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馬場紀衣の「読書の森」

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書物の森は、つねに深いものです。林立する木々のあいだで目移りするうちに、途方に暮れてしまうことも珍しくないでしょう。新刊の若木から、自力では辿り着けない名木まで。日頃この森を渉猟…
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#人間

ヒトの原点を考える|馬場紀衣の読書の森 vol.69

人間とはなにか。人間とは動物である。動物であるとはどういうことか。この問いを、とても分かりやすく、かつ的確に説明してくれる文章がある。 このはっきりとした物言いが私はすごく好き。ひどく小さな、とるにたらない存在に思える(あるいはまるきりその反対に思うこともある)人間にたいして、著者はいちいち絶望したり、感動したりしない。人間を真っすぐに見つめ、問い、正しく理解し、そのうえで読者に説明するのに一番分かりやすい言葉を選んでいる。言葉には説得力があり、人間への愛情すら感じる。

暗闇の効用|馬場紀衣の読書の森 vol.67

「我々は昼を夜にすることも、夜を昼にすることも望まない」これは啓蒙主義の時代の作家、ジャン=ジャック・ルソーの言葉だ。生きものが一日を光と闇の交替に合わせて暮らしていることも、昼と夜が等しく大切な時間だということも理解しているはずなのに世界はますます明るいほうへと引きずられていく。神が街路を明るく照らす許可を私たちに与えていないことを知っていたルソーとちがって、現代人が暗闇の重要性に気が付いたのは街がすっかり明るくなってからだ。 人工の光は人体のリズムと調和を乱し、鳥を真夜

エロス身体論|馬場紀衣の読書の森 vol.50

人間は矛盾した生き物だ。そもそも、この「身体」が矛盾している。現代人は長らく「精神と肉体」とか「心と物質」だとか分かりやすい言葉で身体を説明しようとしてきたけれど、心身二元論も物心二元論も、あるいは心身一如論にしても、あくまで抵抗の姿勢としてあるにすぎない。身体について本当に語る言葉というのを、私たちはまだ持っていないような気がする。そういうわけで、私にとって身体というのは、いつも薄膜に覆われたわけのわからない存在である。世界と関係を結び、他者と触れ合い、出あうことだけが「私

日本の裸体芸術|馬場紀衣の読書の森 vol.49

羞恥心の歴史を分析したハンス・ペーター・デュルによれば、日本の社会において裸体は見えているのに見てはいけないもの、らしい。日常的に見る機会は多いのに、じっと見てはいけない。たとえ見たとしても、心に留めてはいけない。それって、すごく難しい。じっと見ることは不作法にちがいないけれど、あるものを、ないように振る舞うなんてちぐはぐだ。でも、このちぐはぐが日本ならではの裸体芸術を育んだともいえる。 本書によれば、そもそも日本には裸体美という概念はなかったのだという。裸体へと向けられる

頭上運搬を追って|馬場紀衣の読書の森 vol.48

人間て、美しいな、と思った。 若いとか、痩せているとか、目が大きいとか。美しいとされる規格は無数にあるけれど、そのどれともちがう、ほんとうの意味での美しさ。人が生きて、生活があって、労働のなかから生まれてきた生身の動作である。厳しくて強い、人間の姿を正面切って見つめる作者の目もいい。 「頭上運搬」というのは、言葉のとおり頭の上でものを運ぶこと。今のように自動車などでものを運べなかった時代、人が両手でものを運ぶのには限りがあるから、人はものを頭に載せて運んでいた。日本ではかつ