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高齢の親と関わらなかったことを悔いる子世代――親の「大丈夫、心配いらん」を信じた結果|春日キスヨ


関わらなかったことを悔いる子世代



「離れて暮らしていたから」という理由で、親の苦境を知らないまま、深く関わることなく、親の死を迎えることは、子どものその後の人生に重い悔いを残す。

親と遠く離れて暮らし、最近親の死に目に会った2人の女性は言う。2人ともケア関係の職場で働く人である。

IKさん「87歳の父親が、先に弱った85歳の母の世話をしていました。じつは今年、父の方が先に亡くなってしまいました。『大丈夫』と言うので、母の世話を含め、暮らしのすべてを父に任せてしまっていたのが、亡くなった原因だと思います。娘として私があまり関わらなかったことを痛感し、すごく悔いが残っています」

JYさん「きょうだいは兄と私の2人。どちらも実家を離れて30年。高齢の父が母の介護を在宅でしておりました。ケアマネ、ヘルパーを通し、いろんなサービスを父に勧めても、『いらん』『大丈夫、自分でできるから。必要ない』と利用しませんでした。いろんなことを拒む父に、遠くから手を差し伸べることもできず、結果として、誰も知らないうちに母が寝ている隣の部屋で、父の〝突然死〟ということになりました。
〝歳老いて頭がさらに固くなった父親に、もっとかける言葉はなかったのか〟〝私が親の近くに住んでいれば、こんなことにならなかったかも〟などなど、いろいろ悔やまれます。でも、こういう親を持つ人は、いまの時代、多いのではないでしょうか」


長寿期夫婦世帯が増えるなか、妻が先に倒れ、夫として介護を担う男性が増えている。JYさんの父親のように社会から孤立し、介護サービスの利用も拒み、頑張った末に、妻より先に逝ってしまう。こうした話はよく聞く話である。

ケア職に従事するIKさん、JYさんも、仕事柄、こうしたケースが「いまの時代、多い」ことは知識として知ってはいた。

しかし、それが自分の両親の暮らしと実感的に結びつかず、親を思う気持ちを持ちながらも、強引にでも親の暮らしに介入する機会もないまま、親の訃報を聞いている。

こうしたことを考えると、親の側の「子どもに迷惑をかけてはいけない」という「遠慮」、子どもの側の「大丈夫だろう」という「油断」で成り立つ親子関係を、このままにしていてよいのだろうか。

今後、長寿期の親と離れて暮らす人がさらに増えていくなか、別の形に新たに組み替えざるをえないのではなかろうか。では、どういう形にすればいいのだろうか。


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以上、光文社新書『長寿期リスク――「元気高齢者」の未来(春日キスヨ著)の第1章「長寿期在宅「ひとり暮らし」「夫婦二人暮らし」の危機」より抜粋してお届けしました。

長年にわたる聞き取りを元に、長寿期在宅高齢者に起こっている問題を丁寧に描きます。


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著者プロフィール


春日キスヨ(かすがきすよ)

1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に百まで生きる覚悟――超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー――男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件――豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる――男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様――少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)など多数。

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