谷崎潤一郎『痴人の愛』を読みとく、マゾヒズムとはまったく異なる視点を提示する #6_1
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谷崎潤一郎『痴人の愛』を読みとく、マゾヒズムとはまったく異なる視点を提示する #6_1

光文社新書

『痴人の愛』は、谷崎潤一郎が男女の関係を「私小説」ふうに綴った長編小説です。この作品は男女の性格や行動を非常に細かく描写している点で他の小説とは一線を画していて、この観点に立てば近代文学の最高傑作のひとつと言えるでしょう。この連載でもいろいろな名作を見てきましたが、この『痴人の愛』の恋愛心理描写の緻密さは、夏目漱石の『こころ』に匹敵するレベルです。

『痴人の愛』は関東大震災の翌年の1924年から連載され、翌1925年に一冊の書籍として出版されました。小説に登場するナオミが自由奔放な魔性の女であったことから、このような女性を称して「ナオミズム」ということばが生まれたくらい大ヒットした作品です。

まずはあらすじからみていきましょう。

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あらすじ

主人公は河合譲治という男性です。妻となったナオミ(奈緒美、登場時15歳)に出会った当初は28歳でした。小説の最後の一文で「ナオミは今年二十三で私は三十六になります」とあるので、8年間のうちだいたい5年間の恋愛と結婚を描写した物語ということになります。

河合は電気会社の技師で、蔵前の高等工業(現在の東京工業大学)を卒業した、かなり高給取りのビジネスマンです。非常にまじめな理系男子ですが、見かけはいまひとつ。本人曰く「男振りに就いての自信がない。何しろ背が五尺二寸(158センチ)という小男で、色が黒くて、歯並びが悪くて」とありますので、たしかに見た目の魅力は乏しいようです。趣味といえば映画鑑賞くらいなもので、「女道楽」をしないことから会社でのニックネームは「君子」でした。

8年前、ナオミは浅草雷門近くにあるカフェ・ダイヤモンドというお店でウェイトレスをしていました。河合は立ち寄ったカフェでナオミを見初めます。顔立ちがハーフのような「陰鬱な、無口の」少女で、「悧巧そう」にも見えました。河合は(映画『マイ・フェア・レディ』のように)ナオミを教育して、「朝夕彼女の発育のさまを眺めながら」将来自分の妻としてもらいうけたいと妄想します。その後知り合って2ヵ月くらい経ったときに一緒に映画に行ったのがきっかけで、2人で会う仲になります。ナオミが英語と音楽に興味があるということで、河合は習いごとの月謝を負担する代わりに、仕事を辞めて自分と一緒に住まないかと誘います。ナオミは了承して、2人は大森にあるアトリエふうの一軒家に引越しして同棲を始めます。

最初は友だちのような関係だったのですが、一年後には肉体関係をもち、入籍も済ませて正式に夫婦となりました。

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ところが、ナオミは掃除ができません。料理もできません。それでいて、何がほしい、どこに連れていってほしいと要求ばかりする、傲慢でわがままな女でした。さらに、英語の勉強を通じて、頭の回転が悪さや理解力の乏さも露呈します。その反面、彼女の肉体は河合の期待以上に成熟しており、河合はすっかり虜になっていきます。

18歳になったとき、ナオミは慶應義塾大学の学生である浜田に誘われ、ダンス教室に入りたいと言い出します。ナオミが懇願するので、河合も一緒に通うことになりますが、やがて河合は、ナオミが熊谷政太郎(まアちゃん)という同じく慶應の学生で、「マンドリン倶楽部」というオーケストラに所属する男とも親しい仲であることを知ります。

実は、ナオミは独身を装って浜田や熊谷だけでなく、複数のマンドリン倶楽部のメンバーと肉体関係をもっていたのです。河合が問い詰めるとナオミは不倫を認め、今後は浜田や熊谷と会わないと約束したので、口惜しいと思いつつも許すことにしました。とはいっても、河合との関係はギクシャクしたままで、以前の夫婦関係には戻りません。

もう不倫はしないと誓約したナオミでしたが、実際には熊谷との関係を断っておらず、近くの旅館で密会していました。怒った河合は、ナオミを追い出します。

いっときナオミがいなくなって清々したものの、河合は急激に寂しさを覚え、未練が募っていきます。連れ帰ろうと思ってナオミの実家に行きますが、ナオミはいません。どうやら男の家を転々としているらしいことを浜田の口から知らされ、ほとほと呆れた河合は、もうきれいさっぱりナオミのことを忘れようと決意します。

数ヵ月経った後、突然、ナオミが大森の河合宅に荷物をとりに現れました。その後も毎晩のようになにかしらの口実をつくっては訪ねてきますが、そのたびにこれ見よがしに妖艶な姿態を見せつけるものですから、河合は徐々にナオミのペースにのせられる形でその肉体美に屈服させられ、結局よりを戻してしまいます。

再び結婚生活を始めますが、すべてナオミの言いなりです。ナオミは以前にもまして不倫をし放題な日々を送るのですが、河合はすべて甘受する道を選びます。

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谷崎潤一郎のマゾヒズム

どうですか、変わった恋愛小説でしょう。谷崎自身が冒頭に書くように「あまり世間に類例がないだろうと思われる」夫婦関係です。男性の私としては、ナオミとはどんなに素敵な肉体美をもっているのか見てみたいと思ってしまいます。

『痴人の愛』は私小説だと申し上げましたが、当然ナオミにはモデルがいて、出版当時に谷崎の妻であった千代子の妹、小林せい子でした。せい子の写真は1922年7月号の『婦人公論』に載っていますが、それを見る限り、たしかにハーフっぽい美人です。 

さて、谷崎潤一郎は、耽美派を代表する小説家です。耽美派とは、芸術作品において美を至上のものとして極限まで追求する創作姿勢を指します。美を限りなく追求するわけですから、一般常識や道徳や倫理というものと齟齬や軋轢が生じることもあるわけで、その結果、私たち読者の眼には、退廃的、反道徳的、破壊的、さらには変態的にさえ見える場合もあります。

とりわけ『痴人の愛』は、谷崎文学の中でもマゾヒズムを体現した小説だと言われてきました。マゾヒズムとは、谷崎の言葉を引用すれば「虐待されるのを喜ぶ」ことを指しますが、たしかに谷崎自身にマゾ的な傾向があったことはよく知られるところです。  

『痴人の愛』の中にマゾヒズムを象徴するシーンがあります。よく引き合いに出されるのは、ナオミが河合に馬乗りになる場面。小説では3回馬乗りのシーンがあるのですが、3度目は強烈です。以下、少々長くなりますが引用します。

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「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでもいい!」
私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。
一瞬間、ナオミは私が事実発狂したかと思ったようでした。彼女の顔はその時一層、どす黒いまでに真っ青になり、瞳を据えて私を見ている眼の中には、殆ど恐怖に近いものがありました。が、忽ち彼女は猛然として、図太い、大胆な表情を湛え、どしんと私の背中の上へ跨がりながら、
「さ、これでいいか」
と、男のような口調で云いました。
「うん、それでいい」
「これから何でも云うことを聴くか」
「うん、聴く」
「あたしが要るだけ、いくらでもお金を出すか」
「出す」
「あたしに好きな事をさせるか、一々干渉なんかしないか」
「しない」
「あたしのことを『ナオミ』なんて呼びつけにしないで、『ナオミさん』と呼ぶか」
「呼ぶ」
「きっとか」
「きっと」
「よし、じゃあ馬でなく、人間扱いにして上げる、可哀そうだから。―――」
そして私とナオミとは、シャボンだらけになりました。

文芸評論では、このシーンをとらえて「マゾヒズム小説」の代表的な描写と評するようです。たしかにそういう一面もあるでしょうが、それだけではないように思えます。この場面は今後の関係でどちらが主導権をとるのかを確認しているだけであって、その象徴として馬乗りになっているにすぎません。河合がこのように「虐待されていることを喜んで」いる場面は、実は『痴人の愛』の中でそれほど多くはないからです。

私としては、マゾヒズムを描いた小説である点は否定しないのですが、もっと説得力のある別のアプローチがあって、そのほうがこの作品をさらに深く理解できると考えます。社会内分泌学的アプローチというのですが、これを『痴人の愛』の分析ツールに用いたいと思います。

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社会内分泌学的アプローチ

「社会内分泌学」(Social Endocrinology)とは、恋愛学の新しい分野で、人間の体内にあるホルモンや神経伝達物質の多寡と人間の行動を観察することで法則性を見つけ出そうとする学問です。 

ホルモンとは身体のはたらきを調整する科学物質で、甲状腺や生殖腺といった内分泌腺で生産されます。神経伝達物質はシナプス(神経と神経のつなぎ目)で情報伝達を介在する物質です。私たちの体内にあるホルモンや神経伝達物質はスプーン小さじ一杯に満たないくらいのほんの少量なのですが、私たちの行動に大きな影響を与えているものです。

恋愛や結婚も人間の行動なので、社会内分泌学からの分析が可能です。特に『痴人の愛』は、性格や心理の描写が非常に細部にわたっているので、河合とナオミにホルモンや神経伝達物質がどの程度あって、どのように影響を与えるかについて十分に知ることができます。

人間関係、特に恋愛の場面において、私たち人間の性格を規定するもっとも重要なものは、2つの化学物質に集約させることができます。その2つとは

 ① 男性ホルモンであるテストステロン
 ② 脳内伝達物質であるドーパミン

です。各々詳しく解説していきます。

性格を規定するもの その①「テストステロン」

まずは、テストステロンからです。テストステロンは男性ホルモンの一種で、私たちの第二次性徴に大きくかかわっています。声変わりをもたらしたり、筋肉質で丈夫な骨格を作ったり、男性の場合は精子をつくる機能にも影響を及ぼします。

テストステロンの多寡はどのような性格をもたらすのでしょうか? テストステロンが多いと「男らしく」なります。具体的には、

 ・ 合理的な思考
 ・ 独立心や自立心がある
 ・ 自信家(ただし自信過剰の場合も)
 ・ リーダーシップに優れ、堂々としている
 ・ 集中力がある
 ・ 空間認知能力や音楽的素養に優れる
 ・ 闘争本能が豊富で、負けず嫌い
 ・ 一人でいたい、干渉されたくないという孤独願望が強い

といった特徴があります。

しかしながら、このような男性は、同時に短所を併せもつのですが、その特徴としては、

 ・ 暴力的
 ・ 性欲が強く浮気性
 ・ 夫婦間の協力が不得手で、家庭内不和を起こしやすい

といった点が挙げられます。

他方、テストステロンが少ないと、上記の反対の「優しい」性格になります。特筆する点としては

 ・ 争いごとが嫌い
 ・ 微笑みを絶やさない
 ・ 家族やチームでは協調を旨とする
 ・ 浮気しないマイホームパパになる

といった長所があります。ただし、短所としては、

 ・ 優柔不断
 ・ 頼りがいがない
 ・ リーダーシップに欠ける
 ・ 会社で昇進しない、もしくは昇進に興味がない

といった点が顕著です。

テストステロンは男性ホルモンですが、女子にも微量ながら存在して、だいたい男子の10数分の1程度あります。総量は少ないですが、女子の身体は繊細につくられているので、少量であっても影響が大きくなります。

女子の場合もテストステロンが多いと、男っぽい性格をもち合わせることになります。たとえば、元気のいい負けず嫌いの女子。これはテストステロンの影響です。また男性特有の合理的思考になったり、1つのことに集中する能力があったり、方向感覚や音楽的素養が優れたりします。性関係では、男性と同じようにセックスを好む傾向になります。(社会内分泌学の研究では「おてんばな女性」ほど、過去に性交した人数や回数が多いとされます)。また、テストステロンが多い人は独立心や自立心が強くなりますので、性格的に男性と衝突しがちで、性対象としての男性に興味がありつつ、精神的な距離感で悩むこともあるようです。

その反対に、テストステロンが少ない場合には、女性らしさをつくりだすエストロゲンの特徴が色濃くでます。エストロゲンが多い女性はふくよかな唇をしていますし、胸やヒップの脂肪分も豊かです。またエストロゲンは若さや皮膚のみずみずしさにも作用しますので、年齢よりも若々しく見えます。性格的には合理的思考より情緒的になりがちで、浮気はせずに一人の男を深く愛する傾向があります。しかしいわゆる「重い女」に思われる傾向にあるので、この点は気をつける必要があります。

テストステロンの多寡は、上記のような性格ばかりでなく見かけにも表れますので、顔かたちをみれば、どのくらいテストステロンが多いか少ないか分かるものです。

たとえば、テストステロンの多い場合は、いわゆる男っぽい顔立ちで、骨格はがっしり、あごが大きく、中年になるとはげになりやすく、胸毛が多いという特徴があります。

また、内分泌学者は、テストステロンは右手の薬指と人さし指の長さの比率を見れば、ある程度分かるとしています。右手の人さし指と薬指にテストステロンの多寡が発現しているとする研究は多くあり、それによると、人さし指と比較して薬指のほうが長い人ほどテストステロン値が高いことが統計的にみられそうです。

なお、ここまでテストステロンが「多い」「少ない」と二元化して書いていますが、実際には狂暴なほど多い人から虫も殺さないくらい少ない人までが存在するわけで、テストステロンの多寡は一直線上になっているとご理解ください(後述するドーパミンも同じです)。「多い」「少ない」とはあくまで比較の問題であり、私たちはそれぞれその線上のどこかに位置しているということです。

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このようなテストステロンですが、人間関係に大きく影響を与えるため、性格的な相性が分かります。テストステロンが多い同士がいいとか悪いと一概に断定することはできませんが、どのような関係になるかはだいたい推測できるのです。

図表1は夫婦関係を例にとり、男女のテストステロンの多寡に応じて分類したものです。

 【1】 男性も女性もテストステロンが多い場合
 【2】 男性のテストステロンの量が少なく、女性が多い場合
 【3】 男性のテストステロンの量が多く、女性の量が少ない場合
 【4】 男女ともにテストステロンが少ない場合

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図表1 テストステロンの多寡による相性

【1】のように、両者ともにテストステロンが多いと、自己主張が強く負けず嫌い同士なので、個性がぶつかって反発しあうことがあり、ケンカも生じやすくなります。ただし上手に妥協することができれば、一緒にいて楽しく、セックスの相性も良好です。男女ともに合理的思考なので、お互いが何を考え、何を欲しているか理解しあえるという利点もあります。

他方、【4】のように両者ともにテストステロンが少ないと、たいへん物静かなカップルということになるでしょう。ケンカのような争いごとが少なく、性格的な相性はよさそうです。ただ、お互いものごとを合理的に決めるのが苦手なので、何か問題が生じたときに迅速な対応が難しいといった欠点があります。

【2】と【3】のように、一方が多かったり少なかったりという偏りがある場合には、どちらかがリードする関係性になります。【2】の場合は、男性のテストステロンが多く、女性のそれが少ないので、圧倒的に男性がリードする夫婦関係になり、俗に言う「亭主関白」になる可能性が大です。家庭内の決定権は夫にあり、妻は従順です。昭和の家庭像をイメージしてもらえるとしっくりくるかもしれませんが、夫による家庭内暴力や夫の不倫も生じやすい関係ではあります。

【3】の場合は【2】の逆で、いわゆる「かかあ天下」の関係です。家庭内の決定権は妻がもち、給料は妻の管理下におかれ、夫は少額のお小遣いをもらい、その中からやりくりします。【3】とは逆に、妻の不倫や家庭内暴力も起きる可能性があります。

基本的には、こうした4つの関係に属することになりますが、どちらかがこの関係に不満をいだくと、恋愛では別れることになり、結婚では別居、さらには離婚という手順を踏んで関係が解消されることになります。

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性格を規定するもの その②「ドーパミン」

恋愛や結婚においてもうひとつ重要なのが、神経伝達物質であるドーパミンです。斬新性、冒険性を規定するものであり、人は恋愛をするとドーパミンがどっと出ます。恋愛バブルが生じているとドキドキして心地よさを覚えますが、その気持ちの高ぶりはドーパミンによるもの。また、好きな相手に告白してOKされたときは最高の気分になるものですが、その時こそドーパミンが最高潮に出ている瞬間です。

米国ラトガー大学のヘレン・フィッシャー博士の言葉を借りてもう少し専門的に説明すると、ドーパミンは「危険をかえりみない傾向、衝動性、旺盛なエネルギー、好奇心、創造性、楽観主義、情熱、精神的な柔軟性」を決める物質となります。

端的にいえば、ドーパミンが多いとアウトドア派になり、少ないとインドア派になります。スポーツやバンジージャンプなどのアクティビティに挑戦するアウトドア派に対し、読書や音楽鑑賞を好むインドア派と分類すると分かりやすいでしょうか。

これを夫婦関係で考えると、図表1と同じように、ドーパミンの多寡によってマトリックスを作成できます。4つに分類したものが図表2です。

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図表2 ドーパミンの多寡による相性

テストステロンとは異なり、ドーパミンは男女間でバランスのとれていることが大切です。その意味で、【1】と【4】が恋人・夫婦関係として理想になります。【1】は男女ともにドーパミンが多い場合で、お互いアウトドア派。週末はスポーツをしたり、まだ行ったことのないレストランで食事をしたり、海外旅行をしたりする仲になります。旅先ではのんびりするというより、いろいろなイベントを楽しむタイプ。お互い何がしたいのかはっきりしていて一致することが多く、一緒にいて楽しい関係です。

【4】も男女のドーパミンが少ないという点でバランスがとれていますので、理想的な関係です。週末はビデオを借りて家で観たり、カフェに入って読書をしたり、行きつけのレストランで食事をしたり、旅行の場合は温泉に入ってのんびりしたりすることが好きです。お互いがインドア派・のんびり型ですので、非常に相性が良好です。

ところが、【2】と【3】のケースはそのようなわけにはいきません。【2】の場合は男性のドーパミンが多く、女性が少ないので、夫婦関係であれば、夫は外に出て遊びたいのに妻は家で静かに読書をしていたいということになります。典型的なのは、夫の帰宅が遅く、妻が一人で家庭を守るというような関係です。昭和以前の日本文化としては、このようなカップルは、例外的というよりむしろ一般的だったかもしれません。この場合、夫が金銭的に浪費しやすく、妻に隠れて不倫しがちであるという問題も生じます。

最悪なのが【3】の関係です。夫が出不精で、妻がアウトドア派だと夫婦ゲンカの原因になりがちです。恋人関係でも、男性がインドア派で女子がアウトドア派ではデートが成立しません。男性が家でDVDを観たい、女性がスキューバダイビングに行きたいとなるようでは、どちらか一方がいつも不満を抱えることになります。基本的に相性が悪いので、短期的に恋愛関係になったとしても長期的な結婚には不向きです。

繰り返しますが、ドーパミンは多いほうがいいとか、少ないほうがいいという問題ではありません。重要なのは、恋人同士のドーパミンがだいたい同じくらいになること。ドーパミンが均衡していれば相性がいい、均衡していなければ相性が悪いと言えるわけで、性格の相性を計る一つの目安となるものです。

私たちはこの2つのホルモンや脳内物質を持っており、人間の性格はこうした物質の多寡で規定されています。男女間で性格や相性がぴったり合うというのは不可能で、多少なりとも自分が理想とする性格と相手の性格との間に差が生じるのは仕方のないこと。問題はその差なのですが、多少の差でも許せる範囲で関係を良好に保っている男女はたくさんいます。長い時間をかけて、どこが妥協できてどこが譲れないかを確かめながら共存できる関係を築いてゆくのが夫婦関係というものなのです。

後編では今回ご紹介した2つの視点をふまえて、作品中の譲治とナオミの関係について分析したいと思います。


後編につづく

バックナンバーはこちら↓

第1回 夏目漱石『こころ』前編
第1回 夏目漱石『こころ』後編
第2回 森鷗外『舞姫』前編
第2回 森鷗外『舞姫』後編
第3回 武者小路実篤『友情』前編
第3回 武者小路実篤『友情』後編
第4回 田山花袋『蒲団』前編
第4回 田山花袋『蒲団』後編
第5回 太宰治『斜陽』前編
第5回 太宰治『斜陽』後編


【お知らせ】この連載が光文社新書として9月17日(電子版は9月25日)に発売されます! 村上春樹『ノルウェイの森』編が書き下ろしとして新たに加わっていますので、お見逃しなく!



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