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あいまいな地方の私

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福島県いわき市小名浜在住のローカルアクティビスト、小松理虔さんによる地方論です。コロナ禍によってこれまで以上に「地方」への関心が高まる中、全面的な礼賛ではなく、さりとて批判的文脈… もっと読む
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#光文社新書

#07_「リモート」の対義語が「ローカル」だと気づいたとき、メディアについて分かった…

ぼくの肩書き  こんなぼくにも年に2、3度、講演の仕事が舞い込んでくる。「まちづくり」や…

#06_いわきの海に泳ぎ、磐梯山に登って思った「わたしのための」子育て論|小松理…

夏の終わり。夏の終わりには…… 10月に入り、すっかり気温が下がってきた。9月は夏日にな…

3か月前

#05_ただ「いる」ことが許される、「ゆるく弱い居場所」の可能性をあきらめない|小松…

居場所とはそもそも何だったか ここ最近、「居場所」という言葉をよく耳にするようになった。…

4か月前

#04_母ちゃんの作った「カツオの揚げ浸し」を食べながら「割り切れない」地方の食につ…

これぞ無限カツオ 梅雨の合間の、真夏みたいにカーンとした青空が広がった日の夕方、の、風呂…

6か月前

#03_スポーツを「地方のわたしたちみんな」の側に取り戻すということ|小松理虔

家庭持ちのゴールデンウイーク 悩ましいゴールデンウイークだった。何が悩ましいかって、そう…

8か月前

#02_「弱さ」を通じて地方の政治を変えていくことができるなら|小松理虔

福島にいながら東京が気になって いまはそんなに追わなくなったけれど、コロナウイルスが流行…

9か月前

#01_死はいつだってぼくの隣にあった|小松理虔

地方と不確実 なんだろう 、妙な感覚なんだけれど、ここ最近、自分に死が近づいてきたように感じることがある。といっても、ぼくが重い病気にかかっているとか、近い友人が大きな怪我をしたとか、そういう類の話ではない。なんとなく、以前よりも死を身近に感じるようになったというか、死というものは案外自分のそばにあるぞ、ということを実感するようになったのだ。もちろん、ぼく自身が年を取ったからという理由もあるだろうけれど、死との距離感が縮まった最大の理由は、たぶん「新聞を取るようになったこと」

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