中盤のベテラン、セルヒオ・ブスケツ、18歳の新鋭ガビの鋭い動きが目立つ。日本も全員でボールを奪いにいこうとするが、まったく取れる気がしない。前線からバックラインまでの距離が実に短く、彼らは少しずつ日本ゴールにチーム全体で近づいてくる。
無敵艦隊……
自国では誰もそう呼んでいないけれど、ボールを終始保持しながら全員で敵ゴールへの間をつめていくその姿は、まさにアルマダ・インビンシブレの乗組員を想わせた。彼らは、もうすぐ日本ゴールという名の敵船に切り込んでくるに違いない。そんな雰囲気がピッチ上からヒシヒシと伝わってくる。
峠をこえたアルバロ・モラタに最前線を任せなければならない、それがスペインの弱点だ。そんな戯言を書いていたサッカー誌があったが、とんでもなかった。前半のモラタはまさに前線のボア役と切り込み隊長の両方を老練なプレーで見事にこなす偉大な戦士だった。
11分、そのモラタがついに日本の船に切り込んでくる。サイドバックのセザル・アスクリピエタのクロスを高さを活かし、ヘッドで地面にたたきつける。至近距離からの教科書通りのヘディングにGK権田修一は為す術もない。スペインが先制。前半しかも早い時間帯での失点。挽回の為の時間は十分にあるが、ここまでのボール支配率の違いを見ると、不安ばかりが胸にうずまく。
ラ・フリア・ロハ(怒りの赤)
試合当日、会場に向かうドーハ・メトロ、ゴールドラインの中で、スペイン人のフリージャーナリスト、アロンソさんと出会い雑談。話題はまたもスペイン代表のニックネームの話に……。
「代表の主な愛称として、シンプルにカラーを表すラ・ロハ(赤の意味。イタリア代表のアッズーリ、フランス代表のレ・ブルと同系)の他に、『怒り』あるいは『狂乱』を意味する言葉、ラ・フリア(furia)がある。またはラ・フリア・ロハ(怒りの赤)というのもあるんだ。ただ、今の代表には、そうした狂乱のプレーは少ない。冷静にいつも周囲の状況を考えながらポゼッションを高め相手をおいつめていくのが今のスペイン代表の定石。ところがかつてのスペインは、なりふり構わずゴールに突進していく熱いチームだった。そう、まるで闘牛のようにね(笑)。それで、ラ・フリアだとかラ・フリア・ロハというような愛称が定着するようになったのさ(アロンソさん)」
フリアはサムライ・ブルー
前半は結局、スペインのボール支配の牙城を崩せず、1-0で終了する。このままだと日本のグループステージ敗退が決まる。後半開始直後、森保監督は初戦のドイツ戦で同点ゴールを決めたMF堂安律とコスタリカ戦での投入時期が問題となったMF三笘薫を投入。負け戦の海戦からの脱却をはかる。
采配は見事に当たった。前半とは打って変わって前線からのプレスを徹底する日本。48分、FW前田大然の執拗なプレスでGKシモンが中途半端なクリア。そこに今度はMF伊藤純也が体を張り、ボールは投入されたばかりの堂安のもとに。巧みなドリブルで切り込み左足から放たれたシュートは、シモンの手を弾きゴールにすいこまれた。同点! 8日前のドイツ戦を彷彿とさせる「ニッポン!ニッポン」の大合唱。スタンドの地元民からまた大量の「寝返り組」が出る。
後半、フリア(怒り、狂乱)を纏ったのはラ・ロハのほうではなくサムライ・ブルーのほうだった。同点からわずか3分後の51分、再び堂安がエリア右からグラウンダーのパスを供給。ゴールラインを割ったかに思えたが、三笘がライン際からボールをかきだすように中央に折り返す。そこに走り込んでいたMF田中碧が体で押し込んでゴール。ラインを割った否かで最後はVAR判定になるが、ボールの一部がわずかに線上に残っており、“狂乱の日本”がついに逆転に成功する。ゴールライン際の折り返しの判定については、2002年の日韓ワールドカップの準々決勝、スペイン代表は、クロスの際にラインを割ったと判定されゴールを取り消され、結果、韓国に敗れているただあの時はまだVAR制度がなかった。画像を見る限り、わずかではあるがボールの端が線上に残っているようにみえる。
その後、スペインはポゼッションを徹底し、“インビンシブレ”な攻撃を仕掛けてくる。ただアロンソさんの言うように、そこにフリアの面影はなかった。前述したように後半、怒りや狂乱を纏ったのはスペインではなく日本のほうだった。その鬼気迫る守備は最後まで崩れなかった。
一度だけ、スペインがフリアの一面を見せた面があった。コスタリカ代表が3分間だけドイツ代表からリードを奪い、スペインがグループ3位へと転落した時だ。あの3分間はスペインのファンのみならず、日本のファンも息をのんだ。いよいよ、スペインの怒りが爆発するのではないかと……。
2-1でゲームは終わった。グループEでドイツ、スペインという2人の巨人を葬った日本は、2大会連続の16強入りを決めた。2位はポイント4、得失点差でドイツを上回ったスペインが滑り込んだ。ドイツは2大会連続のグループステージ敗退。世界のサッカーの何かが変わり始めていることを象徴するようなグループとなった。コスタリカの相手の力を自分の力に変貌させていくようなサッカーも、E組の戦いを盛り上げた。
イタリア人の本音は「ドイツ、スペイン、なにをやってるんだい?」
最後に余談だが……。私はかなり長い間、イタリアを拠点に仕事をしてきたのだが、ドイツ戦、スペイン戦の勝利後、本当に多くのイタリアの友人、知人から連絡をもらった。イタリアは日本の躍進を祝福しているようだ。イタリアもまた、“サッカー界の巨人”の一人だが、ロシア、カタールと2大会連続で本選にすらコマを進めることができなかった。そんななか、彼らの永遠のライバル、ドイツ(第2次大戦時の歴史の爪痕はまだ残っている)やかつてはかなりの“お客様”にしていながら、2000年代後半以降、立場が逆転しているスペイン代表を次々と撃破していく日本の姿を痛快に感じているのかもしれない。「日本、よくやった!」というより心の底で「ドイツ、スペイン、なにをやってるんだい?」と言いながら(笑)、そんな気もする。
歓喜のスペイン戦の翌日、私は帰国の途につくべく、ファンビレッジを後にした。フランシスコには、10日前にまた食堂で会う約束したまま、結局一度も会えなかった。彼は、昨日の試合をどこでどんな思いで眺めたのだろう。会場にいたのだろうか、それともバルセロナのアパートの一室で家族や友人とテレビ観戦したのだろうか。
「ミツオ、上に行くのはラ・ロハとサムライ・ブルーだ」
乾いた荒野に一陣の風が吹く。最後にファンビレッジを振り向くと、風音に混じって、そんな“預言”がもう一度、聞こえた気がした。(了)