私たちに古文は本当に必要なのか、歴史を通じて本気で考えてみた|前田雅之
他者としての古典 古典を学ぶ価値や意味はあるのか?
その答えはおそらくこういうものだろう。世間を生きる大部分の人たちにとって、古典(古文・漢文)とは訳の分からないもの、少しまじめな人でも、中間期末試験に際して、現代語訳を覚えるもの、あるいは、「へ・へ・ふ・ふる・ふれ・へよ」と活用する下二段活用のような意味不明の活用を覚えなくてはならないもの、といった苦痛の記憶として認識されているのではあるまいか。とりわけ、暗記物といわれる歴史(日本史・世界史、言うまでもないが、歴史は暗記