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一橋大学を辞め、文科省の前で叫んだ。

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専修大学・河野真太郎教授による、大学とは?教養とは?を問う連載です。不定期更新。
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#連載

【お知らせ】専修大学教授・河野真太郎さんの連載が始まります!

こんにちは、編集部の田頭です。 本日より、専修大学教授・河野真太郎先生による新連載「一橋…

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09_反知性主義の袋小路を前に、「教養」の可能性と公的領域のあり方を問い直す

(前回からのつづき)  ずいぶん連載の間を空けてしまったので、今回はまず、本連載がここま…

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08_「教養」はポストフォーディズムの補完物となる運命か

成人教育の危機から「生涯学習」へ 前回は、ウィリアムズが上記のように成人教育を実践し、そ…

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07_「成人教育」が成立しなくなったとき、「役に立つ教養」の意味は変質を強いられ…

功利主義/ロマン主義がもつ二面性 本連載の第5回から第6回にかけては、現在の「役に立つ/…

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06_文系不要論の系譜学──「二つの文化論争」から見えるもの

人文学の源流を訪ねて 前回私は、日本学術会議問題という時事的問題から、人文学叩きの問題、…

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05_役に立つ学問とは何か? 役に立つ教育とは何か?

日本学術会議「問題」と人文学 本稿を書きあぐねていた2020年10月1日に、総理大臣菅義偉が、…

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04_「主体性評価」が進めば、階層の分断を固定化することになる

ポストフォーディズムと主体性評価 私は偏差値批判、詰め込み教育批判が、現在の高大接続改革といわゆる「主体性評価」につながっていると述べた。そのつながりを、ここで述べたような公教育の縮減と教育の私事化/私営化(privatization)で説明することはもちろん可能ではある。だが、現在進められている「主体性評価」は、単なる教育版の「小さな政府」──単に公教育を縮減すること──には留まらない意味と意図をもっている。  まず、事情に疎い読者のために、現在進められる主体性評価とは何

03_「偏差値」はなぜ生まれ、批判されるに至ったか

三四郎的近代 今回も少々個人的な物語から説き起こしたい。第1回で述べたように、私は山口県…

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02_「高大接続改革」の名のもとに大学の教養課程は殺された

高大接続改革から高大一貫改革へ さて、今回いったんは頓挫した(しかしおそらくまだ追求され…

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01_大学改革とはすなわち「市場化」の別名に他ならなかった

 2019年3月。私は10年間勤めた一橋大学を退職し、4月からは専修大学に勤務し始めた。  2019…

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