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三島由紀夫『潮騒』のどうにも拙い恋愛描写の裏に隠された意図は何なのか? #8_1

これまで恋愛学の知見を総動員して文豪たちの小説を斬ってきましたが、前回までの7つの作品は、少なくとも恋愛学で「割り切る」ことができました。たとえば経済学で用いる「恋愛均衡説」、市場原理の「恋愛市場」「結婚市場」「浮気市場」に基づく分析、進化生物学の知識を用いた「五感と恋愛」、ホルモンや脳内神経物質を分析する「社会内分泌学」といった観点から解説することで、深く、新しい視点で読むことが可能になったかと思います。

ところが、今回の『潮騒』は割り切れないのです。恋愛に関する知識を活用したところで、説明がつかない描写ばかりなのです。三島由紀夫は恋愛の描写が下手、と一言で片づけてしまえば簡単です。しかし三島は『金閣寺』や『豊饒の海』といった素晴らしい文学作品を書いた作家。『金閣寺』は日本が生んだ最高傑作のひとつと言っていいと思いますし、三島がこの小説でみせた心理描写は20世紀随一のものです。それが、なぜ『潮騒』では一見拙劣と思われる恋愛描写をしたのでしょうか?

これが私の『潮騒』に対する最初の感想であり、出発点でした。

というわけで今回は、なぜ恋愛学で割り切れないのか順を追って解説して、『潮騒』とはどういう小説なのかを私なりに考察していきます。まずはあらすじから見ていきましょう。

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あらすじ

主人公は久保新治(18歳)と宮田初江の2人です。初江の年齢は明らかにされていません。舞台は人口1,400人の、世俗から隔離された小島である「歌島」です。新治は漁師で、母と弟の3人で細々と暮らしています。

漁作業を終えて休息中の初江を目にとめたのが最初の出会いでした。「健康な肌いろはほかの女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静か」な初江は、地元では見覚えのない女性であり、新治は興味を持ちます。

初江の父親は宮田照吉という、歌島丸と春風丸と名づけられた2隻の漁船のオーナーであり、「村でも屈指の金持」です。照吉は長男を病気で亡くして寂しくなり、養子に出していた初江を呼び戻したのでした。はじめて出会ったときから、新治は初江に心を奪われます。神社にお祈りをしたときも「いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! ……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」と願ったくらいです。

新治が二度目に初江に会ったのは、初江が道に迷って観的哨(かんてきしょう)(※太平洋戦争中に海軍が築いた監視場所で、廃墟になっている)にいたときでした。しかし村中のうわさになるといけないので、新治は偶然会ったことは黙っておいてくれと初江にお願いします。

新治はますます初江のことが気にかかり、青年会の支部長・川本安夫(19歳)が初江の入り婿になるといううわさを聞いて、心中穏やかではありません。安夫は村の名門の出で都会的、青年会を仕切るリーダーシップを備えている男でした。

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そんな中、新治は給料袋を道に落としてしまいます。それを拾ってくれたのが初江でした。これが三度目の出会いです。新治は安夫が入り婿になるのは本当なのかたずねますが、「大うそ」であると初江は大笑いして答えます。「おお、苦し。あんまり笑うて、ここんところが苦しなった」と初江が胸をおさえて言うので、新治は大丈夫かと思わず乳房に手をやりました。2人の顔が近くなり、「ひびわれた乾いた唇が触れ合っ」てキスをしました。

翌日、今度は初江のほうが、灯台長の娘である千代子が新治のことが好きであるとのうわさを耳にして心配になります。新治は何もないと答え、2人は次の休漁の日に秘密のデートをする約束して別れました。

時化で休漁となった日、新治は待ち合わせ場所で焚火をして初江が来るのを待っていましたが、待ちくたびれてうたたねをしてしまいました。到着した初江はずぶ濡れの衣服を火で乾かそうと思い、下着以外全部脱ぎ捨てます。

そのときに新治が起きてしまいました。初江と新治は炎を隔てて向かい合い、2人はお互い裸になります。しかし、初江は「今はいかん。私、あんたの嫁さんになることに決めたもの。嫁さんになるまで、どうしてもいかんなア」と宣言します。2人は長くキスをしますが、肉体関係にはなりませんでした。

しかし、嵐の中を家に帰る途中、石段を下りる2人の姿を目撃した者がいました。ちょうど東京から帰省していた、灯台長の娘である千代子です。千代子は2人が肉体関係になったと安夫に告げ口したために、うわさが村中に知られてしまいます。

2人のうわさは初江の父親である宮田照吉の知るところとなります。照吉は2人の関係に反対し、会わせないことにしたため、その後のやりとりは手紙のみとなってしまいます。

春になり、海女が漁をする季節、彼女たちはふざけてお互いの乳房の見せ合いっこをしていました。そのとき初江の乳房も人目にさらされますが、「それ(初江の乳房)は決して男を知った乳房ではなく、まだやっと綻びかけたばかりで、それが一たん花をひらいたらどんなに美しかろうと思われる胸」でした。海女たちはこれで千代子と安夫によるうわさが嘘であると確信します。

ある日、新治は、歌島丸の船長から恋敵の安夫とともに甲板見習いとして乗船するように言われます。1カ月半の漁の途中、台風に巻き込まれ、船が押し流されてしまう危機に陥ります。誰かが命懸けで船にロープをつなぐ必要がありました。新治は「俺がやります」と言い、海の中に飛び込み、見事に船を救います。

一方、嘘のうわさを広めた罪悪感をもつ千代子は、母親に手紙を書き、新治と初江が幸せにならなければ自分は夏休みに帰省しないと訴えます。その意を汲んで千代子の母親は海女たちとともに宮田照吉のもとを訪れます。新治と初江の話をしようとすると、照吉は「その話ならもう決っとるがな。新治は初江の婿になる男や」と言います。歌島丸に乗せたのは安夫と新治を乗せたのは、実はどちらが見どころのある男なのかを試すためでした。照吉は続けます。「男は気力」だと。新治は「気力」をもっている男であると。2人は婚約し、成人したら正式に式を挙げることを誓って物語は終わります。

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ギリシャ旅行と『ダフニスとクロエ』

『潮騒』は三島由紀夫の長編小説で、1954年に出版されました。翌年、第1回新潮社文学賞を受賞した作品であり、その後5回も映画化されています。

1951年12月から1952年5月に世界旅行をした三島は、訪問先のひとつであるギリシャに魅せられ、古代ギリシャの『ダフニスとクロエ』を下敷きにした小説を書きたいと願いました。そこで書き下ろされたのがこの『潮騒』です。三島は1925年生まれですから、まだ感受性の強い26歳前後のときに世界を旅したことになります。

『ダフニスとクロエ』を下敷きにしたと述べましたが、日本語訳(『ダフニスとクロエー』ロンゴス著、呉茂一訳/角川文庫)を読んでみると、たしかに時代と場所は違っても、純愛物語である点、恋に目覚める過程の描写などを踏襲していることが分かります。ダフニス(山羊飼いの少年)が新治で、クロエ(羊飼いの少女)が初江に対比できますが、ダフニスとクロエも艱難辛苦をのりこえて結ばれる、ハッピーエンドである点も共通しています。

批評を開始する前にもうひとつ逸話を。三島自身が『潮騒』の裏話を披露しているので、その話にも触れておきます。三島は小説の舞台として古代ギリシャのイメージに合う島を探していましたが、どうやら水産庁に候補地の推薦をお願いしたようです。そこでリストアップされたのが金華山沖の孤島と伊勢湾の神島で、三島は、気候が温暖なことに加え、パチンコ店や自動車はおろか自転車さえなかった素朴さが気に入り、神島のほうを選んだとのことです。三島は神島に二度ほど訪問し、島の人々と交流するなかで「人情は素朴で強情で、なかなかプライドが強くて、都会を軽蔑しているところが気に入った」と述懐しています。

なお、「潮騒」とは「海の潮が満ちるときにできる波の音」です。このタイトルからは海に関わる若い男女をイメージできます。また主人公の名前に「新」「初」をつけるくらいですから、三島としてはよほど初々しい純愛にこだわったということなのでしょう。

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恋愛学で割り切れない描写とは何か?

さて、このような『潮騒』ですが、読後感がどうもしっくりきません。冒頭に書いたように、恋愛学の立場からどのような解説をしようかと読んでみても、新治と初江の恋愛に関しては不自然な描写ばかりで、恋愛学では割り切れないのです。自分の知識の欠如かと思い、再度詳細に読んでみたのですが、徐々に私の問題というより、三島の描写の問題であると思うようになりました。大作家である三島由紀夫を批評するわけですから慎重に読みこみましたが、何度読んでも『潮騒』のアラが見えてしまうのです。

そこで、今回は『潮騒』の恋愛の描写を「ぶった斬って」しまおうと考えました。自信をもって批評します。恋愛描写に限って考察しますが、恋愛学者として『潮騒』の描写に納得がいかない点は主に5つあります。その5つとは

 ① 新治が初江を好きになった理由が不明
 ② 新治の初恋描写が非現実的
 ③ 初江が新治を好きになった理由が不明
 ④ 初江の行動が性的に大胆すぎる
 ⑤ どうやって初江が処女だと理解できたのかが不明

です。ひとつひとつ見ていきましょう。

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その① 新治が初江を好きになった理由が不明

第一に、新治は初江に恋愛感情を抱きますが、初江のどこが気に入ったのかがはっきりしません。通常は、見かけがよいとか、優しい性格がよいとか、社会的な条件がよいとか、何らかの理由がないと好きになりません。一目惚れのように短時間で好きになる場合もありますが、その場合でも、作者はどこが気に入ったのか描写し、読者に納得させてくれるものです。そうでないと小説の登場人物に感情移入できませんから。

ところが、新治の初江に対する恋心の描写がほとんどありません。極端にいえば「歌島で見かけない女子に出会った→突然好きになった」ということでしかないのです。

初江との最初の出会いは以下のとおりです。

額は汗ばみ、頬は燃えていた。(略)髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。(略)健康な肌いろはほかの女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。(略)ただ、海に一人で見入っているその様子が、島の快活な女たちとはちがっている。

初江の見かけに関する記述はこれだけです。たったこれだけで、新治は初江に恋をしてしまうのです。これで読者はどうやって納得できるでしょうか。

一目惚れで恋することがないわけではありません。しかし、一目惚れと言いつつもそこには五感の入り口である「視覚」があるわけです。視覚的な魅力についてさらに詳しい描写があってはじめて、読者としては「〇〇なところが気に入ったんだ」と納得できるわけです。

初江の髪が長いことは分かります。目もとが涼しく、眉が整っていて、物腰も柔らかいことも分かります。ただし、そのような女性はこの世にたくさんいます。新治がなぜそのような女性を好むのか、この描写だけでは理解できません。初江の年齢も不詳ですから、どのような若さを思い浮かべてよいのかも分かりません。

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それでは、そもそも歌島には恋愛対象になる女性が存在していなかったのでしょうか? 恋愛できる女性が皆無だったら初江に恋するのも理解できますが、いくら人口1,400人の小さい島とはいえ、恋愛の選択肢として考えられる女性は他にいたはずです。

フェルミ推定して、この歌島には同年代の恋人候補の女性が何人いたかという点を明確にします。

この小説が書かれた1954年当時の人口動態から計算します。1,400人のうち半数が男性ですから、女性はだいたい700人になります。そのうち、新治が年齢的に興味をもつ女子を15歳~19歳の5歳だとすると、当時の人口の9.43%がこの範疇に入ります。その比率を当てはめると島にはだいたい67人くらいの女子が居住していたことになります。新治は「見覚えのない顔はない」と言っていますし、モデルとなった神島には小学校と中学校はひとつずつしかありませんので、この67人の女子のことは、小、中学校を通じて知っていたはずです。そこに68人目の女子として初江が現れたということです。意外に多いですよね。しかしそうであるからこそ、恋する相手が初江でなければならなかった確固たる理由がほしいところです。

もうひとつ不自然な描写があります。新治が八代神社にお参りした際のことですが、その内容を繰り返すと、「いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! ……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような」とあります。

先ほど描かれた第一印象から、このお参りの言葉で初江の印象は「気立てがよい」「美しい」に変換されています。最初の描写からはこうした印象は読みとれませんので、唐突に感じます。新治が、いつ、なぜ、どのように「目もとが涼しく、眉は静か」から「気立てのよさ」に変換させていったかの描写が、この小説には見当たらないのです。

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その② 新治の初恋描写が非現実的

2番目に不思議なのは、新治の初恋の心理です。最初に会ったときにすぐに初江に対して初恋の兆候が表れるのですが、三島は以下のように書きます。

その晩、寝つきのよい新治が、床に入ってからいつまでも目がさえているという妙な事態が起った。一度も病気をしたことがない若者は、これが病気というものではないかと怖れた。

たいへんメルヘンチックな初恋の描写ですよね。メルヘンチックにすぎる、と言ってもいいでしょう。新治は18歳で、小学生でも中学生でもありません。三島は、恋愛をまったく知らない、人生ではじめて恋に巡り合った純粋な若者の描写をしているのでしょうが、当時としてもやや非現実的です。

「都会の少年はまず小説や映画から恋愛の作法を学ぶが、歌島にはおよそ模倣の対象がなかった」とも書いていますが、三島の勘違いは、恋愛の作法を学ぶものだと考えた点です。恋愛の手順(目で見て、話しかけて、相手の体臭を嗅いで、手をつないで、キスをして、その後に性行為をするというプロセス)は私たちの遺伝子の中に組み込まれているので、文章や映像で学ぶ必要はありません。それが証拠に新治と初江は三度目の逢瀬でキスをしています。好きになったらキスをするとは誰かに教えられた行為ではありません。小説や映画に触れていなくても、好きになったら自然にしたくなる恋愛行動です。一方では自然にキスをするのに、他方では初恋を理解できないものとしているのは、作品中で矛盾していると思うのです。

また、男性の場合、恋愛は多分に性的です。男性読者ならば理解していただけると思いますが、男子の性の目覚めとははじめて射精をしたときです。これを専門用語で「精通」と言いますが、男子の精通は個人差があり、だいたい11歳くらいから15歳までの間です。通常は自慰行為によって精通しますが、夢精(睡眠中に精子が出る)の場合もあります。いずれにしても、精通とともに性的に目覚めるのが男性の肉体的構造なわけです。

ですから、三島が18歳男性の「初恋の兆候」として描いた場面は、男性の肉体的な構造からして現実的ではありません。眠れない原因に初江の存在があったことは自明なわけですから、その理由としての初江の描写がないのは不自然です。たとえば「初江を想って自慰行為をした」なら男性の心理として分かりますが、「いつまでも目がさえている」だけではなんとも理解しがたい話です。いったい目がさめて何を考えていたのでしょうか?

後編では、初江のほうの心理も分析しつつ、『潮騒』という小説の不自然な構造の謎にさらに踏み込んで考えていきます。


後編につづく

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