「キモノが普段着」だったあの頃の、色鮮やかな写真。
光文社新書で1年ぶりに続編が登場した、昭和30年代のカラー写真を集めた『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』。著者のJ・ウォーリー・ヒギンズさんは、米国出身で、日本と日本の鉄道を愛するあまり、日本に移住してしまった、現在92歳の老紳士。鉄道ファンの間では「撮り鉄」として名前が知られています。ウォーリーさんの撮った写真は、いま、鉄道写真としてだけでなく、当時の日本各地や人々の様子をカラーで記録した貴重な資料として、注目を集めています。
続編となる第2弾では、544枚の写真が掲載されていますが、それでも収録できない写真がありました。今回は、未収録写真の特別公開、第3回をお届けします。出版にあたり取材、翻訳、写真整理に携わったライター・翻訳家の佐光紀子さんによるコラムでのご紹介です。ぜひ、お楽しみください!
文/佐光紀子
写真とコメント/J・ウォーリー・ヒギンズ
あの頃はみんな、着物を着ていた
こんにちは、ライターの佐光紀子です。これまでにご紹介した、ウォーリー・ヒギンズさん撮影の未収録写真シリーズ、「①どこまでも続く線路」、「②子どもたちは、窓際が好き」は、いかがでしたか? 知り合いから、もっと見たくて本を買っちゃったよ~、なんて嬉しい声も届いています。
さて今回は、写真を整理している中で、とくに私の印象に残った「普段着としての着物」のある風景の写真をご紹介します。本に収録できなかった写真と、第1弾、第2弾の本に掲載した写真の一部です。
写真を見ていると、昭和30年代、人々は日常的に着物を着ていたことが伝わってきます。晴れ着としてだけでなく、普段着として。また、晴れ着の場合でも、現在残っている当時の写真は、ほとんどが白黒ですから、実際の着物がどのような柄行きだったか、色の具合がどんなだったか、帯揚げなどの小物はどんなものを合わせていたのか、といったことは、カラー写真だからこそ味わえるお楽しみです。
着物で結婚式に出席( 静岡県)1963年2月24日 結婚式に呼ばれた晴れ着姿のお客さんたち。当時は子どもも、晴れ着と言えば着物だった。子どもたちも小さい頃から自分の着物を持っていた。
私には、ウォーリーさんの他に、彼の友人でもあり、同様に昭和30年代に来日した、アメリカ人女性の友人がいます。彼女は、日本の着物の経済性に着目します。「着物はおはしょりをとることで、身長が伸びたり、多少体格がよくなっても、それに対応できる、とてもフレキシブルでよく考えられた衣類だ」と言うのです。
身体の成長に合わせて長く着ることのできる着物は、着る機会がたまにだったとしても、子どもが大きくなってしまってつんつるてん、といった事態にならずに済む分、とても合理的な衣類だと、彼女の目には映ったようでした。
写真につけたキャプションは、ウォーリーさんのコメントです。ウォーリーさんご自身は、これまでのコラムを読んでくださった方には想像がつくと思いますが、あまり着物自体に興味があったわけではないので、それぞれの写真のコメントは、写真を撮った時の状況が中心です。とはいえ、昭和30年代の普段着の着物をカラーで見られるのは、貴重ですよね。今とは大分違う様子をご堪能いただけたらと思います。
※撮影地などは記録されたデータに基づいて記載をしています。万が一間違いがあった場合は、お許しいただけたらと思います。
七五三 嵐山(京都府)1958年11月15日 家で着付けるのがごく普通だった当時の七五三の様子。ある程度の年齢になると、子どもたちも自分たちで着物を着付けたりもしたようだ。髪型、着物の柄、色の具合など、今の七五三とはだいぶ印象が異なる。(第1弾 P447に掲載)
生田神社(兵庫県)1959年1月2日 男性も着物姿で初詣だ。女性たちは寒ければ、羽織の上からショールを羽織って出かけていった。最初の写真同様、ここにも赤い足袋をはいた女の子が。赤い足袋は小さい女の子の特権だったのだろうか。(第1弾 P445に掲載)
知恩院(京都府)1956年10月 女性たちは、旅行にも着物着用のことが多かった。山の上にある本堂へと続く急な階段をもものともせず、着物姿で上がっていく。着物を着ているということは、もちろん、スニーカーでもなければ靴でもなく、草履をはいて、この階段を上がっていくことを意味する。(第2弾 P342に掲載)
雲仙(長崎県)1964年3月16日 雲仙はどう見たって草履で歩くのに向いた場所ではない。けれども、ご覧の通り、半分近い女性たちは着物姿で、当然のことながら草履で辺りを散策していた。(第2弾 P437に掲載)
横浜・久保山(神奈川県) 1958年10月19日 ちょっとした外出も、着物姿の女性が多かった。ダウンコートなどが普及していなかった当時は、着物の方が冬場は暖かかったのかもしれない。
三越の着物売り場(東京都)1962年3月3日 当時の高級百貨店の最高峰三越にて。
上野公園(台東区)1962年5月13日 上野公園で開かれた茶会に参加した時の一枚。手元の記録には、「江戸さんと松田さん」とあるこの二人は、大学の茶道部のメンバーだったという記憶がある。
静岡鉄道長沼駅(静岡県)1961年11月23日 遠くに富士山が見える。右の女性は鮮やかな朱の着物にピンクの羽織という出で立ちだ。
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日常的に着物を着ていた時代の、色鮮やかな着物とその周囲の風景、お楽しみいただけましたでしょうか?
前作よりさらにパワーアップして発売された光文社新書『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』。当時を知る人も、知らない人も、たっぷり楽しめます。またご家族やご友人へのプレゼントにも、ぜひお買い求めください…!
未読の方は、第1弾もおすすめです。
◆◆好評マガジン◆◆
(1)未来から来た人|日本をこよなく愛する92歳の「撮り鉄」J・ウォーリー・ヒギンズさんのこと
(2)未収録カラー写真で楽しむ『60年前の東京・日本』①――60年前の日本。米国人撮り鉄を魅了した「どこまでも続く線路」とその先の風景
(3)未収録カラー写真で楽しむ『60年前の東京・日本』②――「子どもたちは、窓際が好き」米国人のカラー撮り鉄が記録した60年前の日本
(4)コラムの一部を特別公開!①――92歳の米国人・伝説の撮り鉄が選んだ「私が好きな60年前の日本」
(5)コラムの一部を特別公開!②――昔はこんな駅だった!? カラーで楽しむ60年前の懐かしの全国駅前風景
(6)コラムの一部を特別公開!③――車より電車、電車よりバイクが偉かった!? 60年前の日本、疾走するバイクのいる風景。